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2011年2月ソロモン諸島往還記

Copyright (C) Minato NAKAZAWA, 2011. Last Update on 2011年7月11日 (月) at 17:30:01.

【第2日目】 涼しいブリスベンの朝から暑いホニアラへ(2011年2月9日)

ボーディングも無事に済み,ブリスベン行きの飛行機もほぼ定刻に飛び立った。大韓航空は優秀だ。キャビンアテンダントさんが韓国語メインで,英語もあまりうまくない(たまたまそういう人に当たっただけかも)のが難で,機内食(晩飯と朝の軽食の2回)の候補が2種類あったのに,自分が選んだものでない方が何だったかが良くわからない(周りを見ていたら,晩飯はビビンバのようなもの,朝食はおかゆのようなものだったが詳細不明)が,それ以外はとくに不便も無かった。ほぼ満席だったが右隣が空席だったのはラッキーだった。ただ,この大韓航空機は座席下のスペースが狭く,荷物を上の棚に載せるしかなかったので,途中コンピュータを出す気になれなかった(注:復路は違ったので,すべてがそういう機体なわけではなく,偶々運が悪かったのだろう)。この便でもメディアサービスは各座席についているディスプレイで,映画や音楽のメニューはたぶん成田=ソウルと同じでREDが入っていたので,わりと早い時間帯にREDの続きを見てから,MORNING GLORYという映画を見た。テレビのモーニングショウのディレクターとして奮闘する若い女性が主人公で,ハリソン・フォードが演じる偏屈でプライドが高い老ニュースキャスターもいい味を出していた。後は仕事をするのは諦めたので,JAZZを小さな音で聴きながら眠っていた。

ブリスベン到着もほぼ定刻通りであった。乗継ぎ客が自分以外にはたぶん1人しかいなかった。しかも,それは,ポートモレスビーに向かうという,日本オセアニア学会会長の吉岡さんであった。何という偶然だろう。驚いた。20年ぶりのパプアニューギニアだそうだ。最近は非常に危険らしいので一人では出歩くなとか一人でバスに乗るなと言われたけれども,それではどこも行けないなあという話をされていた。誰か現地の人にエスコートしてもらうしかないということだろう。まあ1996年とかでも強盗団は跳梁跋扈していて,似たようなことは言われていたし,実際にぼくも夕方頃にボロコ地区という中心市街地のスーパーの前を一人で歩いていたら,親切な現地の人が近寄ってきて,こんなところを一人で歩いていちゃダメだ,強盗団に取り囲まれてあっという間に暗がりに連れ込まれて,身ぐるみ剥がされてしまうぞ,と警告されたことがあったっけ。

ポートモレスビー行きはトランジットカウンターでの扱いがあるのだが,ホニアラ行きは例によって直接ゲートに行けと言われたので行ってみると,まだ3時間以上あるので当然だが,ゲートは無人であった。仕方ないのでトランジットカウンターの近くに戻ってコンピュータを開いた。電波状態が安定せず,メール受信ができないので,とりあえずこのメモを打ってみた。1時間くらい経ったところで吉岡さんと別れ,ゲートの近くに移動したが,同じ81番ゲートからNZのウェリントン行きが先に出るらしく,カウンターにはその関係者しかいなかった。聞いてみたのだが,まだ早いから後で来いと言われてしまった。

その後暫くコンピュータを開いて作業していたのだが,8:00を過ぎてウェリントン行きが81番ゲートを出てしまっても,ソロモン航空の人々が来る気配がない。まったくない。だいたい,一応ジェットではあるが,あんな小さな飛行機にこんな空港のど真ん中のいいゲートを使わせてもらえるわけがなかったのだ。どこまで歩かされるのだろうと恐れつつ電光掲示板を見てみると,不幸中の幸いというべきか,隣の82番ゲートに変わっただけであった。で,82番ゲートに行ってみると,これがまた無人なのだ。だいたい飛行機が来ていない。仕方ないので,4ドル20セントのカフェラテ(そこそこ美味であった)を買って飲みながら,82番ゲート近くの椅子に座って,飛行機が来るのを待つことにした。

