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2010年9月ソロモン諸島往還

Copyright (C) Minato NAKAZAWA, 2010. Last Update on October 13, 2010 (WED) 16:30 JST.

Be Mobile!(2010年9月1日水曜)

ブリスベン空港でのホニアラ行きトランジットは,例によって直接ゲートに行くことになっている。電光掲示板を見ると,今回は83番だったけれども,ブリスベンに着いてすぐの時刻ではまだ無人であった。成田から一緒に来た東京外語大のI君と北大の院生Mさんとの3人でカフェオレを飲んで暫く喋ってから再び83番ゲートを見ると,係員が2人いてトランジットの扱いを始めているようだった。行ってみると思った通りであった。2月に張りきっていた若いお兄ちゃんとは違う人だったが,ちゃんと仕事をしてくれてよかった。

少し説明が必要かもしれない。日本では空港係員などがちゃんと仕事をしてくれるのは当たり前だが,ブリスベンの空港で,ホニアラ行きの飛行機を扱う係の人は,必ずしもちゃんと仕事をしてくれるとは限らない。2006年夏の陣のときのようにゲート案内が空港の端から端までコロコロ変わることもあれば,2007年夏の陣のときのように間違ったチケットをちぎられてしまうことも,それほど珍しくない。

ブリスベンからホニアラまでの飛行機は横3人+3人の中型ジェットだったが,後ろの方には空席がちらほらあった。運航は頗る順調であり,予定より若干早くヘンダーソン空港に着いた。入国審査,検疫,税関は何の問題もなく通過したのだが,外に出てみると迎えに来ているはずのFPさんがいないのだった。いつものことだが一筋縄ではいかないのである。暫く待ってみたがFPさんは現れないので,これは何らかの事情でマライタから帰って来られなかったのだろうと判断し,タクシーでホテルに向かった。今のメンダナホテルまでのレートは80 SBDだとかいうので,I君が少し値切ってくれて,仕様が無いなあ,75 SBDでいいよということになったのだが,払う段になって運転手がいかにも悲しそうにゆっくりとseveeentyy five...というもんだから,財布の中に2 SBD札がちょうど2枚あったこともあって,結局79 SBD払った。

Be Mobileの携帯電話移動販売車

ホテルにチェックインして,ともかくNHTRI(前回まではSolomon Islands Medical Training and Research Instituteの略でSIMTRIと呼ばれていたのだが,正式名称がNational Health Training and Research Institute,略してNHTRIに変わったのだ。ただしSIMTRIが人口に膾炙しているので,いまでもタクシーなどではSIMTRIという方がNHTRIより通りがいい。そもそもNHTRIでは発音しにくいし……)でFPさんが来なかった事情を確認しようということになり,歩いて移動した。途中,何かの移動販売車が商売をしていて,何だろうと思ってよく見ると,携帯電話やSIMカードが売られていた。プリペイドが中心なら,たしかに個人確認などもあまり必要ないだろう。NHTRIに着いてみると,FPさんはまだマライタから帰ってきていない代わりに,連絡が入っていた。予定していた飛行機には乗れなかったようで,16:00にホニアラに着く予定で,16:30にオフィスで会いましょうとのこと。また,いつも村でホームステイさせてもらっているCS神父からも,着いたら連絡がほしいという伝言が入っていた。そこでCS神父に電話をして滞在予定を相談し,とりあえず明朝再び電話することになった。FPさんがいないことには仕方ないので,先に明日から村で必要な物資を買っておくことにして,WINGSスーパーマーケットに向かった。途中,さっきの移動販売車のところを通っていろいろ聞いてみたところ,実はホニアラでは簡単に安く携帯が使えそうなことがわかったので,299 SBDで売られていたNokia製の非常にシンプルな携帯電話を買ってみた。無料通話が20 SBD分あるのに,50 SBD分の通話料を上乗せして払った。もし使い果たしたら,街角にたくさんある携帯電話屋(後でわかったが,これまでTELECOMが独占していた電話事業に,ちょうどBe Mobileという会社が新規参入したばかりで,一大キャンペーンを展開中なのだった)で電話番号を教えて金を払うだけで,通話料をチャージすることができるそうだ。TOP UPというらしい。設定はI君にお願いした。WINGSでの買い物も無事に終わり,再びNHTRIに行ったのだが,FPさんはまだのようだった。FPさんの上司であるJMさんの話では,実はボートでマライタ島からガダルカナル島に向かっているらしいとのことだったので,着いたらホテルに電話をくれるように書きおきしてホテルに戻った。途中,スーパーに行ってトイレットペーパーとか石鹸とかインスタントコーヒーを買いこんだ。これで明日の仕事はFPさんとの打ち合わせと銀行での換金とレンタカー契約と蚊帳の入手を済ませてから村に行くだけだ。

