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2009年9月ソロモン諸島往還

Copyright (C) Minato NAKAZAWA, 2009. Last Update on September 25, 2009 (FRI) 00:31 JST .

交通運に恵まれた往路(2009年9月15日火曜〜9月16日水曜)

今回は15:05に大学をタクシーで出て,前橋駅に15:15に着いた。15:42に前橋始発の両毛線が出るので,若干の時間的余裕があるわけだ。何故そうしたのかといえば,このところずっと髪が長くて鬱陶しかったのに「さんたく」による暇がなかったので,前橋駅の「カットのみ10分1000円」を売りにしているQBで散髪しようと思っていたからだ。ちょうど空席があって,すぐにカットしてもらうことができたのはラッキーだった。思ったより丁寧にカットしてくれて,これならいつもこれでもいいなと思わせる仕上がりだった。

両毛線も予定通り出発し,高崎駅でのMaxとき330号への乗り継ぎも余裕があって,しかも空席が多くてゆったり座って行けた。上野駅から京成上野駅に歩く途中にあるヨドバシカメラに寄って,エネループと充電器と懐中電灯を買い足したのだけれども,それでもスカイライナー37号には10分ほど余裕をもって乗れた。18:30少し前に空港第2ビルに着き,19:15の待ち合わせまでの間にチャックポリを買い,東京三菱UFJの両替所で(最初,みずほ銀行の両替所に行ったのだが,ちょうど締めてしまったので隣の東京三菱UFJに行くように言われたのだ)日本円のTCを作った。2%の手数料(6月までは1%だったようだ)がかかるのが勿体無い気もするが,手数料無しで作れるのはシティバンクで口座から作るときだけだから仕方なかろう。

前回2月と同じく帝京短大のK先生,感染研のO先生と待ち合わせしていたのだが,今回K先生は偶然にもスカイライナーで同じ車両に乗り合わせていたので,1階でTCを作って(久々にTCを作ったが1枚ずつサインをするのが面倒だった)3階に上がった後,JALのカウンタのそばのO列の目印柱のところで再会するのは何の不安もなかった。O先生もバスでいらしたが,ほぼ定刻であった。今回,生体計測担当は東大のF君ではなく北大のY君なので,北大グループは別の便で行ってブリスベンで落ち合うことになっており,成田でチェックインするのはこの3人だけだ。

で,カウンターに行くと(例によって係員が自動チェックイン機で,と言ってきたが,ブリスベンからソロモン航空に乗り継ぐので,と告げたら,すぐにカウンターを案内された),前回とは違って実にスムーズにチェックインが済んだ。預け荷物は3人で約70 kgだったが,これはひとえにK先生の荷物が軽量なおかげである。自分の荷物が30 kg近く,O先生は35 kgくらいあると思われた。もっとも,これは調査用具の重さが大半だから仕方ないのだが。

京樽で半額になっていた中巻き,稲荷寿司,茶巾絞りの詰め合わせと金の烏龍茶を買って食べてから前回と同じ94番ゲートに向かい,20:40に着いた。ボーディング開始は予定より10分遅れの21:00ちょうどだったが,この程度は誤差範囲だろう。ここも頗る順調だった。これまでと違って小さい飛行機で,しかも台風の影響で揺れることが予想されるというアナウンスがあったので身構えていたのだが,結局のところ,それほど大した揺れもなく,無事に一夜を越えてブリスベンに着いた。MagicIIIだったので映画も音楽もいろいろ選べたはずだが,疲れていたので,ターミネータ4だけ見て,後は眠っていたのは,少し悔やまれる。

