疫学研究は,さまざまな分野に応用されており,それぞれ「○×疫学」と分野や対象名を冠した専門研究分野となっている。これらを概観することで,疫学の応用的な価値がわかると思われる。テキスト「疫学」では第4章の後半に触れられている。また,理論疫学については感染症の疫学がベースになっているので,第16章も参照されたい。
"A Dictionary of Epidemiology" には出てこない単語である。定まった概念があるわけではないが,既に明確な危険因子やライフスタイル因子が明らかにされ因果関係が確立されたものと考えられる古典的な研究を古典疫学と呼ぶことがある。フラミンガム研究による虚血性心疾患,日本における脳卒中の疫学など。喫煙と肺がんの関係もここに含まれるであろう。既に因果関係が確立したものをさらに研究する意味は,予防対策の定量的効果を調べる点にある場合が多い。つまり古典疫学の対象に介入研究をすることは現在でもありうる。
広義の遺伝疫学に含まれる。分子レベルでリスクファクターと疾病の因果関係を探る研究分野。ヒトゲノムプロジェクト完了が近づくにつれてゲノム疫学へ発展。新しい方法論が必要(開発されつつあるがまだ不十分。個人情報保護とのコンフリクトという問題もある)。遺伝子がわかったからといって形質発現がわかるとは限らない点も問題。
(注)テキストに載っているRFLPとはRestriction Fragment Length Polymorphismの略で,日本語では制限断片長多型と訳す。制限酵素でDNAを切った時の断片の長さにより,DNAの塩基配列パタンを区別するものである。現在ではDNAシークエンサという機械によって,簡単に安く塩基配列を直接読みとれるようになったので,そちらが多用されるようになっている。
家系単位でのcommon diseaseの分析が主。必ずしも分子レベルでのメカニズムがわからなくても,家族集積性を分析することで遺伝様式を明らかにすることができる。遺伝要因と環境要因の交互作用と疾病発生の関係なども対象で,例えば双生児研究によって,同じ遺伝子をもっていても環境が異なると発症リスクがどうなるかを明らかにすることができる。Genetic Epidemiologyという専門誌があるが,最近の掲載論文は統計解析手法の開発や評価に関するものが多いようである。
狭義では,病原体に対する血清中の特異的な抗体のレベルを測定することによって,その疾患への個人個人の罹患の程度を調べたり,集団レベルでの抗体価の分布を調べることによって,集団レベルでの流行状況を推定したりする研究を指していう。
広義では,集団を対象に採血を行い,血清の分析によって集団の健康状態に関する指標を得たり,リスク因子の推定をしたり,それらの関連を見たり,集団間で指標値を比較することでリスク評価をしたりする研究分野を含んでいう。
例えば,抗マラリア抗体価の測定により,地域的に異なる集団間でマラリア流行度を比較したりする研究(*)は(狭義でも広義でも)これにあたる。
* マラリアの血清疫学研究の例
パプアニューギニア西南部低地に居住するギデラと呼ばれる人々は13の村落に分かれて居住しているが,村落の生物的・地理的条件によって,マラリア罹患状況が異なることが血清疫学研究によってわかった。血清中抗マラリア抗体価レベルを測定した結果,蚊の生息密度が最も高いと思われる海岸沿いの村では全員が1:256以上の抗体価を示した一方で,蚊がほとんど気にならない内陸の村では1:64を超える抗体価を示した人は稀であり,川沿いの村はその中間だった。
Nakazawa, M. et al. (1994) Trop. Geogr. Med. 46(6).
いくつか異なる意見があるが,疫学の臨床応用を指す(テキストp.44の説明は,ほぼ"A Dictionary of Epidemiology"の訳である)。
臨床医が患者を対象にして臨床の場で行う疫学。
疫学者が人間集団を対象にして定量的に疾病について得た知見と医師が個々の患者に対して行う意思決定との結合(Paul JR)。
疫学の原理と方法を臨床医学の場での諸問題に適用する学問(Fletcher RH)。
古典疫学の知見を患者を治療する際の意思決定に利用すること(Jenicek M)。
要するにEBMと同じ考え方。費用対効果を考えると医療経済学にもつながる。
外部環境中のリスク因子と健康や疾病の関係の探索。リスク科学とかなり共通している。
リスク因子といっても人為的化学物質ばかりでなく,例えば,気温と死亡の関係がV字型曲線になるという国立環境研の本田靖らの研究などは環境疫学研究の例である(cf. http://www.nies.go.jp/kanko/news/data/16-03-99.html#07)。
ヒトの薬剤服用に関連した事象の分布と規定要因について調べる。
主作用の効能が大きく,副作用をできるだけ予防できることを目指す。
実際には,薬剤疫学の研究は,ほとんどが介入研究(とくにRCT)とその方法論の開発評価である。
"A Dictionary of Epidemiology"には載っていない。食事と長期間の健康状態や病気との関係を調べ,理解することを目的とする研究分野を指す。ハーバード大学公衆衛生学科のProf. Walter Willettによる"Nutritional Epidemiology"という本がOxford Univ. Pressから出ている。
エネルギー摂取量や運動量と栄養状態や成長の関係の研究や,食事調査の方法論の研究(標準的な教科書としてはJelliffe and Jelliffeによって"Community Nutritional Assessment"という本がOxford Univ. Pressから出ている)や,健康的な食習慣を表すための指標作りのような研究も含まれる。
ただし,テレビでよくある「○×は健康にいい」とか「▽□を食べると血圧が下がって血液サラサラになる」式の信仰はFood faddismといって栄養疫学の成果とは区別せねばならない(注:Food faddismについては,高橋久仁子『「食べ物情報」ウソ・ホント』講談社ブルーバックス,を参照されたい)。疫学研究である以上,妥当な対照がとれていることも含めて,きちんとデザインされた研究でなければいけない。
