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2008年ソロモン諸島往還・夏の陣

Copyright (C) Minato NAKAZAWA, 2008. Last Update on October 3, 2008 (FRI) 19:44 JST .

前途多難を感じさせる往路(2008年9月20日土曜〜9月21日日曜)

大学院生のエカさんと一緒に,予定通りに15:45に研究室を出た。タクシーに乗って前橋駅に出て,16:14発両毛線で高崎へ行き,16:39発の新幹線Maxたにがわ418号に乗ったまでは順調だった。最初の問題は新幹線が上野駅に着く直前に起こった。突然,新幹線が停止信号で停まってしまったのだ。流れてきたアナウンスによると,17:22頃東京駅で人身事故があり,安全を確認中だという。15分くらい停まっていただろうか,上野に着いてから急いで京成上野に歩いたが,乗ろうと思っていたイブニングライナー51号には間に合わなかった。しかし10分も待ったら快速特急成田空港行きが出たので,19:13には空港第2ビルに着くことができた。K先生,O先生との待ち合わせ場所には5分くらい遅れたが(でも最後ではなかったので律速にはならなかった),H.I.S.のカウンタでのチケット交換も,JALの団体カウンタでのチェックインも,とくに問題なく終わった。荷物は無事にホニアラまでスルーにできたし,席も4人とも通路側を確保できた。

JALWAYSと共同運航のQFは予定通り成田を発った。ぼくの席は窓側との間も空席だったので広く使えて過ごしやすかった。MagicIIで各座席で映画を見られる機体だったので,築地魚河岸三代目だったか,大沢たかお主演の型破りなサラリーマンが魚河岸でいろいろと奮闘する話を楽しんだ後,インディ・ジョーンズの新作(クリスタル・スカルのなんとかというやつ)を見ていたがいつの間にか眠っていた。朝食が出た後,続き(というか,映画は多チャンネルでずっと流れているので,正確に続きではないのだが)を見たが,最後までいかないうちにブリスベンに到着した。

例によってトランジットカウンターではソロモン航空は扱いがないので直接ゲートに行き,乗り継ぎ手続きをした。概ね順調だったが,エカさんがインドネシア国籍なのでパスポートのコピーを取るまでボーディングパスは渡せないと言われ,暫く待たされた。ここで合流予定の北海道のY君がなかなか来ないのでどうしたのかと思っていたが,本来の出発予定時刻の20分ほど前になって漸くやってきた。何でもチェックインカウンターのマシントラブルだったそうで,手書きのボーディングパスを持ってきた。他の乗客もそれで手間取っているということで,出発が30分遅れになった。

到着時もエカさんの入国でもめたが,最後は事前にimmigrationに送っておいた書類が見つかったので通してもらえた。ホテルに着いてからもタクシーがメンバーの1人の荷物を載せたまま走り去ってしまい,見つかるまで1時間ほど気を揉んだ。最後は救われたからいいか。

村に入ったのは予定通りだったが……(2008年9月22日月曜)

前日SIMTRIに寄ってみたものの,我々のカウンターパートB氏も,新任の女性もいなかったので(旧知のマラリアテクニシャンであるLB氏はいたし,JICAのプロジェクトで来ている日本の方々は働いていたが),どうなることかと恐れつつ,エカさんと自分はすべての荷物を持ってホテルをチェックアウトし,毎日日帰りする予定の他のメンバーと一緒にタクシーに乗ってSIMTRIに向かった。

新任の女性Fさんは実に気が利いた方で,あっという間に関係者を図書室に集めてブリーフィングの準備をしてくれたので良かった。調査日程の詰めも目的も我々の帰国後のフォローアップ治療も,うまく引き受けてもらえた。しかし,カウンターパートB氏は台湾の会議から23日には戻るという話だったのに,いつの間にか帰国が延びて26日になっただとか,我々の調査日程を1週間早くFさんに伝えていたために空港まで無駄足を運んだだとか,懸念していた通りいろいろな問題はあったので,危ないところだった。なお,今回も蚊帳を買ったのだが,PERMANETだった。1人用は4 SBD(70円くらいか)と非常に安い。この値段なら誰でも買える。

