山口県立大学関連)| 看護学部 | 中澤 港

2000年春のソロモン諸島往還記

Copyright (C) Minato NAKAZAWA, 2000-2003. Last Update on July 29, 2003 (TUE) 22:08 .

調査内容については,プロジェクトの公式サイトを参照されたい。ガダルカナル・マライタ民族紛争については,下記のサイトが参考になる。

サイト名説明
「Hemi oraet nomoa!」筑波大学・関根さんのサイト。日本語の情報としては最も詳しい。とくに,『ガダルカナル島における「民族紛争」について』は参考になる。
「宮内泰介のページ」北海道大学・宮内さんのサイト。とくに,『ソロモン倶楽部』が参考になる。
大介研究室北九州大学・竹川さんのサイト。とくに「ソロモンタイム」「ソロモン諸島のイルカ漁」は素晴らしい。
Headline news from SIBCソロモン諸島放送局のニュースヘッドライン(英文)
EthnicTension on Guadalcanalハワイ大学の人がガダルカナル島,マライタ島両島民の古くからの確執をまとめているページ(英文)
Solomons Todayラジオ・オーストラリアのソロモン諸島ニュース(英文)。2000年当時の紛争についてまとめたページがアーカイヴされている。

出国はいつもドタバタと

2000年3月7日18:10,予定通りとはいえ,ばたばたと荷物を詰め込んで出発。教授は会議とかで挨拶できず。まあいいか,10日間だし。京成上野まで歩いて,18:30頃到着。18:40発のイブニングライナーに乗るために並んで(待ち行列は10人くらい),チケットを買う。1920円かと思っていたら,イブニングライナーは1400円だった。ラッキーかも。車内で,成田とブリスベンで出す必要がある書類(カード状のもの)にチェックを入れるが,長野新幹線に比べるとかなり揺れるので書きにくい。サインはさすがに運転中は失敗しそうなので,日暮里とか青砥とかに停まった瞬間を利用してする。いつものことだが,記入項目に悩む点が多々ある。後でデジカメで写しておこう。

今回,リバーサルフィルム24枚撮りを10本持ってきたわけだが,カメラはOZ-1パノラマとデジカメにしたので,メモ的にはデジカメを活用する予定。まあ,100枚以上撮れるから十分だろう。紙に手書きしたものを手渡すときも,コピー代わりに使えることを期待している。単三乾電池はホニアラでも買えた筈だが,ブリスベンで買っておくのが吉かも。

しかる後,おもむろにvaioノートを取り出して打っているわけだが,これくらい揺れると結構疲れるものであることがわかった。現在八千代台に停まっているところである。しかしさすがに大容量バッテリーで,消耗が少ないので安心して打てるのは利点である。

21:00頃,B74ゲート内待合所で再びvaioを開いた。ここまで着てきた分厚い冬のコートはどうするかと悩んだが,手荷物一時預かり所で10日間まで衣類は1着1650円ということがわかったので,預けた(支払いは受け取り時)。難点は,3階出発カウンター脇の預けた場所まで,帰国時に取りに行かねばならないということ。Fカウンターにてチェックイン,一応スルーできるか訊いてみたが,ブリスベン滞在が長すぎるし,航空会社も変わるので一度出して欲しいとのこと。まあ仕方ないか。貴重な荷物(vaioを含む)だけもって,階上のラ・フィエスタとかいう屋台形式のところでネギトロ丼を食べ,本屋で「ハサミ男」を購入。階下へ降りてきたところというわけだ。たったいま,エグゼクティブクラスからボーディングが始まった。この機はJAL761とQF360の共同運行である。一般もOKというアナウンスが流れたのでここで一旦とめる。



ブリスベンでは大雨に濡れながら

Brisbane Transit Center

Brisbane空港に8日8:00頃着(時差が1時間あるので,日本時間では7:00頃)。急げば8:00発のCoachに間に合うかもしれないが,トイレに行ったりTRAVELEXで現金2万円をオーストラリアドルに換金したり(日本で換えるよりレートはよい,というか一般論として,相手が大量にもっているものと交換する方がレートはよい。トラベラーズチェックの方がもっとレートはよいが,少額の場合チェックを作る手間と手数料を考えれば,現金でもいいように思う),ロッカーに荷物を入れたり(1日5オーストラリアドル,カード式)していたら8:32となったので,Travel InfoでBrisbane Transit Center(以下BNE-TCと略す)行き(City Centerといえば通じる)のバス(Coach)のチケット(7.50オーストラリアドル)を買い,8:45発に乗り込む。バスはどこでもそうだが,あまり親切ではない。ともかく終点まで乗ればよいので,行きは問題なかったが,帰りにそのことを嫌というほど思い知ることになった。BNE-TCに着いて,チケットカウンターでTime Tableを入手したところ,45分おきに出ていることがわかったので,帰りは17:45発のバスに乗ることを心に決めた。