19:00までの間にFPさんから連絡が入らなかったので,北大の院生Mさんと一緒に中華料理屋に行って晩飯を食べた。I君はちょうどソロモンを訪れていた民博のS館長から晩飯に誘われたとのことだったので仕方ないのだが,2人では普通盛りは多すぎるのであった。食べきれなかったのが残念だが,そこそこ美味だった。ホテルに戻っても結局FPさんからの連絡は入らなった。仕方ないので,明日はとりあえず7:00にロビーに集合してパンを買いに行くところから活動開始することにして解散した。

長旅で疲れていたので,荷物のパッキングをやり直したあとは,わりと早めに眠ってしまった。

蚊帳を入手して村へ(2010年9月2日木曜)

7:00にホテルのロビーで3人で待ち合わせ,朝食のためにパンを買いに行ってきた。相変わらず安くて焼き立てで,客が途切れることが無い。ホテルに戻って部屋に備え付けのインスタントコーヒーとともに食べてみると美味しい。このクォリティがよく維持されているものだと感心する。I君の話では,民博のS館長はご自分でメンダナホテルからRAV4とドライバーを借りているので,村まで一緒に行ってみたいと仰せとのこと。行ってもあまり面白いことはないと思うが,断る理由もないのでOKした(後述するように,結果的には,S館長が同行してくださったことが救いの神になった)。どうせ出発は昼過ぎになるので,昼まではご自由にお過ごしください,とお伝えしてから,今度はCS神父に電話をしてみたがつながらなかった。もしかしたら,もうボートの上なのかもしれないので,また後でかけてみるしかない。

Be Mobile店舗で携帯電話が当たるキャンペーンがあったために集まった人々

いったん解散して再び8:30にロビーで待ち合わせ,とりあえず日本円TCをソロモンドルに換えなくてはいけないので銀行へ向かった。途中,これまでソロモン航空のオフィスだったところの前にひどい人だかりができていたので,周りの人に聞いてみたら,Be Mobileのキャンペーンで,抽選で携帯電話が当たるのだという。ソロモンでこれほどの人混みは珍しいので,きっとキャンペーンとしては成功なのだろう。ふと,帰国前には航空券のリコンファームが必要なことを思い出して,再び周りの人に,じゃあソロモン航空のオフィスはどこへ行ったんだ? と聞いてみたら,Panatinaだという。遠方になってしまったことにうんざりするが仕方が無い。確かにPanatinaは格好いいショッピングセンターではあるが,多くのホテルや官公庁から遠いので不便だと思う。まあホテルの中でもPacific Casino Hotelからは比較的近いが。

銀行が混んでいたので先にNHTRIに行ってみたら,カウンタパートのFPさんがいて,昨日はボートでマライタからホニアラに来る途中,エンジンが停まって暫く漂流したりしたので大変だったの,という。そのせいでPoint Cruzの船着き場で16:30を過ぎていたから直帰したのだという。せっかく晩飯でもご馳走しながら打ち合わせをしたかったのに,と言ったら残念がっていたが,彼女の自業自得なので仕方ないだろう。しかし,いくら遅くなったとしても,我々と会う約束をしていたのだから,メッセージの存在を予想して研究所に戻ってみるとか,我々がいつもメンダナホテルに泊まっていることを知っているのだから,せめてホテルに電話をくれるくらいのことはしてくれても良かったはずだ。まあ,マライタ行きはI先生の調査についていったためで,昨夜もI先生と一緒に帰ってきたそうなので,もしかするとI先生が何かご馳走してあげていたのかもしれないが。

ともかく銀行に行って来なくてはならないので10:00に再会することにして,いったんNHTRIを辞した。銀行に行くと,I君とCMさんはまだ手続き待ち中だったが,偶然にもI先生がいらして驚いた。昨日の話を聞くと,FPさんから聞いた話とはかなり様子が違うような感じだったが,ともかく無事にホニアラに帰ってきてくれて良かった。