普通のトランジットカウンターではソロモン航空への乗り継ぎは扱ってくれないので直接ゲートに行ったのはいつも通りだったが,ゲートが77と比較的近く,しかもボーディングパスがちゃんと用意されていたのには驚いた。北大のY君とその院生のT君もほどなくやってきた。すべて順調だ。飛行機もA320-200と大きくて比較的新しく塗装もされたもので(いや,塗装はされているのが当たり前で,前回のように真っ白なのが変なのだが),定刻にボーディングが始まったのも珍しいことだった。機内誌をみたら,ソロモン航空はOur Airlineの運行スケジュールに不満だったこともあり,新たにブリスベン空港にオフィスも作り,8月3日から新しく自前の飛行機を得た(といってもStrategicという会社からのリースだが)ということで,きっと気合いが入っているのだろう。機内食もこの路線では珍しく熱々だった。米が長粒種だったのがやや残念だったが,チキンの味には合っていたと思うし,わりと美味だったといえる。飲み物は,群馬県衛生環境研究所の小澤先生がトニックウォータにキニーネが入っているとい話をされていたのを思い出してトニックウォータを注文してみたら,確かにQuinineが入っていた。アーロン・エルキンズ『原始の骨』を読了。犯人は割りと早い段階でわかってしまったし,新装が発覚した後の関係者の反応がもっと書き込まれていてもいいんじゃないかと思ったが,ギデオン・オリヴァーとジュリーの茶目っ気はいつもどおりなので楽しめた。

ここまで非常にスムーズに来ていて,ホニアラにもカウンターパートのF嬢が研究所の車を回して迎えに来てくれるという話になっているので,その通り行けば,実に交通運には恵まれていることになると思うが,さてどうなるだろうか?

往路は本当にスムーズだった。F嬢は迎えに来てくれたし,O先生の荷物が多かったので税関がなかなか通してくれなかったときもF嬢が口を利いてくれたらあっさり通れたという働きまでしてくれた。このときは復路の悪夢は想像もしなかった。ホテルにも無事にチェックインし,平和に日が暮れた。

村へ行く(2009年9月17日木曜)

朝一番で銀行に行き,日本円TCをソロモンドルに換えた。1SBD=11.4343円というレートは良かったのだが,20ソロモンドルの手数料と,日本の銀行の取り扱い手数料を重ねて取られたのは意外だった。発行時にも2%の手数料を取るくせに,二重取りされたような感じだ。銀行からホテルに帰る途中,少し遠回りしてWINGSというスーパーに寄り,トイレットペーパーと殺虫剤と昆虫忌避剤とインスタントコーヒーと石鹸と大きなタオルと飲み水を買った。石鹸と大きなタオルは水浴び用のつもりだった。結局村では忙しすぎて水浴びに行けなかったので使わずに終わってしまうとは,この時は思いもしなかった。

レンタカー屋に行って丸5日分のレンタル料3,000 SBDとデポジット9,000 SBDを支払い,いったんホテルに戻った。14:00出発ということにして,荷造りなどをした。ソロモン諸島医学訓練研究所との共同研究であるため,研究所に施設利用料を払うことになっているのだが,詳細がはっきりしないままのため,仕方なく大金を抱えて村に向かった。

北大の大学院生であるHT君と一緒に村に入ったのだが,今回はパンクすることもなく無事に着けて良かった。この時までは交通運の良さは続いていたと思う。

雨が降っていたのと,疲れていたのと,いつも調査を手伝ってもらうJCN氏が病みあがりで村を回れず,代役になってくれる人も偶々見当たらなかったためとで,仕方なくその夜はJCN氏ら主だった人たちに対して,いつもの調査を金曜から月曜までやることを説明し,晩飯を食べただけで眠ってしまった。一つ予想外だったのは,これまで使ってきた村で唯一のトイレがとうとう壊れてしまい,ブッシュに行って用を足さなければならなくなったことだ。ぼくらが毎回泊めてもらう家のオーナーで,フィジーへの留学歴まであるアングリカンチャーチのCS神父がいれば改善されるのだと思うが,彼はTULAGI勤務なので仕方がない。さすがに彼ほどの人が村の教会の牧師になって帰ってくるとは思えない。

毎日毎日調査漬け(2009年9月18日金曜〜9月21日月曜)

6:30に起きて殺虫剤とトイレットペーパーを持ってブッシュに行ってトイレを済ませ,簡単な朝食をとり,暫くコーヒーを飲みながら村人に渡す写真を印刷し終わると8:00を過ぎている。その日の調査のセッティングをしているうちにホニアラからの調査隊を乗せたhiluxが着くと,それからは昼過ぎまで次々と村人が健診を受けにやってくるので,受付をし続ける。昼食後も暫く調査を続け,来客が途切れたところで受付を停止し,調査隊はホニアラに帰っていくのだが,尿サンプルの処理があるので,自分はほとんど日没まで時間がなく,水浴びも行けなかった。そんな生活が日曜まで続いた。