SIMTRIのランドクルーザーは,我々5人とSIMTRIスタッフ2人と運転手と荷物を全部運ぶにはやや小さい。SIMTRIスタッフの1人J氏とエカさんに荷台に乗ってもらってやっと乗り切れた。道がそれほど悪くなかったのが救いだった。村ではこれまでずっとホームステイのホストファミリーでもありアシスタントもしてくれていたCS氏が本務地に行ってしまっていたが(以前聞いた話ではNZに留学に行ったという噂もあったのだがデマだったようだ),代わりにCS氏の妹の夫で小学校教師をしているSB氏がインタビューや血圧測定のアシスタントをしてくれたので助かった。今回は,ちょうど小学校が休みの期間だったのでSB氏がいてくれたが,もしそうでなかったらCS氏の叔父に当たるJCN氏にでもアシストを頼まねばならないところだった。JCN氏も英語はできるし,スピーチはうまいし,いい人なんだが,喋りすぎたり逆に言葉が足りなかったりするところがあるので,調査のアシスタントにはあまり向かないと思っていた。SB氏がいたのは実にラッキーだった。

翌日からの調査に備えて各戸を回って人口調査と健診の宣伝をしようと思っていたのだが,かなりひどい雨になってしまい,できなかったのはやや誤算だった。夕食後,テラスでエカさんとSB氏とJCN氏と(といっても彼らはあまり口を挟まないので,ほとんどエカさんと2人で喋っていたようなものだが)読書の話をしていたら,エカさんがSF好きでかなりの読書家であることがわかり,ACクラークとかアシモフの話で盛り上がってしまって,気がついたら23:00を回っていたので慌てて眠った。

集中調査1日目(2008年9月23日火曜)

6:30起床。漸く明るくなってきたという感じの戸外は,まだ皆眠っているようだ。サツマイモ(クマラ)と実に美味な野菜スープとコーヒーという素晴らしい朝食を済ませてから,調査の受付を始めた。今回は調査参加者にインフォームドコンセントにサインしてもらうときに使うボールペンを進呈するのと,受付時にデジカメでポートレイト写真を撮って,キヤノンのiP100というポータブルプリンタで写真用紙に主な調査結果とともに印刷し,調査期間中に進呈する(マラリア陽性の人にはそのときに投薬もする)という企画を立てたので,写真がもらえるという噂が広まれば,日を追って参加者が増えることが予想できる。問題は日程が短すぎることで,噂が効果を発揮する前に調査が終わってしまうかもしれないのだが。

ほとんど9:00ぴったりにホニアラからの調査隊が到着したのは素晴らしい。Fさんはまだ着任したばかりで,やる気があっていい。受付時に24時間思い出し食事調査も含めた簡単なインタビューもするため,忙しすぎて尿検査が後回しになってしまったが,44人という参加人数は,それほど悪くないといえよう。テンション後の復興とともにオイルパームプランテーションで働く人が増えたので,村にいない家族が増えていたのは,半ば予想はしていたが,予想以上に進行が速いと思った。

尿検査が終わって遅い昼食を食べ,デジカメ写真をコンピュータに取り込んで加工して尿検査結果も打ち込んでプリントしたものに,ヘモグロビン,血糖値,血圧の異常値を書き加えるという作業が終わったのが17:00頃だっただろうか。水浴びに行く暇もなく,人口調査のために4村落を回り,翌日の健診の宣伝もして村に帰ってきたのが19:30頃で,晩飯を食べて21:00頃までエカさんとTBNさん(JCN氏の娘)と,何の話をしていたのか忘れたが喋ってから眠った。疲れ果てていて泥のように眠った。

集中調査2日目(2008年9月24日水曜)

6:30起床。JCN氏が張り切って教会の鐘を鳴らしている。朝食後に受付を開始し,9:00にホニアラからのチームが着いてマラリアチェックが始まり,昼食を挟んで14:40頃終了にしたが,参加者は前日とほぼ同じ40人余りだった。GPPOLに転出した家族や一時不在の家族が多いので,参加率としては悪くないのだがやや寂しい。

尿検査と写真の加工とプリントが終わって,現在人口の聞き取りの残りに取り掛かったのが17:50頃だった。途中で暗くなってしまったが,何とか残り3村落の聞き取りと,翌日の調査参加リクルートが終わったのは19:30頃だっただろうか。