モールへ行こうと階段を下りたところにSUBWAYがあって,Full Lengthのミートボール5.25オーストラリアドルを買い,コーヒーも買って食べて行こうと思ったらコーヒーメーカーが壊れているというので仕方なくミートボールを持って外へ出た。モールにある屋台風の店で生オレンジジュース3.60オーストラリアドルを買い,そこらのベンチで朝食をとる。モールをふらふらと歩き回るうちに肩が痛くなってきたので,Myerで49.95オーストラリアドルで売られていたビジネス用のリュックを買い,荷物を詰め替えてから隣のWinter Gardenの地下に行って,ヘアカットをした。14.95オーストラリアドル(1200円くらい)と廉価。さらにモール近辺をふらついていたら昼を過ぎたのでCole'sというスーパーマーケットに入って1Lジュース,パン,ハム,チーズ,サラダ,塩,チューインガム,コーヒーバッグを買い(総額約19オーストラリアドル),ジュースを飲んだ。即席サンドイッチを作って食べるべく場所を探すが,買い物をしているうちに降った雨のせいで座る場所が見つからない。市役所あたりに行くと楽しげなリズムが流れてきたので,見ると,ムクワジュアンサンブルのようなパーカッションバンドが演奏しているのだった。いいなあ,楽しそうだなあと思いながらも2曲ほどでそこを離れ,市役所前のバス停のベンチでサンドイッチを作って食べた。市役所裏手の地下には市立図書館もあったのだが規模が小さいので,クイーンズランド州立図書館に向かった。

初めは小雨だったのだが,橋の途中で嵐になり,後ろから歩いてきた人の傘に入れて貰った。が,州立図書館に着くまでに大分濡れた。しまった,傘をロッカーに入れるのじゃなかったと後悔(後ほどもう一度深く後悔することになる)。でも朝は晴れていたからなあ。

さて州立図書館は誰でも入れるのだが,袋物は持ち込みできないので,1階のロッカーに荷物を詰め込む必要があった。ここのロッカーは1オーストラリアドルで使え,しかもその1ドルはリファンドされる。この方法は長野市立図書館と同じである。州立図書館はかなり規模が大きいので今回の研究テーマに関連した専門書を探してみたら,かなり参考になりそうな本があった。ここのコピー機はPSUのものと似ていて,追加入金可能なプラスティック製磁気カードであり,実に使いやすい。OPACのようなもので文献を検索したところ,見つかったものは下記の通り。

  1. Bennett, J.A. (1987) Pacific-Island Monograph Series No.3 Wealth of the Solomons, Univ. Hawaii Press.
  2. Moore, C. (1985) KANAKA: A History of Melanesian Mackay, Inst. PNG Press.
  3. Keesing, R.M. (1981) Lightning Meets the West Wind: The Malaita Massacne, Oxford Univ. Press.

ちなみに,今回の研究テーマは,開発や援助といった外部からの力と伝統的地域社会がいかにうまくつきあっていくのかを探るということである。言い換えれば,開発や援助をする側がどこにどのように気をつけるべきかということを,住民の側から考えるということである。うまくいっている事例なら,なぜうまくいっているのかを探れば良いし,うまくいっていないならば,どこが悪いのかを調べれば良い。これまでやってきた研究に比べると,かなり生活に密着した生々しい部分が多く含まれるし,責任も重大であるが,それだけやりがいがあるようにも思う。

上記3冊のそれぞれ一部分ずつコピーをとったら,BNE-TCに向かわねばならない時間になったので,本をカートに戻して外へ出た。こんなことならモールをふらついたりせず,図書館に直行すべきであったかとちょっと悔やんだが後の祭りであった。まあ主要な部分はコピーがとれたからいいとしよう。

図書館を出てからは,まっすぐBNE-TCに行き,バスのチケットを買う。5:25頃買ったので,5:45発のチケットになった。ところが,乗る人が少なかったために,大型バスはどこかへ行ってしまい,マイクロバスになったのみならず,乗客の大半が国内線ターミナルで降りてしまったため,寝ぼけていたぼくがつられて降りてしまったら,気が付いて国際線ターミナルまでだったとチケットを見せても二度と乗せてもらえなかったのだった。恥ずかしい失敗であるが,バスなら5分の距離なので歩くことにした。この判断は間違っていなかったと思う。ただし,天気が良ければの話だ。途中でスコールがやってきて,ずぶぬれになったのは誤算だった。意地を張らずに素直にもういちどターミナル間のチケットを買えば,こんな目には遭わなかったであろう。いや,寝ぼけて降りてしまったのが最大の失敗だが。

教訓:たとえエアポートとバスターミナルという短い間でも,バスのアナウンスはしっかり聞こう。

とはいえ,時間的には余裕があり,ロッカーから荷物を出して着替え,詰め直してチェックインしたのが7:15,つまり出発2時間前であった。それゆえ,残りのパン,サラダ,ハム,チーズを全部使ってサンドイッチを作って平らげてから,出国手続きもすべて完了した今,コーヒーなど飲みながらvaioを開いているわけである。



ホニアラに着いてみて

ホニアラ到着は予定通り(5分遅れくらい)9日1時過ぎ(ブリスベンと時差が1時間あるので,日本時間ではまだ8日23時過ぎ)。ビザの取得は案ずるより生むが易しで,帰りのチケットを見せ,知人を訪問するといってJICA/JOCVオフィスで働いているFさんの名前を言ったら簡単にスタンプを押してくれた。しかし,外に出たらもう2:00近く,空港で会えるだろうと言っていたニッポンニッキ(2003年注記:当時あったユニークなメーリングリストだったが,2002年に消滅した)主宰の竹川大介さんは,たぶん既に飛行機にチェックインしてしまったのだろう,姿が見えなかった。メンダナホテルのマイクロバスは簡単に見つかり,乗って15分くらいか,ホテルでチェックインも簡単に済み,301号室へ入る。ブリスベンで濡れた服など,汚れ物を洗いながらシャワーを浴びて就寝。