月曜は来客が少なかったので,全ての処理が14:30頃には終わって,荷物をhiluxに載せて出発することができた。北大の院生のHT君は村に残るのだが,CS神父の家に一人で泊めておくわけにも行かないと村人がいうので,暫く前に父親を病気で亡くして母親が出稼ぎに出ているので一人で暮らしていて,同世代の若者たちがよく泊まりに来るというCM君の家に移動することになった。食事の世話とか洗濯とかしてくれたお礼を(少額だが)支払ってからhiluxに乗ったわけだが,実は尿サンプル処理をしているときにhiluxの右前輪がパンクしていることが発覚し,スペアタイヤに交換するのに時間が掛かったので,ドライバーも待ち時間があまりなかったと思う。

ホニアラに戻ってホテルにチェックインし,衣類をホテルにクリーニングに出してから晩飯をとりつつ打ち合わせをしたり,メールをチェックしたり。その後は部屋でデータ入力をして調査参加者の写真を結果付きでプリントしたので,あまり眠る時間はなかった。しかし残すところあとわずかなので頑張ろう。

都市部調査とか(2009年9月22日火曜)

今日はJOCVのI隊員の協力を得て,校長の許可をもらってS.I.C.H.E.で職員とその家族を中心に調査をすることになっている。調査用具を用意してホテルのロビーで待っていたら20分遅れくらいでhiluxがやってきた。このくらいの遅れは,ソロモン時間ではないに等しい。運転手兼テクニシャンのAS氏が随分頑張ったということだろう。SIMTRI経由でS.I.C.H.E.に着いたのは8:40頃だったと思う。ここはホニアラ市内でも小高い丘の上にあって眺めがよく,別世界といった趣がある。AS氏にはそのままhiluxを運転して村に行ってもらい,前日マラリア陽性だった人の治療をしてもらうことにした。我々はS.I.C.H.E.のパビリオンという場所で健診を始めた。ここでは自分にも対象者と面識はないので,受付をSIMTRIのワーカーにやってもらい,自分は尿検査に専念した。それでも95人の参加者のサンプルをすべて測定し終わったのは15:00近かった。昼飯も食べる暇がなく,大変だった。村に比べると尿検査異常値がやや多いような感じを受けたが,高血圧の人は意外に少なかったそうだ。もっとも,本当に太っていて危ない人は健診を受けに来なかったらしいが。まあ今回はホニアラ都市部はパイロット的な位置づけなので,次回に工夫すればいいだろう。

さてしかし,問題は,AS氏が村から帰ってこないことだった。陽性だった何人か(子供の場合はその親)に薬を渡して飲み方を説明するだけなので,そんなに時間がかかるはずはなく,昼には戻ってくると読んでいたのだが,大きく計画が狂った。車がないとレンタカー屋からデポジットが返って来ないから,大損なのだ。

とりあえずタクシーを呼んでSIMTRIスタッフにはオフィスに戻ってもらい,AS氏の携帯を呼び続けてもらうことにして,我々はホテルに帰った。17:30頃にF嬢から,漸くAS氏の所在がわかったという電話が入った。村でタイヤがパンクしたらしい。前日にもパンクして交換してしまったのに新しいスペアタイヤを積まずに行ってしまったので,非常に便数が少ない公共交通機関が来るのを何時間も待って,それに乗って車のところに戻り修理してもらってから出発したのでこんな時間になってしまったが,スペアタイヤの不備はレンタカー屋の責任だから延滞料金は取られないだろうという。18:10頃AS氏の運転するhiluxがホテルに着いたのに飛び乗ってレンタカー屋に向かった。AS氏の言うとおり延滞料金は取られなかったのだが,ガソリンが満タンになっていなかったということで,メーターから読んで不足分料金として450 SBDをデポジットから引かれたのは予想外だった。まあ仕方ないか。