昨今,カスピ海ヨーグルトで有名になってしまった京都大学の家森幸男名誉教授がかつて実施したWHO-CARDIAC研究では,食事調査と同時に24時間尿を集めてNa/K排泄を測っていたし,東京都老人総合研究所の前副所長だった柴田博さんが実施した百歳老人の食習慣調査でも成人一般の食事調査結果を対照として使っている。
古典的な栄養疫学研究の例としては,国別にみた1日当たりの肉の消費量と結腸癌罹患率に強い正の相関が見られたという地域相関研究がある。
食事調査法としては,Stanley J. Ulijaszek and S. S. Stricklandが"Research strategies in human biology" (Cambridge Univ. Press)のまとめを挙げておく。
食事調査法には唯一の理想的な方法は存在しない。必要なデータの質と量に応じて選択するべきである。具体的には,
といったものがある。食物頻度質問紙と食習慣質問紙を除く全てが栄養素摂取量を推定するのに用いられる。食習慣質問紙は,例えば毒物を多く含む可能性がある特定の食物の摂取頻度を推定されるのに用いられることがある(例えば水銀曝露についての魚の摂取)。食物秤量法が最も正確で,次は推定食物記録法であるが,集団レベルでエネルギー摂取量を推定する程度ならば,24時間思い出し法でも十分だとする研究も多い。これらの方法の全てが誤差を含む。秤量は調査期間中の対象者の食物消費行動を変化させがちである。また,年齢と性別は食物・栄養素摂取量の推定に影響を与える可能性がある。
食物の調理法と記録されない非食品も考慮すべき点である。前者は食べられる食物の栄養組成に影響を与え,後者は栄養的に重要な役割を果たすことがある。
可能ならば食事調査は個人ベースで実施すべきとされている。データを後で年齢グループや性別による分類,または世帯間の比較をするために世帯単位での分類もできるからである。世帯レベルで収集されたデータから個人の摂取量を推定することはできない。
"A Dictionary of Epidemiology"には載っていない。主にHIV感染の疫学研究で展開されているSocio-epidemiologyも社会疫学と呼ばれるが,Social EpidemiologyはHarvard Center for Society and Healthを中心にして展開されており,Lisa F. BerkmanとIchiro Kawachiによる"Social Epidemiology"という本において,"the epidemiologic study of the social distribution and social determinants of states of health, implying that the aim is to identify socio-environmental exposures which may be related to a broad range of physical and mental health outcomes"(私訳:健康状態の社会的な分布と社会的決定因子の疫学的研究で,その目的として広範囲の肉体的及び精神的健康面での結果に関連しているかもしれない社会環境面での曝露を同定することを示唆する)と定義されている。社会的状態による病気や健康状態の分布の違いを調べる(言い換えると,健康状態の社会的決定因子を調べる)研究が主であるらしい。
一般にSocio-Economic Status (SES)は交絡因子として考慮されるべきだが,社会疫学ではSES自体の効果を調べることになる。
まだ作成途中のようだが,今後の充実が期待される情報源として,ハーバード大学の林さんによる社会疫学・マルチレベル分析のサイトをリンクしておく。
(2004年2月追記)週刊医学界新聞に掲載された,Prof. Kawachiと日本福祉大近藤教授の対談
感染症伝播モデルが主(もちろん感染症だけではなく,疾病のメカニズムを説明するために数学モデルを用いる研究なら何でもいい)。Reed-Frost型モデル,Kermack-McKendrickモデル(それまでなかった場所への感染症の最初の侵入によく適合することが知られている。dS/dt=-βSI,dI/dt=βSI-γIという2本の微分方程式からなる)など,いろいろなものがある。日本で理論疫学を研究している人は少ないが,Oxford Univ.動物学教室のAndersonとMayのグループが世界で主導的な役割を果たし,学問としては活発な分野の1つである。AndersonとMayによる"Infectious Diseases of Humans" (Oxford Univ. Press)という網羅的な教科書は名著。
感染症が成立するためには3つの要素が重要である。病原体と感染経路と宿主である。これらのすべてが明らかになり,感染環がはっきりしないと,その感染症は理解できないが,そこに至る前でも,その感染症の発生頻度の時空間パタンをみるだけでも,何らかの規則性がみられることがあり,「流行は規則的に見える」→「法則性がわかれば,予測して対策できる可能性がある」→数学モデルの開発へ(メカニズムが正しければ,対策の効果も予測できる)という経路で,モデル開発が行われる場合がある(cf. ハーバード大学公衆衛生学科のMurrayらにより,SARSについてScience誌上に発表された論文)。
感染症については,人口規模との関係,最適病原性の進化や,新興感染症(エボラ出血熱,マールブルグ病,エイズなど),再興感染症(黄熱病など)の基本構造(都市域だけで対策し,一時的に発生率を下げても,ヒトが環境開発や都市域の拡大のために森に入ると,あっという間に患者数が増える)を理解しておく必要がある。
モデルの基本構造を考える上では,感染症を,直接感染する細胞内寄生体によるもの(インフルエンザ,麻疹,AIDS,結核等),細胞外寄生体によるもの(フィラリア,腸管寄生虫など),媒介動物により細胞内寄生体が運ばれて起こる,Vector-Borne Diseaseと呼ばれるもの(マラリア,黄熱病,デング熱など)に分けて考えるとわかりやすい。
マラリアモデルについては別のサイトにまとめた文章があるので参照されたい。
Correspondence to: minato@ypu.jp.