就寝前の一こま。歯磨きをしながらテレビをつけたら,メンダナでは,リアルタイムでNHK総合が見えるのだった。衛星放送なのだろうか? それともケーブルで配信しているのか? 以前は1日のうち数時間だけ,しかもタイムラグがあったような気がするが,今は画質も完璧である。もうひとつ書いておくと,秋葉原で買った電源コネクタの形が間違っていて,シェイバー用のコネクタにしかささらないことが分かったので,このvaioは寝ている間にシェイバー用コネクタにつないで充電しておくことにした。コネクタの形がハの字型(あるいはその間にアースの縦棒が入った3極型)であることなどとっくに知っていた筈なのに,何で間違った丸いプラグを買ってしまったのか,我ながらよくわからない。おおぼけである。

City center of Honiara

朝は寝坊して9:00近かったので,朝食は抜くことにして,まずはANZ Bankに行って日本円をソロモンドルに替え,次いでSolomon Airlinesに行って国内線チケットを買い(3人分),JICA/JOCVオフィスでFさんに会って話をきいてから食事をしていたら大使館の人たちに偶然会って,危険地域の情報などを伝えたいと言われたので,大使館に赴いたらスタッフミーティングの途中だった。3時には会えると言われたので一旦メンダナに戻って,プロジェクト概要を英語でも書いておくことにした。14:45に再びメンダナを出て大使館へ。今度は無事に宮本一等書記官兼領事に会えた。安全情報とその入手方法を聞いた。ともかく,滞在日程,場所などを,FAXででも入れておけば,緊急時に対応ができるので,できたらそうしてほしいということだった。考えてみればもっともなことなので,了承。(右写真は大使館前のホニアラ市中心部)


結局全然予定が立たないのだが,ホニアラにとどまっていても仕方がないので,とりあえずマライタ島に飛んでみることにした。Auki(マライタ州の州都)の宿をとっておいた方がよかろうというので,メンダナホテルのフロントで依頼すると,アレンジしてくれるという男がいたので頼んでしまった。疲れ果てて眠っていたら電話があり,アレンジはできてAuki Lodgeのブッキングと送迎バスを確保したとのこと。18:10くらいだったか。食後,フロントでAukiに行くときの足について聞いたら,ヘンダーソンへ行くバスは運行が怪しいので,タクシーをアレンジした方がいいという話。Auki Lodgeをアレンジしてくれたのと同じ男に頼んでしまった。14:45にピックアップしてくれるとのこと。



雨ばかりのマライタ島で丸山茂徳先生に偶然出会う

10日8:00起床。暑さに適応できていないのか,眠い。Auki行きまでの間,荷物を預けて歩き回るか。チェックアウト後,荷物を預けて航空券を変更してからJICAのオフィスへ来て,これまでに聞いたことのまとめ。さすがにJICAのオフィスだけあって,多くの日本人に会った。

13:00頃メンダナに戻ってスパゲティとエスプレッソの昼食をとり,14:45まで暇つぶし。アレンジしてもらった運転手は14:45ちょっと前に現れ,ちゃんとヘンダーソン空港まで連れていってくれた。時間的には完璧であった。30ソロモンドルという料金が安いのか高いのかはわからないが,まあ呼び出しなわけだし,間違いなく日本の750円よりは長距離を走っているから,リーズナブルではあるまいか。石油が輸入品であるのは日本もソロモンも同じだから。

チェックインは何事もなく済んだが,あまりに何もアナウンスがないので,ややじれったい。実はぼくの前にチェックインした小柄なおっちゃんが,Auki Lodgeの支配人だったことを後で知った。16:00離陸し,25分のフライトでAukiのAirportに着いた。AirportはAukiの町からバスで15分くらいのところにある。Auki Lodgeのバスが迎えに来ていて,支配人のおっちゃんと2人で乗り込む。部屋は8つあるのだが,6番のエアコン付きの部屋をあてがわれた。8番も同じエアコン付きだが,値段が100ソロモンドル高いということを,8番に泊まっていた東工大の丸山先生から伺った。

そう,丸山茂徳先生がいらしたのだ。本来ならとっくに山に入っている筈だが,雨のせいでBinalというところの橋が水没していて予定が延びていたということだ。たぶん丸山先生の研究室においてぼくと似たような立場なのであろう小宮さんという人と,ホニアラのMinistry of MiningのGeology Divisionから派遣されたという3人の男性と一緒に,Auki Lodgeに泊まっていたのである。夕食をとっていたら小宮さんから「日本人の方ですか?」と声をかけられ,同席して夕食をとり,その後も部屋に押し掛けて話をしてしまった。地球上のあらゆるところから岩石を持ち帰って全地球史を語るという研究をされているので,ここマライタでも数百キログラムの岩石を持ち帰るつもりだということだった。興味深い話をいろいろされたが,マライタはイサベルと同じくオントンジャヴァを中心とする台地状の陸塊の辺縁部にあるとのこと。1億2千万年前に現在のタヒチあたりで浮き上がり,途中何度かマグマだまりの上を通って特異的な岩石を吹き上げながら(中にはダイヤモンドを含む鉱石があるとのこと,ただし含有量が低いのでビジネス的にはペイしないだろうとのことだった)プルームが移動してきたという話のスケールの大きさはさすが丸山先生である。ガダルカナルやニュージョージアはPNG南側と同じくオーストラリアのプルームに乗っているとか,PNG中央の山地はオーストラリアに押し上げられたけれどオーストラリアは東西方向に動いているので特異的だとか,面白い話が多く,これはいつの日かオセアニア学会でしゃべって欲しいものであると思った。

他にもサイエンス・ウォーズとか科学者の説明責任とかいろいろ話したが,面白い方であった。駒場で地学実習を指導していただいた角和先生と大島先生をご存じだったのは意外だった。日本茶を淹れていただいたりして,盛り上がったのだった。明日も6:00に出かけてみるというので,23:00頃部屋を辞去。