殺虫剤噴霧訓練の様子

銀行で日本円TCをソロモンドルに換金するレートは,1 SBD=10.6144円であった。手数料があるので,このレートでそのまま円建てで立替え払い額を計算するのでは多少損なのだが,群大での立替え払いの計算はそう決まっているので仕方が無い。無事に換金が終わってから再びNHTRIに行き,電話を借りてCS神父にかけてみると,ちょうど今,妻子とともにポイントクルーズに着いたところで,ご自身と奥さんが会員になっているヨットクラブで待っているという。FPさんとともにレンタカー屋に行く前にポイントクルーズに寄ることにして,そのためにとりあえずタクシーに乗った。いったんホテルに戻ってI君とMさんの二人を降ろしてからポイントクルーズに行ってCS神父,奥さんのKさん,お子さんのE君に感動の再会。会うたびに少しずつ太っていっているような気がしないでもないが,それはお互い様か。元気そうで安心した。村でも話は通っているから大丈夫だという。ただし,昨日の話ではCS神父が奥さんとお子さんをボートで村まで連れて行ってくれるということだったのだが,事情によりボートはTulagiに直帰しなくてはいけないことになったので,奥さんとお子さんは我々が車で村にお連れせねばならない。ということは,少なくとも今日はHiluxを借りたいところだな。健診中は最終日を除いてRAV4で事足りるとしても,最終日もHiluxが欲しい。昼過ぎに出発するから,そのとき迎えに来るまで,KさんとE君には待っていて貰わねばならないのだが,それはこの格好いいヨットクラブで待てるとのこと。

蚊帳の在庫

FPさんと再びタクシーに乗り,Pacific Casino HotelにあるSupreme Car Rentalというレンタカー屋に着いたのは11:00頃だっただろうか。ドライバーはたぶんかなり待ったのではないかと思うが,今日の日当も払うわけだから,待ち時間もそこに含まれていると考えれば,彼にとっては損ではないだろう。そう考えたのか,それとも,元々1時間かそこら待つことは苦にしないのかわからないが,人の良さそうなドライバー氏はニコニコしていた。ありがたいことだ。早速レンタカー屋と交渉してみたが,困ったことにHiluxはすべて出払っていて,翌週金曜まで空車が無いのだそうだ。RAV4は普通は5人乗りなので,お子さんを膝に抱いたKさんが助手席に乗るとして,I君,Mさん,自分とFPさんが乗るためには,1つ席が足りない。すっかり困ってしまったのだが,ここで思い出したのが民博館長S先生の有難いお言葉であった(電話口で,席が空いているから1人くらい乗せて行ってもいいと言われていた)。そこでI君には申し訳ないが行きはS先生の車にI君を同乗させていただくことにして,RAV4を1週間借りる契約をした。1日のレンタル料が500ソロモンドルだが,1週間だと3,000ソロモンドルになり,1日分はディスカウントされる。これで翌週木曜昼までは車が使える状況になった。実は翌日(3日金曜)だけは車は不要なのだが,1日+5日という借り方をしても7日通しで借りても同一料金なので,面倒な契約にすることを避けるためにも通しで借りることにしたのだ。

借りた車でホテルに戻る前に蚊帳を入手したいとFPさんにお願いし,紆余曲折あって(州政府のマラリア対策部門の人たちがオフィスからかなり遠い場所で殺虫剤散布訓練をしていて,そことの間を行ったり来たりしたこともあって)1時間ほどかかったが,何とか3張りの殺虫剤処理蚊帳を無料で入手することができた。実は村にも置いてあるものが使える可能性が高いが,念のために持参する方が安全だろう。そのままホテルに戻って,午後の出発時刻を決めて,車とFPさんには後で来てもらうことにした。ちょうど昼だったのでI君とMさんとS先生ご夫妻と一緒にメンダナホテルの和食レストランに入り,S先生が借りている車にI君を同乗させてもらうことをお願いしたところ,快くご了承くださって本当に助かった。そのうえ,昼食代までおごっていただいてしまったし,村であげられるような日本からのお土産品までいただいてしまったので,もはや民博に足を向けては眠れない。