10分くらい待つとStrategicというロゴが機体に入った,他の飛行機より2回りくらい小さい,いつものジェット機が来た。それからさらに10分待って,漸く係員が82番ゲートにやってきた。去年張り切っていた若い男性ではなく,中年(と思われる)白人女性であった。コンピュータが起動するまで少し待ってね,といいながら端末を操作すること2分くらいだったか,本当にこのコンピュータは遅くてね,と言い訳していたが,コンピュータが起動してからのチェックイン作業はスムーズだった。もっとも,乗客一覧表をパスポートと照合チェックし,成田からスルーになっている荷物1個を(1個だけね,と確認して)コンピュータでチェックし,既に用意されていたチケットをくれるだけなので,スムーズで当然なのだけれども,かつて手際の悪い係員に当たった時は,この作業だけでも30分とかいうこともあったので,油断はできないのだ。

無事にチェックインできて,ボーディングまで35分の余裕があったので,トイレに行ってから,再びコンピュータを開いてYes Optusへの接続を試みた。去年9月に登録したので,ユーザIDとパスワードと使用時間を入力するだけで使えるはずなのだが,どうも回線が不安定らしく,なかなか接続できない。試行錯誤しているうちにボーディング開始時刻の10分前になってしまった。今日はブリスベンでの接続は無理かも。メールだけでも見たいのだが……。

結局,Yes Optusのログイン画面までは行くのだが,30分使う設定にして[Next]をクリックするとThe service is temporally unavailable. Please try later again.とかいうメッセージが出るという空しい反復作業をしただけでFinal boarding callがアナウンスされてしまったのでネット接続は諦め,ボーディングゲートを通った。この飛行機は小さいのだが座席の下は十分に広く,コンピュータが入っているザックを仕舞うことができた。それで,ドリンクサービスで貰ったトマトジュースを飲んでしまってから,こうしてY5を開いている。少しは仕事をしておこう。

ほどなく着陸が近いというアナウンスが入ったのでY5を閉じた。着陸はほぼ予定通りの時刻だった。入国審査も検疫も税関もほとんど問題なく通れたので,14:15頃には外に出ることができた。我々の調査とワークショップのカウンターパートであるNHTRI(注:National Health Training and Research Instituteの略で,ニットリとかナットリと発音するそうだ)のFさんに,可能だったら迎えに来てほしいとメールしておいたので少し待ってみたが,来なかった。きっと忙しいのだろうと思われたので,諦めて14:25頃タクシーに乗った。メンダナホテルに着いてチェックインし(222号室),荷物を置いて再び外出したのは15:00頃だっただろうか。道路が渋滞していたせいか,意外に時間が経っていて,NHTRIが入っている建物に着いたら15:30だった。ちょうど外にVector-Borne Disease Control SectionのA氏がいたので挨拶して来週のワークショップをよろしくお願いしますとお伝えしてから,階上に行った。NHTRIにはJさんと新しいDirectorであるD氏がいたが,やはりFさんはいなかった。brotherが亡くなったので葬儀などで不在だという話で,しかし明日は10:00までには来てくれるというので,明日打ち合わせをすることになった。今回のワークショップでは保健省の新しい公衆衛生局長であるT博士にも喋っていただくということになっているし,明日はその方へのご挨拶もしなくてはならない。非常に忙しい人という話なのでD氏にアレンジを頼んで,ダメもとで銀行に寄ってからホテルに戻ることにした。

ANZ Bankが開いていたので入ってみたら,外貨交換は既に終わったとのこと。他のサービスは16:00までらしい。隣のBSPはもう入口にカギがかかっていた。しかたないので銀行に行くのは明日の朝8:30より前にBSPに来ることにして,WINGSスーパーマーケットに行って村に持っていく消耗品(インスタントコーヒーなど)を買った。