製材所を見てほっとしたところで酔っぱらいにたかられる

11日。朝食後,9:00前に支配人が呼んできたタクシードライバーと商談成立。150ソロモンドルで目的地まで往復。最初の言い値は250ソロモンドルだったが,ちょっと渋ったらすぐに100ソロモンドルのディスカウントになった。ここではタクシーに決まった値段などなく,すべては交渉次第なのだ。あまり値切っても良くないのだが,だいたいの相場がこのくらいだということを地元の人から聞いていたので,渋ってみたわけである。日本円で考えると,片道2時間かかるタクシーに乗って,4000円弱というのは破格の安さではあるのだが。

9:00過ぎに出発。途中も何度か止めてもらって,写真を撮りながらいく。ドライバーはホニアラで勤めていたが,去年の騒動で引き上げてきてタクシー運転の自営になったので,JOBLESS MANと自称している愉快な男であり,なかなか有能なガイドでもあった。ちなみに,彼らの感覚では,被雇用のみがJOBなのだそうだ。

A sawmill at Northern Malaita

JICA事務所で預かった伝言を伝えるため,北大の宮内さんが入っている村に行ったので,伐採をしているところはないか聞いてみたら,近くにあるというので案内してもらうことになった。村からちょっと北に川を2本ばかり渡ったところに,内陸に入っていく林道があり,そこを登っていくと製材所(右写真)があった。製材所より奥には入れなかったが,マレーシア系の駐在マネージャから話を聞けたし,製材所の様子は見られたので,とりあえずほっとして宿に戻った。夕食は6:40頃ダイニングへ行ったら,今日は大きなパーティがあるので別の場所にしてくれといわれ,テレビがある宿舎のロビーでとった。ローストチキン定食,ファンタ,コーヒーでしめて48ソロモンドル。味は,まあこんなものでしょう。


やばい。酔っぱらいに絡まれてしまった。自称高校教師,人文地理の学位をもっているという小太りの男で,どこからかぼくの話をききつけたらしく,Dr. NAKAZAWA, Univ. Tokyoと書いたメモを持ってきたのだ。自分はレポートを書くのがうまいから後で環境問題や森林伐採についてのレポートを日本に送ってやるとか,Master Degreeが欲しいので研究したいなどと口では言っていたが,ADBのScholarshipにapplyしてはどうかと言ってもあまり関心を示さず,バーに行ってビールを飲もう,自分は遠路はるばる50ソロモンドルも払ってやってきたので金はないからSolbrew(ソロモン諸島のビール)を1杯か2杯おごってくれ,そうしたらもっと話ができるというので,これは怪しいかなと思いながら,じゃあ9時まで45分くらいだけど,といいながらバーに行ったわけである。すると,昼間ちょっと話をした20歳独身の兄ちゃんがここでバーテンダーをしていて,ちょっと会いたがっている人がいるからという口実でぼくを引っぱり出してくれて,こいつは札付きのたかりだから飲ませちゃ駄目だ,Auki Lodgeとしてはゲストがそんな目に会うのを黙っているわけにはいかない,というのでバーに戻って「急用を思い出した」といって逃げようとした。すると,突然,男の態度が豹変した。たかりの本性を現してSolbrewを1杯か2杯,自分のために置いて行けとひきとめるのだ。お前などいなくていいからビールだけ飲ませろ,というのも当初の口実からすると相当変な話ではあるが,もしかしたら酒癖が悪いだけで,本当に環境問題に関心があるのかもしれない(あまり真剣に考えているとは思えなかったが)。しかもアドレスとか名前を教えているのであまり敵にしたくはなかったのだが,バーテンダー兄ちゃんが目顔で相手にするなというのを信じてSorry I have no timeを繰り返して去った。結局彼は,お前のようなやつが1日だけ出かけて書くレポートなどに真実はない,よくある環境団体と同じだ,自分がここに来たのは時間と金の浪費だったと捨てぜりふを残し,自分の金でSolbrewを飲むことにしたらしい。たしかに1日で何が分かるわけではないというのは真実で,そんなのでレポートを書くつもりはない,といっておいたが,彼は既にloose temperしていて聞く耳持たぬといった風情。外に出たところ,別の客(か店員かわからないがバーにいた人)が心配して着いてきて,自分がビール1杯の金なら出そうかなどといってくれたが,いや,ぼくはビールなどいらないんだ,ただ時間がないということだと説明して部屋に戻ってきたところ。別にビール1杯くらいの金は惜しくないのだが,子どもたちの写真を見てかわいいねといってくれたLodgeの兄ちゃんを信じたということである。1杯おごるという選択もありだっただろうか? どちらを信じるのか,あるいは,どちらの側に立つべきか? という問題なのだが,難しいところである。

考えてみれば,バーテンダー兄ちゃんが引っぱり出して注意してくれた後で,のこのことバーに戻ったのが失敗で,兄ちゃんに,急用ができて行ってしまったと伝言を頼めばよかったのだ。どうも危機管理意識が我ながら惚けているようだ。

しかしこうやってAukiでも記録が打てるのはバッテリーLを買ったかいがあったというものだ。もっとも,ソケットアダプタさえ間違えなければAC接続で使い放題なのだから,そんなに威張れたものじゃないのだが。このAuki Lodgeという宿は,よくできている。紹介者がいいのかもしれないが,ぼくがタクシーで遠征している間に飛行機のリコンファームもやっておいてくれたし,明日の朝もバスで飛行場までちゃんと送ってくれると言っている。クーラーもばりばりに利く。これで本当に1泊150ソロモンドルであるならば素晴らしいと思う。深夜,ベッドに横になっていると,激しい雨音がする。丸山先生たちは,川は何とか渡れたにしても野宿をしている筈だから,大変だろう。キャンプが流されたりしないだろうかと,やや心配である。余計なお世話か。