14:00にホテルに来るようにFPさんとドライバーに言っておいたので,13:50にチェックアウトし,すべての荷物を用意して待っていたら,彼らにしてはわりと正確な時間で(それでも15分くらい待ったと思うが)RAV4が到着した。もちろん民博館長S先生ご夫妻はホテルの車を借りているので14:00にはスタンバイされていて,この15分を待たせてしまったのは心苦しかったが,こればかりはいかんともしがたい。途中,FPさんの携帯に我々のNokiaから電話してみたら,いま車でそちらに向かっているという返事があったのだが,まったくどこまで行っていたのやらである。

ともかく荷物を全部積んで出発である。まずヨットクラブに行ってCS神父の奥さんとお子さんをピックアップした。彼らの荷物も結構多くて,我々が借りたRAV4は既に一杯だったので,S館長のRAV4の荷台に積み込んだわけだが,本当にぎゅうぎゅう詰めにしてやっと入りきった。とはいえ,その荷物の中には,我々に使わせてくれるためのマットレスとか,今晩のおかずになる大きな魚が入っていたので,我々をもてなしてくれるために大荷物になっていたので,決して彼らのせいではない。

トイレ作成中……

そこからはスムーズに村まで行けた,と言いたいところだが,ぼくが借りたRAV4は前輪の空気が抜けていたとかいうことで,途中の修理屋で空気を入れてもらう必要があって出鼻をくじかれた。しかも,その間にS館長のRAV4が先行してDon Boscoで待っているということにしたのは大失敗であった。我々は後から追いかけてDon Boscoに行ったわけだがS館長のRAV4は影も形も見えないのであった。これは先に行ったのかと思ってFPさんにI君がもっているNokiaに電話をしてもらったら,I君の乗ったS館長のRAV4は現在Ngalinvu川に懸かっている橋のところにいるという。そこは確かに我々がいたDon Boscoより先にあるので,先に行ったんだねということになり,我々のRAV4は先を急いだのだが,これがまったくの誤解だったのだ。FPさんの携帯は二つ折りの格好いいマシンなのだが,通話残高のチャージをしていないので通話が数十セント分しかできないとかいう理由で(Be Mobile!ならば街中のいろいろなところでTOP UPでチャージできるのだが,FPさんのマシンはTelecomなので,それができないそうだ),最短時間しか電話をしてくれなかったのも敗因だった。現在地だけでなく,既にDon Boscoを過ぎたのかどうか確認すれば良かったのだが,彼女は電話代をセーブするためにそれを省略したのである。実は別のDon Bosco(のAgricultural Stationだったと思うが定かではない)がもっと先にもあって,S館長たちのRAV4はそちらを目指して走っている途中だったのだ。我々がそっちのDon Bosco(FPさんとドライバーは,そっちだったら別の言い方をすると思っていたらしい)の前を通り過ぎた時に,S館長のRAV4はその敷地の中の方にいて,つまりはうっかり追い越して,置き去りにしてしまったのである。

Mberande川を渡って暫く行ってから左折すると,例によって悪路になり,途中1ヵ所,本当に沼のようになっていてRAV4のタイヤが空回りする状態になって危なかったのだが,怪我の功名というのか,S館長のRAV4が先に行ったはずだからと思いこんでいたので,強引に進めようと何度か進路を変えて試行錯誤し,何とかその難所を乗り越えることができた。そこから20分ほどかけて村に着き,やっとS館長のRAV4を置き去りにしてしまったことに気付いたのは,何とも間抜けだった。携帯電話もアンテナが立たないし,I君はMbambala村に来るのは2度目だが,ドライバーは来たことがないらしいので,余程引き返そうかとも思ったが,これから引き返すとガソリンが足りなくなる可能性があるし,いくら何でもこれだけ時間が経てば,こちらが先行してしまったことにホテルの運転手が気付いて何とかしてくれるだろうと読んで,待つことにした。それでも,数十分後にRAV4が入ってくるのが見えた時の安堵感といったらなかった。Mbambala村への道は,途中の村で聞いて確認しながら,あの沼状のところは我々と同様,こちらのRAV4が行けたはずだからということで強行突破したそうだ。それにしても薄氷を踏む思いだった(ただ,一つだけ言い訳させてもらうと,ぼくは酒にとても弱いのだけれども,メンダナホテルの和食レストランで昼食をご馳走になった時,S館長がビールを飲むのに1杯でいいからということでつきあわされてしまったため,やや判断力が鈍っていたことは否めない)。