既に18:30になっていたので,AS氏と2人でバスに乗って上海楼に向かった。18:30から慰労会を予約していたのである。まだ全員は揃っていなかったが,10分ほど待つと9人全員が揃って,略式の挨拶をしてから,あとはひたすら飲んで食べて喋って20:00頃まで楽しく過ごせてよかった。例によって自分のポケットマネーで出すのだが,800 SBD余りだった。前回も思ったが,日本で同じ内容の慰労会をしたら2万円はかかるだろう。ここは半額以下で済むのだから,安いというほかはない。

ホテルに戻った後はデータ入力と報告書作成作業である。しかし1:00頃力尽きて眠ってしまった。

何とか中間報告を終わらせ,施設利用料の支払いも終わらせてホニアラを発つ(2009年9月23日水曜)

4:00頃からデータ入力と分析と報告書作成を平行して行い,10:15頃に何とかプリントアウトすることができた。10:30にSIMTRIのオフィスでアポをとってあるので,T君とO先生と3人で慌ててオフィスに向かった。しかし,例によってというか,肝心のF嬢がまだ着いていないのだった。いらいらしながら待つこと20分,漸く現れたF嬢に報告書を渡し,簡単に説明して,今回の調査は完了したことになる。

次いで,取り決めに従って,今年度の施設利用料を払おうとしたら,SIMTRIには会計係のオフィスがないので病院の経理係で支払った方がいいということになった。SIMTRIには車がないので,F嬢と2人,慌ててタクシーをつかまえて病院に行って支払いを終わらせ,そのままタクシーでホテルに帰り着いたのが11:30頃だった。メール受信をしてからチェックアウトしたら12:30になったが,それでも空港行きのワゴン車が出るまで暫く余裕があった。これで一安心だと思ったが,そう思うのは早計だった。

空港に着くまでは順調だった。しかし,チェックインのときに問題が起こった。飛行機がディレイで2時間くらい遅れるかもしれないし,ブリスベンまでしか荷物を送れないというのである。今回はブリスベンには泊まらないし,乗り継ぎ時間にも余裕がないので,荷物は成田までスルーにして欲しいところなのだが,空港係員がいうには,ブリスベンまでで連絡は切れているから,いったんブリスベンで荷物を出して出国しろというのである。しかも,オーストラリアは凄い砂嵐で,ブリスベンからシドニーの便は飛ばない可能性があるとかいう。

O先生を中心としてさんざん粘って交渉し,もし連絡できなかったらブリスベンで荷物を出すからという条件で,とにかくいったんは成田までスルーのタグを預け荷物につけてもらうことに成功した。飛行機の到着ディレイは30分くらいだったのだが,出発直前に1人,ジムなんとかという人が乗っていないことが判明し,その人の荷物を出すのに30分くらい余計にかかり,かつブリスベン悪天候のために着陸に時間がかかったので,都合1時間半くらいのディレイになった。客室乗務員に事情を説明したら,大丈夫だから地上係員に言えというので,地上係員に言ったら,そこを出てすぐ右に行けという。3人で走って行って,トランジットのゲートの人が言うことには,我々が乗る予定のブリスベンからシドニー行きの飛行機は国内線の方から離陸するので,いったんオーストラリアに入国しなくてはいけないという。つまり,いったんブリスベンで出さなくてはいけないというソロモン航空の係員の言うことは正しかったのだ。チケットを手配してもらった旅行社は全然そんなことは言っていなかったが,事態がわかったからには急いで入国しなくてはならない。