セスナみたいな小型機でホニアラに戻る

Small Airplane

12日朝7:00に起きて着替えをし,7:20頃から朝食。Auki Lodgeの支配人が同席。とても気を遣ってくれる。8:00直前に会計を済ませる。結局1泊130ソロモンドルで,思った以上に安かった。まあ水が時々出なかったというのはあるのだが,この安さなら仕方ないだろう。支配人がバイロがないというので,何故かたくさん持ってきている東京大学ボールペンを進呈する。感激した支配人が昨夜の兄ちゃんに鍵を託して,自ら飛行場まで運転してくれた。兄ちゃんに,昨夜はありがとうといったら,親指を立ててグー! というサイン。飛行場に着いたのは8:20だったが,Auki発の場合,直前でも大丈夫らしい。体重を量って荷物を預け,飛行機を待つ。やってきた飛行機は双発だが10席(たぶん荷物を減らせば14席までいけるタイプ)のセスナみたいなやつ(右写真)。PNGではお馴染みだが,AukiとHoniaraは25分しかないので,これでいいのだろう。窓から虹が見える。雲の中を上がったり降りたりするので,機がガタガタ揺れるのはあまりぞっとしない。


ヘンダーソン空港に着いてトイレに入っていたら,誰もいなくなってしまい,荷物もない。やや,しまったぞと思ってそこにいた空港職員に聞いたら,あっちにBaggage Reclaimがあるから行ってくれといわれる。3つ向こうの部屋に行って,トイレにいた間にmy luggageを取りそびれてしまった,これがそうだ,と説明しながら指さしたら,どうぞもっていけと言われ,難なく荷物を手にすることができた。よしよし。しかしこんなところにも危機管理意識のボケが現れているのはまずいなあ。

外に出てバスを探そうかと思ったが,荷物が無駄に多いので詰め直していたところ,タクシーが寄ってきて「乗るかい?」と聞いてきた。「メンダナに行くんだけどいくらだ?」と聞いたら「協定料金で40だ」というので,「ディスカウントできないか」と聞いたら「いや,協定は50なんだけど特別に40にディスカウントしてるんだ」という。「おかしいなあ,来るときは30だったけど?」と言ったら,仕方ねえなあ,じゃあ30でいいよと苦笑いしてきたこの運ちゃんは,いいやつかもしれない。マライタ出身で,マライタはいいところだったといったら喜んでいた。途中,ガラスが穴だらけの建物があって,運ちゃん曰く,昨日マライタ出身の奴がガダルカナルの悪口をいったら撃たれてここに逃げ込んだために撃たれたんだとのこと(まあ,撃たれたといっても銃撃じゃなくて投石らしかったけれど)。市内の目抜き通りだというのに恐ろしいことだ。メンダナの前で道路工事をしていて,中に入れなかったので,荷物をタクシーに遺して50ソロモンドルを両替してもらうためにカウンターに行って,両替して貰い,大急ぎで30払いに戻った。運ちゃんは明日ギゾへ行くなら迎えに来るかい? と聞いてきたが,時間が未確定なのでといって断った。ソロモンタイヨーが配車してくれるかもしれないし,というのは甘過ぎか?

着いたのが10:00前だったので,まだチェックインできないかと思ったが,ちょうどカウンターにいた,マライタ行きをアレンジしてくれた男がOKOKといって301を用意してくれた。マライタで何をしてきたんだと聞くので,自然環境をlooking aroundしてきたと答えたら,マライタへのエコツアーを開発したいので後で話をしようという。OKといったけれど,エコツーリズムならこっちに来ているはずの名古屋大の関根さんと話をした方が彼のためになるだろうなと思った(結局,後で聞いてみたら,関根さんと話をすることになったようだ)。

部屋で洗濯をし,インスタントコーヒーを飲み,テレビを眺めてしばしくつろぐ。のど自慢をやっているので,つい見入ってしまう。堕落してるなあ。まあ日曜日だからいいか,とも思うが,いつまでも堕落していてもしかたないので,暫く日本で書きかけていた論文をやる。

夕食をメンダナのレストランで久々に肉うどんおにぎりにでもしようかと思ったが,日曜日はバイキングしかやってないのだった。しかたないのでジンジャーエールをとって,バイキングからそばやマグロの刺身を含む何品かをとって満腹になる。最後に残ったジンジャーエールを飲んでいると,偶然,レストランに関根さんが入ってきたので,これ幸いと話しかけてみた。すると出ること出ること,関根さんは林業関係の情報をたくさんもっていた。それもそのはず,博士論文は林業で書いたとのこと。しかもその一部はMCOに掲載済みだというのに,MCO編集担当幹事のぼくがそれを知らない,というのは問題であるような気がする。JICA/JOCV事務所のFさんに会ったときも思ったが,ぼくなんかよりも関根さんの方が今回の研究テーマに向いている必須の人材であるように思った。食事が終わってからも301に新しいForestry Actが載ったSolomon Starを持ってきてくれて,しばらくしゃべり,水曜日の夜にまた飯でも食いましょうと約したのは22:00近かったと思う。電話帳に載っている企業や官庁をノートに転記して,23:00過ぎに就寝。