S館長のRAV4がホニアラに帰って行ったあとはMさんが泊まるところを決めたり,蚊帳を吊ったり,半年分の近況報告を兼ねた雑談をしているうちに日が暮れた。今回はトイレが途中までできていたのだが,我々の到着により,SB氏が慌てて仕上げにとりかかってくれた。前回滞在中にLatrineプロジェクトと称し,それぞれの村にトイレを作るために出資してくれと言われて,出資していたので,これは約束を果たしてくれたということなのだが,親の言われたとおりに葉っぱを編んだ壁を押さえている子供たちが素直でかわいらしかった。

晩飯はホニアラから持ってきた魚が出たのだが,いつも通り大変に美味であった。

村々を歩く(2010年9月3日)

まだ村の環境に慣れていないのだが,日本の酷暑に比べれば余程過ごしやすいのが救いだ。7:00頃起きて,インスタントコーヒーとビスケットという朝食をとってから,村を回って現在人口の確認をするというroutine workに取り掛かった。途中まではJCN氏がつきあってくれたのだが,最後は疲れたのか飽きたのか,ともかく途中からは日本人だけで回ることになった。

不在の人もいたが,村に残っていた人に根掘り葉掘り聞いて,概ね人口の確認作業は終わった。人口の聞き取り以外にも,村人に会うたびに,やあやあ,久しぶりだねえという感じで握手をして雑談をして,土曜から火曜までMbambalaでいつもの健診をやるからよろしくね,と宣伝するので,ほぼ丸一日がかりだった。とはいえ,水浴びに行く余裕はあったし,スケジュール的にはちょうど良かったと思う。

ただ,本当は,久々に人口調査をちゃんとやりたかった。1995年から15年も経っているので,この間の人口動態をちゃんと把握できれば,ウェスタンのP村との比較も含めて論文が書けるだろう。もっとも,社会動態(つまり移住)の方が自然動態よりも影響が大きそうだから,ちゃんと把握するには,ある程度腰を据えて聞き取りをする必要があるし,現在の仕事の状況では,それだけの時間をちゃんとフィールドワークするのは難しいのが悲しい。

夜は22:00頃眠ったような気がする。

健診初日だけで80人超(2010年9月4日)

鶏の声と子供たちの声で7:00前に目が覚め,ビスケットとコーヒーで朝食を済ませてから,健診の準備を始めた。身体計測のためには平らな場所が必要だし,順路も考えなくてはならなかったので,机の配置をうまく決めるのに時間がかかったが,8:00過ぎにはセットアップ完了した。既にポツポツと健診参加希望者が集まり始めていて,後はホニアラチームがいつ着くかだ。

9:10頃だったか,予想より早く,RAV4からK先生と一緒に,初めてお会いする日本人女性が降りてきたので驚いた。そういえば,K先生から,以前メールで,もしかしたら自費でソロモンに来られる,村に行ってみたくて,以前ソロモンに長く住んでいてピジンはできるのでインタビューの手伝いをお願いできるかもしれない人がいる,という話を伺ったことを思い出した。果たしてやはりその方で,K先生の同僚でもあるFIさんであった。日程など示し合わせたわけではなくて,ホニアラで偶然ばったり出会ったという話だったが,FIさんに手伝っていただけたおかげで,今回の調査は随分楽になった。僥倖というほかはない。ちなみにFIさんは,メンダナホテルの隣に新しくできた(NHTRIのFPさんによると五つ星だというが,本当は四つ星らしい)ヘリテージ・パーク・ホテルに泊まっていらっしゃるのだそうだ。

ともかく健診開始できたのは9:30頃だったか。順調に村人がやってきて,受付と聞き取りと写真撮影を2人でやってもらい,生体計測を北大の院生2人,マラリア検査とHbと血糖値をNHTRIスタッフとK先生,最後に尿検査を自分がやるというコースを回ってもらったのだが,13:30頃まで休みなく受け付けて60人余りの参加者であった。

本当は12:30頃に,村人が張り切って作ってくれた昼食は準備できていたのだが,健診に来る人が途切れないので,こちらも休めないのだった。それでも,きりがないので,13:20頃受付を一時停止し,昼食にした。イモと米とラーメンと野菜スープと果物だったと思う。いつも思うことだが,米の炊き方はホテルや中華料理屋よりうまい。燃料は薪で,普通に蓋つきの鍋で炊くのだが,水加減なども絶妙で,失敗することが無いのが凄いと思う。昼食後に受付を再開したが,健診受診希望者が来る速度はやや衰え,16:00までに20人近く増えるにとどまった。それでも,尿検査が完全に終わったのは18:00近かったので,水浴びにも行けなかった。まあ,短期決戦なので仕方ないか。尿試験紙を目視でチェックしている以上,測定者を変えるわけにもいかないし。