疲れ果ててホテルに帰り,充電設定をしてからコーヒーを飲むことにしてテレビをつけたら,MTVでLIVE IN MALAYSIAという番組をやっていて,Wonder Girlsという女性5人組がパフォーマンスしているのだが,どう見てもKARAだった。偽物? それともマレーシアや香港では違うグループ名で活動しているとか?(注:後で知ったところによれば,Wonder GirlsはKARA,少女時代と並んで韓国の三大POP IDOLとも言われている人たちで,KARAとも同じころデビューしていたようだった。が,偶々これまでタワレコなどで目にしたことがあったのがKARAと少女時代だけで,Wonder Girlsは見たことがなかったので,こういう感想になった。しかし五人組女性でライトセクシー路線のポップアイドルという記号として捉えると,やはりWonder GirlsとKARAはまったく区別がつかないのであった)

その後,部屋の電話が鳴ったので出てみたら,NHTRIのJさんからだった。D氏がさっきやってみると言っていた保健省公衆衛生局長とのアポが取れて,明日の10時以降ということになったので,銀行に行って日本円TCをソロモンドルに換えてからNHTRIに行ってD氏,Fさんと合流し,皆で保健省のDIRECTORに会いに行くといいだろうという内容だった。まあ理想的な展開と言えよう。よくわからないのだがNHTRIの中でも業務分担があって,Jさんはトレーニング系がメインで,調査サポート系の仕事はあまりやっていないらしい。

受話器を置いた後,Y5を起動して無線LAN接続の状態を見てみたら,MENDANA EAST1,2(メンダナホテルには無線LANのルータがたぶん3台あって,EAST1,EAST2とWESTだが,部屋によってはどれも受信できなかったりする)ともかなり良好に入る部屋だった。これはやはりBumblebeeカードを買って来なくてはなるまい。事前にI君から得ていた情報の通り,メンダナの売店では売らなくなっていたので,Telecomに行って来るか。

しかし,Telecomも16:30で閉まっていたのだった。疲れていても続けて動くべきだった。仕方ないのでKING SOLOMON(メンダナとは別の大きなホテル)まで歩いて,250 MBを7日間以内に使うBumblebeeカードを買った。日本で契約しているeconnectが1ヶ月使い放題で380円であることを思うと,1週間で250 SBD(3,000円以上相当)は高いと思うが,alternativeが無いので仕方ない。

夜は,息子と同じ高校の剣道班にお嬢さんが通っているということから知り合いになった北野建設のYさんと,JICAのソロモン事務所にお勤めで,ぼくの妻の勤務先である長野県短期大学のご卒業であるAさん(しかもAさんの妹さんが一時期群馬大学に勤めていて,教職員ソフトボール大会で昭和キャンパスチームのチームメートだったこともある)と,群馬大学保健学科の臨床検査技師のコースをご卒業でJOCVの隊員としてソロモン諸島滞在中の方(申し訳ないがお名前は失念してしまったが,疫学の林先生の授業を受けたことはあるそうだ)と一緒に晩飯を食べた。不思議な縁もあるものだと思いつつ,長野の話と群馬の話で盛り上がった。前橋のSATYと駅前のイトーヨーカドーが潰れた話をしたら,みな一様に驚いていた。Yさんの現場はホニアラから東に暫く行ったところだそうで,ぼくが調査している村に行く途中にあるらしいのだが,これまでTelecomの携帯電話を使っていたけれども,先月,島の東側でBe-mobileの設備増強があったそうで,圧倒的にBe-mobileの方がアンテナが立つので,simカードを換えたそうだ。ぼくもBe-mobileの携帯電話を買おうと決意したのは,大きな収穫であった。また,この夜の晩飯はYさんにご馳走になってしまい,大変恐縮した。

その後暫く仕事をしたが睡魔に負けそうだったので,とりあえずシャワーで汗を流すことにした。しかし,222号室は無線LANの入りがいいという利点もあるが,シャワーが霧状にしか出ないという大きな欠点があった。村から戻って来たら別の部屋にしてもらおうと思う。明日は現地時間で8時には動きださねばならないので,日本時間で日付が変わりそうな頃に眠りに着いた。

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Correspondence to: nminato@med.gunma-u.ac.jp.

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