リゾートみたいなギゾへ飛ぶ

Honiara Market

翌13日朝,8:00にソロモンタイヨーに電話すると,General Manager(以下GMと略す)は今日Noroから帰ってくるので,まだ来ていないとのこと。テレビは大相撲をだらだらと再放送していてつまらない。昨日買ったキットカットを囓りながら紅茶を飲むが,まずいのでコーヒーバッグ購入を決意する。両替もしなくてはいけないので8:20にメンダナを出てANZ Bankへ向かう。着いてみたらANZ Bankの開店は9:00だったので,調査許可について調べるために教育省へいってみたところ,担当者は10:00過ぎにくると思うという返事を受けたが,そこでちょうど9:00になったのでANZ Bankで40000円をソロモンドルに替え,スーパーマーケットでオレンジジュース,ココナツビスケット,コーヒーバッグ(これまで知っていた種類に加え,PNG産というのを見つけた)を買ってメンダナに戻り,朝食とした。10:00過ぎにニュースで高橋尚子選手が2時間22分台で優勝したことを聞いて喜びつつ(放送権の関係とかいう理由で,映像は流れなかったのがちょっと残念),荷物をまとめて部屋を出た。後でミネラルウォーターを冷蔵庫に忘れたことに気づいたが遅かった。チェックアウトして荷物をカウンターに預けた後,まず教育省へ行くと,今日なら14:00に時間があるといわれたが,今日の午後には飛行機に乗ってGizoへ行ってしまうので,といって,水曜日の14:00にアポイントをとった。11:00頃JICAのオフィスへ行くと(行く途中でばったり関根さんに会ったところ,University of South Pacificのブランチにある本屋を勧められた。Bennettの本は関根さんは持っているとのこと),Fさんはまだ来ていなかったが,医療関係の調整員の方から話を伺った。マラリアの話も少々。JICAの電話を借りてソロモンタイヨーにかけてみたが,やはりGMはまだ不在だったので,本屋へ行くことにした。途中,マーケット(右写真)をひやかしてみると,うまそうなバナナがあったので1ソロモンドルで買ってしまった。ろくな本はなかったが,SCIENCE OF SOUTH PACIFIC PEOPLEとかいうシリーズ本を全部買ってみたので,荷物が重くなった。歩いてポイントクルーズまで戻り,AMY's Kitchenでエッグバーガー2つとSOLOを1缶買ってメンダナへ。メンダナで時間つぶしにジンジャーエールを飲んでいたらJICAご一行様が見えたので,Fさんに挨拶。ソロモンタイヨーに話をする暇はなかったとのことだが,まあ仕方なかろう。


荷物を受け取ってタクシーでヘンダーソンへ。今日のドライバーは最初から30ソロモンドルしか要求しない。やはり昨日はなめられていたのか? Gizo行きのチェックインも何事もなく済み,夕方Gizo空港に到着。ブックはしてないのだけれど泊まりたいと行って送迎のボートに乗り,Gizo Hotelに着いた。部屋は4種類あるそうで,上から2番目のクラスでもメンダナよりは安いが,シャワーもトイレも電話もあるというので1泊当たり86ソロモンドルと一番安いBudgetにした。カウンターの兄ちゃんにボートハイヤーのアレンジを頼むと,入り口脇にあるDIVE SHOPに連れて行かれ,白人(たぶんオーストラリアの人と思うが,Dorianという人)と交渉。85ドルと書かれていたので安いじゃんと思ったら,オーストラリアドル表示で,かつ3人以上1人当たりの料金だから3人分払って欲しいということで,計算すると765ソロモンドルくらいだという。まあボートを半日チャーターするのだから,それくらいは仕方なかろうと思い,契約することにした。明日の8:00に来るようにとのこと。

DIVE SHOPの白人キャプテンDorianが,19:00からレストランでスライド上映会をするというので,見ながら夕食をとろうと思ったが,見てから食事という感じだった。他の観客はおそらくオーストラリアンと思われるダイバー数名。夢のように美しい珊瑚礁や,極彩色の魚たち,マンタなどのスライドが映し出され,ああ,ここはダイバーが訪れるリゾート地なのだな,と思う。上映会終了後にソルブルーをちびちび飲んでいると,「日本人の方ですか?」と声をかけられた。広島県から現職の身分のままJOCVとして派遣されている河村さんという方で,ソロモンに既に2年近く滞在しているということで,いろいろなことに非常に詳しかった。思っても見なかった僥倖であるけれど,三度思ったのは,ぼくよりも今回の仕事に向いている人だということ。いや,本当に。22:20くらいまで素面でしゃべって,多くの情報を得た。河村さんは船でここらを廻っていて,今夜は船に泊まるというので,部屋に戻ってこの記録をうち,23:30となったので就寝しようかと思っているところ。



激しく上下するボートに揺られながら

早く眠ったというのに,7:00まで目覚めず。弛んでいるのかもしれん。いや,間違いなく弛んでいる。シャワーを浴び,朝食をとりにレストランへ行く。7:30頃だったが,まだあまり人はいない。バイキングかと思って自分でとってしまったが,実は頼めばいいのだった。一番安い15ソロモンドルのメニュー,つまりコーヒーとトーストだけというやつにした。船上で喉が乾くと困るのでミネラルウォーターを買ってDIVE SHOPへ行くと,キャプテンDorianが,ボートの上で作業中のソロモンの人に声をかけているところだった。彼が今日のキャプテンだという。Dorian自身はダイバーたちをガイドするのだろう。DIVE SHOPで765ソロモンドルを払って,船の準備ができるのを待つ。何か人なつこい犬がいて,盛んに頭をなでてくれと寄ってくる。ポインターという種類だと思うが,確か本来は猟犬として育種されたのだと思う立派な大きな犬なのだが,こんなに人なつこくては猟犬としての役にはたたなそうである。

