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2014年12月のソロモン諸島弾丸往還記

Copyright (C) Minato NAKAZAWA, 2014. Last Update on 2014年12月27日 (土) at 14:14:04.

【第4日目】 3年ぶりに東タシンボコ訪問(2014年12月21日)

8:00起床。シャワーを浴びてからメール送受信していたら9:00になった。10:00頃に迎えが来ることになっているので,朝食はどうしようかなあ。

2014年12月21日の朝食。ソロモン諸島のファストフードとりあえず9:10頃にメンダナホテルから歩いて5分くらいのところにあるファストフード屋に朝食を買いに行ってきた。キーマカレー入りのトルティーヤのようなものとミネラルウォータで21 SBD(400円弱)とは,安かったと思う。ちなみにフィッシュアンドチップスは25 SBDだった。

食べた後,出発の準備をして待っていたが,10:00を過ぎ,10:30を過ぎても迎えが来ないので,メール送受信とか,某査読の続きとか。11:20頃に漸くVBDCPのA氏(昨夜来なかったのは家族サービスだったらしい)から電話があり,ホテルのレセプションに着いたというので,10分で行くと返事した。査読の続きを切り上げてレセプションに行くと,A氏が待っていたので,簡単に計画を説明した。州政府の担当者F氏を連れてきてくれて,彼がすべてアレンジしてくれるということだった。F氏と話してみると,わりとこういう契約に慣れている感じで,とりあえず今日は村に許可を貰いに行って,OKが得られたら明日チームをアレンジしていくということで合意が得られた。正式にはMOUを書面で結ぶべきだが,とりあえずは1990年代,2006年から2011年とマラリアチェックを続けてきた場所で,そのフォローアップとデングウイルスのチェックをしたい(してほしい)という主旨は理解して貰えた。F氏自身は用があって,今日はつきあえないということで,Aola出身のドライバーH氏を連れてきてくれていた。車は州政府当局のを貸してくれたので,基本的には燃料費とドライバーへの謝金だけ払えば良いとのこと(日曜に働かせると謝金を3倍払わねばならないという決まりは変わっていなかったが,基本レートは値上がりしていなくて良かった)。

まずガソリンスタンドに行って400 SBD分の燃料を入れ,日曜でも開いている店に行って水とパンと缶詰を買い,50 SBD分のTop Upをしてからタシンボコに向かった。バリスナ川もベランデ川も堆積した流木という形で洪水の爪痕がまだ残っていたし,送電線もNguviaよりずっと手前で切れたままだった(これは紛争で壊された後,復旧されないまま)。ベランデ川にかかる橋を渡った後の悪路っぷりも3年前と変わらなかったが,1時間半くらいで無事に村に着いた。人影がなくて焦ったが,昼寝をしている人が多かったようで,長老の1人が亡くなっていたり,一つの家が娘の住んでいる別の集落に移住していたり,昔からの友人である神父がバスターミナルになっている集落に転居していたりという変化はあったが,概ね皆変わりなく元気であることがわかって良かった。起きてきてくれたE氏らと喋ったところ,明日のマラリアチェックは何の問題も無くOKされた。広報もしておいてくれるそうだ。念のために移住した要人にも話を通しておこうと思い,帰り道にそれぞれの集落に寄ってみたら,娘の所に移住した長老は不在だったが,神父には無事に会うことができた。電話番号も教えてもらったが,残念ながらメールアドレスはないとのこと。もう一つの問題は,ベランデ川より東に行くとOur Telekomの電波はほとんど絶望的に弱くなってしまうということ。bmobileの方がマシだった気がするが仕方ない。

ホテルに帰り着いたのは16:00過ぎだった。結局昼飯を食べる暇が無かったが,村で貰ったスイカ一切れと,ミネラルウォータだけでは足りないので,ホテルの売店でニュージーランド製のアイスクリームと炭酸飲料を買って血糖値を上げてごまかした。部屋に戻ってメールを見ようとしたが,昨日のWiFi契約が切れていたので,coviaでのテザリングを試してみたら,あっさり通ってしまった。ホテルのWiFiと違って時間制限がなく,完全従量制なのがいい。ホニアラの通信環境は素晴らしく改善したといえるが,これで調子に乗って使っていると,また通話料が切れてしまうので,最小限のメール送受信だけしてからテザリングを切り,gmailの自動同期も切り,2Gの設定にした。F氏に何度か電話したがつながらないので待ち受けするためだ。*121#に電話を掛けると残高が返ってくるのだが,3Gでは飛ぶように減っていた通話料(といっても,10分ほどで数メガバイトの転送をして5 SBD=約100円減るくらいだが)が2Gで待ち受けしている限りはほとんど減らない。当たり前か。

結局,F氏から電話が掛かってきたのは17:15頃だった。村でOKを貰ったことを説明し,明日の計画について相談したところ,9:00に迎えに来てくれることになった。もっと早い方がいいような気もするが仕方がない。というか,言った通りの時刻に来てくれるかどうかが問題なのだが。

晩飯までは今日撮ってきた写真の処理と,某査読の続きと,人口学会から再オーダーされてきた仕事をしていた。どれも終わらなかったが,19:30になろうとしているので,とりあえずホテルのレストランに行こうと思う。

ポークチョップのペパーソース掛けに煮野菜と生野菜とジャガイモのホイル焼きの付け合わせというメニューを頼んだが,やや肉が硬いけれども美味であった。食後のコーヒーを飲みつつ某査読を済ませてから部屋に戻った。

軍師官兵衛の最終回を見ながら仕事。最後まで見応えがある,いいエンディングだった。メンダナホテル泊のおかげでNHKワールドを見られるのはラッキーだった。

いろいろ終わったところで1:00なので眠る。

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