お別れパーティ2008年9月

村に泊まる最後の晩は,例によって鶏をつぶしてくれて,フェアウェルパーティなのであった。21:00過ぎから始まったが,JCN氏の素晴らしいスピーチなどもあり,歓談しつつ23:30頃まで起きていた。村人は子供も含めてまだ眠らない感じだったのだが,我々は翌日も朝から調査をせねばならないので日付が変わる前に眠った。

集中調査の最終日(2008年9月25日木曜)

6:30起床。外に出るとほどなくサツマイモとプディングとスープが用意された。素早く食べてコーヒーを飲み,最終日の調査に備えた。調査参加者の出足は悪かったが(我々が泊まっている村以外には夜更かしの影響はないはずなんだが),9:00になってホニアラからの調査チームが着くのと同時に集まり始め,昼までに33人の調査が終わった。

13:00に村を出て,SIMTRIによってマラリアサンプルの染色にかかってもらってから,14:40頃にANZ Bankの前で降ろしてもらって日本円をソロモンドルに換えて再びSIMTRIに戻って施設使用料を支払い(といっても責任者B氏が不在で引継ぎも不十分だったので暫定だが),ホテルに戻った。髭をそってシャワーを浴びてさっぱりしてから,この日の対象者の写真ファイルの加工を始め,結果も入力して,エカさんとY君に手伝って貰って転記も済ませ,対象者とSIMTRIスタッフに進呈する写真がすべてできあがったのは19:00をやや過ぎていた。その後近くのレストランで調査の無事終了を祝ってSIMTRIスタッフとともに晩飯を食べ,ホテルに戻ってY君とコーヒーを飲みながら暫く話をしてから部屋に戻った。

もう復路とは(2008年9月26日金曜)

現地時刻で3:00にモーニングコール(といってもエカさんに頼んでおいたのだが)がかかってきて起きた。ぼーっとNHKを見たりコンピュータを触ったりしていたので眠ったのが1:00頃だったから,2時間しか眠れていないのだが,まあどうせ復路は眠って行くのだからいいだろう。それにしても今夜には長野に帰り着いていると考えると凄い旅程だと思う。便利といえば便利なんだが気ぜわしい。

ホテルを予定通り3:40にチェックアウトして4:15にタクシー2台で空港に向かった。やたらに飛ばすので怖かったが,何とか無事に空港に着いたまでは良かった。しかしここで例によってというか,また問題が起こった。乗客が異様にたくさんいるのに,チェックインカウンターが1つしか開かず,いっこうに列が進まないのである。途中からカウンターが1つずつ増えて,最後には3つのカウンターでチェックインが同時進行するようになったが,予定より出発時刻が遅れるのは必至であった。我々は5:00過ぎにチェックインできたし,荷物も成田までスルーにできたのだが,元々ブリスベンでの乗り継ぎ時間が1時間半しかないことになっているので,この遅れには気が揉めた。その後,さらに予想外の事態があった。なんと6月1日付けで出国税が倍増していたのである。100ソロモンドルは1700円くらいだから,成田の出国税よりまだ安いのだが,知らなかったので驚いた。出国手続きは無事に済んだのだが,待合室から外を見ると,飛行機が見当たらないのだった。運行スケジュールからすると昨夜着いて待機しているはずなのだが見えない。本来の出発時刻間近になって,やっと飛行機がやってきて,結局45分ほどのディレイで済み,さらにブリスベンに着くまでに20分ほど遅れを取り戻せたので良かった。そこからは順調にトランジットカウンターで発券され,ケアンズでの一時停止待ち(といっても1時間以上あったが)を経て,無事に成田行きに乗れた。横7列しかない小さな飛行機で,久々にMagicでない機体で前方スクリーンでの映画を見た。SEX AND THE CITYというのはいかにもアメリカンなアホ映画であった。インディジョーンズは往路に途中までしか見られなかったので最後まで見られて良かった。とはいえ,良くも悪くも大冒険活劇というだけの映画だったが。映画館でみたら迫力があるかもしれないが,まあ飛行機の機内映画くらいでちょうどいいと思った。

19:00頃,あと1時間ほどで着陸するというアナウンスがあったので,予定通り20:00に着けそうで良かった。慌しかったが,例によって最後は救われた旅だったといえよう。


Correspondence to: nminato@med.gunma-u.ac.jp.

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