船の準備ができたところで乗り込む。曇りで微風。まあなかなかの航海日和と思う。キャプテンはAllenといい,Noroのタイヨーで10年間,日本人と一緒に働いていたという。釣船に乗っていたとのこと。後で連絡先を教えてくれると言っていた。

One of the old forestry stations at Kolombangara

コロンバンガラ近くの狭い海峡部分に入るまでは結構潮がきつくて,こまかい上下動があったが,後はまるで鏡のような海面であった。コロンバンガラの林業基地は立派な建物がたくさんあるのだが,既に植林のみやっていて伐採はイサベルにしにいっているとのこと。コロンバンガラの対岸に,積み出しを待つ丸太が積み上げてあったが,ここも伐採は完了しているとのこと(右写真はコロンバンガラの旧林業基地の一つ)。

Noroのタイヨーの基地は凄かった。まさに基地という感じ。多くのカヌーが出て,手釣りでカツオやマグロの類を釣っている。基地の南側にいったところには,パームオイルの工場があったり,コプラが山のように積まれていたりして,一大産業中心といった風情であった。人も多くて,もの凄い活気であった。人口は1万人くらいいるのではないか,とAllenがいう。


帰りは往路以上に上下動が激しくて,やや腰が痛くなった。DIVE SHOPに顔を出して,Dorianのパートナーと思われるショートカットの意志の強そうな女性に,とてもいい写真がとれてありがとうと言ってから,ちょうど昼時だったので町に出た。マーケットの向こう(西側)で,KAI BARを見つけて入る。牛肉かけご飯が12ソロモンドル,レモンジュースが2ソロモンドルという安さ。味もまあまあであった。先客で白人の年輩のカップルがいたが,とくに話はせず。暑いのと真昼なので食休みでもしてから合同庁舎みたいなところへ行こうと思って部屋に戻り,結局飲まなかったミネラルウォーターで水出しコーヒーの準備をしてから(といったって,コーヒーバッグをコップに入れてミネラルウォーターを注いで冷蔵庫に入れただけなんだが),シャワーを浴びて寝転がっていたら,つい寝過ごして16:40になっていた。やはり弛んでいる。もう仕方ないので官庁行きは諦め,カウンターで明日のボートの時刻が8:45であることを確認してから,聞き取った情報のまとめをして夕食まで過ごした。時折ガタガタと音がするので見やると,ラット君が走り回っている。何と勘違いしたか石鹸を引いていこうとしていたので威嚇したら逃げていった。何をやってるんだか。19:15に空腹感が耐えられなくなったのでレストランへ行く。

やはり客は少ない。メニューをみてカボチャスープ12ソロモンドルとチキンカレー34ソロモンドルを注文する。飲み物はコークにした。カボチャスープは大量で,かつパンが2切れついていたので,金がなければこれだけでも食事になりうるものであった。チキンカレーは美味。さすが高いだけのことはある。日本でもこれだけのチキンカレーを食べるには1000円以上かかると思う。ここのシェフは腕がいい。客が少ないのと,今日はぼくが一人でいるから気の毒に思ったのか,給仕の女性が話しかけてくれる。彼女によれば,この辺は小規模なフィッシングをする人が多くて,小さなカヌーで手釣りをしたものをマーケットで売っているとのこと。ネットは使わないのかと聞いたら,町の反対側にあるフィッシングヴィレッジの人は大きなカヌーでネットを使うとのこと。食後にコーヒーをブラックで頼んだら,インスタントなのに何故かコーヒーの味がした。不思議。しかも,これはサービスで無料となった。すばらしい。



ソロモン最終日は怒濤のごとくに

バッテリーは多少残っていたが,目が疲れたので22:30頃そのまま眠った。蚊の来襲があり,なかなか安眠できない。かゆい。叩きつぶしてみるとイエカなのでマラリアの心配はないだろうことが救いではある。7:00過ぎに起きてシャワーを浴び,昨夜仕込んでおいた水出しコーヒーを飲む。美味。目が覚める。

朝食をとって,大急ぎでアッセンブリーオフィス前へ行ってうろうろしていると,MINISTRY OF FINANCEで働いているという男が,どうしたいんだと聞くので説明すると,OK案内してやるという。まずFORESTRYへ行ってみるとオフィサーはいたのだが,部屋が開かないので先にFISHERYに行ってみてくれと言われる。しかたないFISHERYに行こうと歩いていたら丁度FISHERYで働いている人が来たので,一緒に車でFISHERYへ行く。しばらくしゃべって連絡先など聞いてからダッシュでFORESTRYへ戻り,悪い部屋が開かないので資料はないというのを,時間がないのでちょっとだけといって話をした。ここには秘書もいて,電話もFAXも(ただしFAXはProvincial Secretaryにc/oだけれど)あり,FISHERYより市街の中心にあって厚遇されているようだ。

Logging sites looked down from the sky

大急ぎで(真剣に走って汗だくになりながら)Gizo Hotelに戻って部屋から荷物をとり,カウンターでチェックアウトし,空港に連れていってくれといったら,普通の送迎ボートはもう出てしまったけれど何とかするといってボートを出してくれたのだが,これが海水をまともにかぶるのでまいった。まあ遅れた方が悪いので贅沢はいえないが。9:15頃空港についてチェックインし,9:40頃着いた飛行機に乗ってホニアラへ発つ。天気が良かったので飛行機の窓から写真を撮りまくる。ムンダの対岸あたりの伐採が激しいように思った(右写真)。