晩飯までの間に写真ファイルの整理をしながら,今回のIDと6年間通しのIDと写真IDと体重を入力した。最短で翌朝,マラリア検査結果が出るので,陽性の人を治療するために,名前と村落と体重が掲載された写真を印刷して用意しようというわけだ。写真自体,楽しみにしてくれている村人が多いので,この作業は重要だ。疲れ果てたせいか,晩飯が何だったのか覚えていないのだが,村人ともいろいろ喋ってから,この日も22:00頃眠ったと思う。

健診2日目は日曜日(2010年9月5日)

日曜日は7:00に起き,ビスケットとインスタントコーヒーの朝食を済ませてから,前夜用意した写真印刷を開始した。しかし,大きな落とし穴があった。途中でバッテリーが切れてしまったのだ。

尿検査2010年9月

2月調査の時に3本のバッテリーを全部充電し,1本の途中までしか使わずに済んだので,そのままにしていたのが失敗だった。半年ですっかり自然放電してしまったらしい。写真印刷用ファイルを用意する手順は前回と同じにした。つまり,まず2メガピクセルで撮ったjpegファイルを,IrfanViewのバッチ変換で解像度を614x461まで落とす。新たなディレクトリを作り,今回はファイル名やタイムスタンプはそのままになるようにした。さらに,Adobe Photoshop Elementsの一括変換機能を使って,その低解像度jpegファイル群をeps形式に変換し,epsというディレクトリに保管されるようにした。体重などを入力したデータファイルを読み込んで自動的にLaTeXのソースを生成するようなRのコードを書いておき,実行すると,自動的にepsを読みこんでpdfにまでもっていくようなLaTeXのソースができあがる。これをpLaTeXにかけ,dvipdfmxを使うと1ページ1人のpdfファイルができあがる。B5サイズなのでプリンタに出力するときに縮小印刷するのだが,とくに問題なく印刷できる。こうするとプリンタのバッテリーの消費を最小限にとどめられるのだが,それでも切れてしまった。しかたないので,この日に写真を配るのは諦め,マラリア陽性の人の結果は別の紙に手書きすることにした。バッテリーはプリンタにセットして電源につなぐだけで充電できるので,ホニアラから来る誰かに充電をお願いすることにした(結局,後でFIさんにお願いした)。それにしても間抜けだった。

蚊よけリングとそっくりな,RAMSIがばら撒いている腕輪

この日はホニアラからのRAV4が着いたのがやや遅れて,10時過ぎだったと思う。プリンタのバッテリーの問題があったせいで,こちらも準備をしていなかったので,健診が始まったのは11時近かった気がする。前日ほどは受診希望者が次々に来ることはなく(とはいえ,前日の検査でマラリア陽性だった人にFPさんが投薬するために該当者を呼んで説明したりということも同時並行していたので,まったく暇ではなかったが),昼前に30人弱を受け付けたところで切れ間ができたので昼食にした。尿検査も順調に進んだので,ほとんど検査のやり残しが無い状態で,落ち着いて昼食をとることができた。この日は村人から貰ったポポ(パパイヤ)と,Fさんがマーケットで買ってきたメロンポポという果肉がかなり赤っぽいポポの二種類の果物が食後のデザートとして供され,実に美味だった。

昼食前に,ぼくらが住ませてもらっている家の隣家に住んでいる少年の腕にはめられているゴムっぽい腕輪が気になったので写真を撮らせてもらった。ぼくは虫よけのために柑橘系の香りがするゴムリングを両手にしているのだが,それに実に似ているのだ。I君が入手先を聞いてみたら,(長めにみれば2000年前後約6年間続いた)民族紛争が2003年に終結した際の立役者である多国籍平和維持軍RAMSIが,この辺りの村で子供相手にばら撒いたものだという。ぼくのと違って虫除け機能はなさそうだが,まあ子供の装飾品としては格好いいということなのだろう。