しかし,預け荷物4つのうち,3つはすぐに出てきたのだが,最後の1つが全然出てこないのだ。待っているうちにどんどん他の客がイミグレに並んでしまった。その辺を歩いていた係員に探してもらって,結局,最後の1つは通常の荷物ピックアップではないところに別扱いで置かれていたことがわかったが,これでまた10分をロスした。しかも,急ぐのだからと言っても,そこの係員は,平気だから並んでいろというのだ。この順番待ちでさらに10分をロスした。さらにいったん国内に入るので荷物検査をする通関職員がいて,箱を開けさせられたので,さらに5分をロスした。国内線ターミナルまでは電車が一番早いからといって電車のチケット発券所まで連れて行ってはくれたのだが,そんなサービスよりもExpressで通関させてくれる方が100倍くらいありがたいと思いつつ,6分で国内線ターミナルに着いた。電車を降りて国内線チェックインカウンターにダッシュしたのだが,これがまた大勢の人が並んでいて埒が明かないのだ。日本と違って,急いでいる人のために案内してくれるような係員はいないので,この順番待ちでさらに5分を無駄に費やした。漸くExpressのカウンターの係員にチケットを示せたのは19:00ちょうどだった。勢い込んでチケットを示して事情を説明したのだが,「サー,残念だがその飛行機はもう間に合わない。締め切った。どうしようもない」というばかりなのだった。交渉したらどこやらへ電話だけはしてくれたのだが,やはりダメだというばかりだった。なんとも杓子定規なことだと憤慨した我々であったが,もうどうしようもなかった。ソロモン航空の遅れの理由は機材の故障とかではないのでカンタスから保障はされず,今夜のシドニー経由成田行きを明朝の成田直行便に振り替えてくれただけでも良しとする他はないのだった。

急いでホテルを探さねばならないのだが,もはや我々にいいホテルを探そうなどという気力が残っているはずもなく,いつものハシエンダの周辺で空室があるところをタクシーで探してもらうことにしてしまった。すると,ハシエンダは満室だったが,隣のAIROLODGE Internationalというホテルに空室があった。ファミリーサイズの部屋しか空いてないが? というのが気になったが,K先生に1室,O先生と自分は1室をシェアすることにした。185AUSドルもする部屋だけあってだだっ広く,無線LANも24時間接続,300 MBまで可というプランがクレジットカード払いで15AUSドルで使えたなど,居住環境は良かった。晩飯はハシエンダのレストランに行ったが,その後必要なメールを何通か打っていたら0:00を回ってしまった。コンビニで買ってきたビン入りのRed Bullを飲みながらでも疲れたので泥のように眠った。

最後まで一筋縄ではいかず(2009年9月24日木曜)

現地時間4:55に起き,5:20にチェックアウトしようと階下に降りたら誰もいなくて,カードキーをボックスに入れていけば,チェックイン時に示したクレジットカードから自動的に精算して引き落とすというのだった。5:30ちょうどにRed Baronがやってきて,荷物を載せて国際線ターミナルに向かった。着いたのはまだ6:00前で,かなり早い順番でチェックインカウンターに行くことができた。

いったんは普通にチェックインできたかのように思われたのだが,hiluxのパンクから続いている悪夢はまだ終わらなかった。チェックインカウンターの,ちょっとハリソンフォード似の係員(8.4にいた)が言うことには,飛行機がJALの運航だからJALの職員に確認したいんだけれど,まだJALの職員が来ていないからちょっと待てというのである。ただ待つのも無駄なので階下の飛行機会社のオフィスを見てみよう,あわよくばソロモン航空のオフィスで遅延証明書を出してもらおうと思ったのだが,ソロモン航空のオフィスはまだ開いていなかった。JALのオフィスが開いていたのでカンタスカウンター係員の言い分を伝えたら,それは変で,ちゃんと我々3人の搭乗はJAL側でも登録されているという。むしろ,カンタスの振り替えがちゃんとできてないとかいうのだ。それからさらに30分近く待たされ,ほとんどすべての乗客の最後に近いあたりで,漸くボーディングパスを受け取ることができた。

しかし,慌てて出国ゲートを通らないと間に合わないので,またもやそちらにダッシュした。自分とK先生は普通に通れたのだが,O先生は身体検査までされたそうで,大変だった。結局30分しか土産物を買う時間がなくなってしまったが(ボーディングが10分遅れだったのでちょうど良かった),何とか必要な分を買い,ボーディングすることができたときには,本当に疲れ果てていた。機内映画でMWとハゲタカとナイトミュージアム2を見たが,後は食事の時間以外はほとんど眠っていた。

成田での入国手続きや通関は何の問題もなく済んで,スカイライナー28号にほとんど待ち時間なく乗り継いだのは良かったが,それでも大学に寄っている時間はない。上野から,あさま543号に乗れたが,それでも長野まで直行するしかない。まあ仕方ないだろう。今回は本当に疲れ果てた調査行であった。


Correspondence to: nminato@med.gunma-u.ac.jp.

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