ホニアラに着いて乗ったタクシーのドライバーは偶然竹川さんの村の人だった。ぼくがDaisuke TakekawaのFriendだと言ったら,彼に会ったらGood Luck and See you again next yearと言っていたと伝えてくれ,とのこと。

メンダナにチェックインして,すぐにソロモンタイヨーに電話すると,16:00ではどうかといわれたので,そのように約束して,汚れた衣類を洗ってから昼食にする。13:00にホテルのレストランに行き,懐かしの肉うどんおにぎりを食べ,Solomon Airlinesでリコンファームをしてから(出国税SI$40のことを思い出せさせてくれたので良かった。ここではリコンファームは必須であろう)JICAのオフィスに行ったらFさんは不在だったので,教育省に行くことにした。

教育省では難なく調査ビザ発給担当のUndersecretaryにあうことができた。彼はとても気のいいというか,調子のいい人で,調査許可を得るための手続きをテキパキと説明してくれた。調査費としては500ソロモンドル必要だが,そのうち200はリファンダブルだそうだ。何人で調査するのでも同一調査なら一つのパーミッションでOK(東工大の丸山先生のグループがそうだと言っていた)。ともかく書類を書いて持ってきてくれれば8月には十分パーミッションを出せると思う,そうだ。

Map Salesに行ったら地図の定価が結構高いことがわかり,FORESTRYは山の上なのでタクシー代もかかると踏んで,残った1万円をANZ Bankでソロモンドルに換金した。今日はいままでで一番円高であり,400ソロモンドルを超えた。Map Salesへ戻り,地図を6枚買ってみたら,表示価格より安いのだった。その足でFORESTRYへ行く。タクシー代は6ソロモンドルだった。飛び込みではあったが,運良くPermanent Secretaryが会ってくれることになった。いろいろと情報を貰った後,長期滞在して村レベルでの林業とのかかわりを調べるにはどこが向いているか? という尋ねたら,コロンバンガラでもChoiselでもIsabelでもよいといわれた。

外に出たら丸山先生のグループの小宮さんがトラックに乗っているのに出会ってちょっと話したが,トラックはそのまま行ってしまったので,すぐにタクシーを見つけて,また6ソロモンドルを払ってメンダナまで乗った。丸山先生が荷物を運ぶのを手伝って話を聞いたら,結局マライタ横断は悪天候のために途中で断念したという。気の毒である。それから部屋に地図などを置いて,JOCVオフィスへ行きFさんにちょっと話をしてから,ソロモンタイヨーへ向かった。ソロモンタイヨーはかつて環境NGOや女性の権利団体から事実無根の中傷を受けたことがあるそうで,GMは最初神経質になっていたが,最終的には調査目的を理解してもらえたように思う。

その後土産など買い,関根さんと夕食をとった後,今日の記録を打っているうちに23:40を過ぎたのでそろそろチェックアウトすべきかと思っているところ。



出国は楽だったけれど眠くて困るのだ,この便は

チェックアウトしたら427ソロモンドルだったか,残金計算がほぼぴったりだったのに自己満足。バスに乗り,空港について荷物預け&ボーディングパス発行手続きをし(荷物は東京までthroughにできた),暫く待つ。国際線におけるこの手続きが離陸の2時間前というのは,どこでも通例になっているようだが,どうも早すぎなんではないかと思う。40ソロモンドルの出国税を払ってからPassengers Onlyのドアを通ってEmmigration,手荷物チェックの順に通過し,ボーディング待ちの広い待合室に着いたのが1:00頃であった。そこから2:00近くのボーディングまでの暇つぶしが辛かった。眠いし,かといってやることはないし。ライフジャケットを着込んだ空港職員のおっちゃんと若干しゃべったくらい。他に4人ほど日本人乗客がいるが,互いに話はせず。

機内食はコーンフレークとオレンジジュースと蒸しパンのようなもの。眠さと戦いながら5:00頃(ブリスベン時間4:00頃)ブリスベン到着。しかし,空港は静まりかえっていて,着いてもしばらくは何もすることがない。カフェバーが開くのも,トランジットのボーディングパスの手続きも5:00からだというので,ソファーでぐてっとして休む。

5:00になり,空港が息を吹き返す。ボーディングパスを発行して貰ってから,ベーコンベーグルとブラックコーヒー10オーストラリアドルを買って,カフェバーのテーブルでvaio505を開いているところである。ちなみに手持ちのオーストラリアドルは137なので,名刺入れ,ガム,ワイン,チョコレート,くらいを土産として買って,さらに日本に電話するくらいは可能であろう。まあ,vaioでの仕事が済んでからだな。

8:00過ぎ,だいたい入力が終わったので日本へ電話をかけようとうろうろする。貨幣でかけられる電話機がたくさんあるのだが,これで直接国際電話がかけられるかどうかわからなかったのと,国際電話の番号を忘れてしまっていたので,暇そうな店で土産物を買って,レジの人に聞いてみたら,かけられるという。カード電話のそばに置いてあった電話帳の落書きを調べて国際電話は0011-国番号-で始めれば良さそうだとわかり,PayPhoneというコインを入れる電話に手持ちの貨幣合計7オーストラリアドル分を入れて自宅にかけてみたら,なんの問題もなくかかった。

しばらくしてボーディングが始まったので飛行機に乗り込んだのだが,食事の時と機内映画上映の時以外はひたすら眠っていた。昨日の疲れが出ているのか,ともかく眠いし脚は痛いし,まあとりあえず最低限のことはできたかな,と自分にいいきかせながらうとうとするばかりであった。


Correspondence to: minato@ypu.jp.

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