昼過ぎは15:15頃まで受付をして35人ほど受診者が増えた。前日よりは人数も20人ほど少なく,来場ペースもわりと均質だったので,尿検査のサンプルが溜まってしまうことがなく,この日は水浴びに行くことができた。ここの水浴び場は小さな川で,下流の方は水が澱んでいて蚊の繁殖場所になっていそうなのだが,水浴びをするのはわりと上流の湧水に近いところなので,澄んだ冷たい水が気持ちいい。ウェスタン州ガトカエ島のビチェ村の水浴び場ほどではないが,水浴び場としては十分なクォリティをもったところだといえる。水浴びをしてすっかり元気を回復した後,プリンタは使えないがコンピュータは生きているので(予備バッテリー1本を含めると,Let's Note Y5はバックライトの明るさを最低にしておけば13時間くらい使えるのだ),当日分のデータ(IDや体重などの重要項目のみ)を入力し,写真ファイルの縮小加工とeps化をし,RとpLaTeXとdvipdfmxを実行して印刷用pdfを完成させたところで晩飯の時刻になった。

晩飯は野菜入りラーメンとイモ類を石蒸ししたものとご飯とコーヒーといういつものメニューだったが,これも十分に美味い。ただ,インスタントコーヒーの粉が切れてしまったのは誤算だった。これも昼のうちにFIさんに購入をお願いしておいたのだが,「銘柄を指定しなくても大丈夫だろうか?」という不安がこの夜の話題となった。というのも,インスタントコーヒーはオーストラリアから輸入されたものはそこそこ飲める味なんだけれども,インドネシアやPNGから輸入された安いやつの中には,かなりひどい味のものもあるからだ。ソロモンの人の多くは,たぶんインスタントコーヒーは水に色を付けるためのものだと思っていて,ごく少量を使い,砂糖をたくさん使って作るので問題ないのだろうが,ぼくらはブラックで飲むので,コーヒー自体の味が重要なのだ。

食後は前日と同じく村人と暫く喋って22:00頃就寝。

健診3日目と4日目は低調(2010年9月6日〜7日)

月曜と火曜も村で健診をした。FIさんにプリンタバッテリーの充電をしていただいたので,写真も無事に印刷できた。

キャッサバプディング作り

ただ,水曜日のSt. Maryのお祭りの準備で忙しい村人が多くて(普通だったらホニアラに売りに行くくらいの,大量のキャッサバの皮を剥いてから石蒸しして,大きな金下ろしみたいなものですり潰したり,大量のココナツの果肉を削ったり,それらとナッツ類をまぜて,プディングを作って蒸し焼きにするというプロセスには,時間も労力も相当にかかるので),あまり人数が増えなかった。しかしぼくとT君が火曜の健診終了後にホニアラに向かうため,火曜はホニアラから来るスタッフの人数を制限しなくてはならなかったため,人数が増えなくてちょうど良かったかもしれない。

とはいえ,これは日程の設定ミスであった。FPさんと7月に打ち合わせをしたときの情報では,今年はSt. Maryのお祭りを8月にやってしまうから9月にはお祭りは無いということだったが,そんなことはなくて,確かに8月にも教会落成のお祭りはあったけれども,それはそれであって,定例の9月8日のSt. Mary's Festivalは盛大に催されるのだった。2006年9月には首相になったばかりのDr. Derick Sikuaもお嬢さんと一緒に来ていたが,今回も来るだろうとか,Anglican Church of MelanesiaのBishop経験者が来るとか,いろいろな噂話で盛り上がっていて,とても健診どころの騒ぎではないのだった。

マラリア簡易迅速検査結果

それでも,毎回健診を受けているけれども今回はこれまで忙しくて来られなかったという人や,朝からちょっと具合が悪いからといって遠くから歩いてやってきた人とか(慢性疾患ならわかるんだが……),既に土曜に検査済みなのだが朝発熱したという子供(データにはならないが……)といったお客さんがちらほらやってくるので,まったく無駄というわけではない。とくに発熱している子供は,マラリアだったら,そのときの血液中の原虫密度は高いことが多いので,ICTでも引っ掛かる可能性が高い。それで,そういうリクエストが来るたびにFPさんに頼んで,ICTで検査をし,熱帯熱マラリア陽性だったらCoarthemだけを処方し,三日熱マラリア陽性だったらCoarthemと,G6PD欠損の検査もして欠損でなければプリマキンも処方するという対処をとってもらった。ICTはO先生がもってきたものを使い,G6PD欠損の検査はI先生がマライタ島で彼女に伝授し,試薬も進呈されたのだそうで,信頼性はまあ十分だと思う。この試薬は冷蔵保存が必要なのだが,彼女はちゃんと保冷剤と一緒にもってきていて,冷蔵が保たれていたのには感心した(問題はいつまで続くかということだが)。もっとも,G6PD欠損の検査ができない場合は,とりあえずプリマキンも処方しておいて,溶血などの副作用が出たら服用を中止するという方法もかつて取られていたわけで,たぶんそれでも大きな問題はないのだと思う。

月曜と火曜の生活面は,FIさんが買ってきてくださったインスタントコーヒーがインドネシア製でよくある超微粉のただ苦いやつだったのは悲しかったが,FIさんはたぶん良かれと思って安いものを買ってくださったのだろうし(100 SBD札を渡してお願いしたのだが,半分くらいお釣りで返ってきた。全部使ってくださって良かったのだが),Robert Timmsのやつと銘柄を指定しなかったぼくのミスなので自業自得である。インスタントコーヒーの味に関しては村に滞在していた4人が同じ思いだったのだと思うが,それまでと消費量がまるで違っていた。

ドロドロの道

火曜の健診終了後,ホニアラへ向かった。舗装道路に出る手前のところでマラリアテクニシャンG氏が降り,そこからは5人乗りになったけれども,そこまでは6人がRAV4にすし詰め状態であった。しかも道がドロドロで,沼のようになっているところでは重量を減らさなくては進めなかったりするので,T君とFPさんとG氏が車から降りて道路わきのブッシュを歩いたりするという,厳しい行程だった。車を降りたところから道路わきまでが水たまりで隔てられているところでは,FPさんは諦めて水に足を浸して歩いたが,T君は走り幅跳びの要領で大ジャンプを披露してくれたりした。車に戻ってからFPさんとG氏が,T君はCommonwealthの陸上大会のlong jumpに出られるんじゃないかなどと言って,T君をからかっているのが面白かった。

舗装部分に出たら100 km/h近いんじゃないかというスピードで飛ばしたので,村を出てからホニアラに着くまで2時間くらいで済んだが,うち1時間半は悪路での泥との格闘であった。街中に出てから,翌日から健診をする予定の学校に寄った。会議中だったので暫く待ったが,首尾よく校長(代理?)と話すことができ,既に書類を渡しておいたこともあって,スムーズに翌日からの健診の手筈が整った。その学校に派遣されているJOCVのYさんと,以前そこに派遣されていて,いまはソフトボールを普及させるためにいくつもの学校などを飛び回っているIさんが,健診を手伝ってくれることになっていたので,打ち合わせを兼ねて晩飯でもと思ったのだが,Iさんは遠方の学校に出かけているということで来られなかったのは残念だった。それでもYさんがつかまったので,O先生とT君も入れた4人でメンダナホテルの和食レストランで食事をしながら細かい打ち合わせができた。

ホテルの部屋に戻ってからも,メール送受信(ネット接続は1週間有効のBumblebeeカードを買った。部屋の中でも場所によって無線LANの感度がいいところと悪いところがあるのだが,今回の部屋はクーラーの前が最高の電波状態だった)やデータ入力や写真印刷などをしていたので,あまりちゃんと眠っていないのだが,途中眠気覚ましにつけていたNHK国際放送で流れていたドラマ『10年先も君に恋して』がツボだった。これは帰国後も続けて見てしまうだろう。

ホニアラの学校での健診初日(2010年9月8日)

たしかパン屋まで朝飯を買いに行き,パンを4個買ってきたが,2個食べて,残りは翌朝のために冷蔵庫に入れた。8:30までに準備を済ませてロビーに行き,RAV4の迎えを待って出発した。T君は別のホテルから自力で学校に来てもらったのだが,自分とO先生,K先生,FIさん,FPさんとドライバーがRAV4に乗らなくてはならず,助手席に自分とO先生が無理やり乗り込むという状況は辛かった。途中,飲み水だけ買って学校には9:00頃に着いた。机を並べて準備をするのに時間がかかったり,最初はあまり健診参加者の出足が良くなかったりで,10:00過ぎから健診を始めた。

糖尿が出ている例

ちゃんと昼食をとる暇もなかったし準備もしていなかったので,何を食べたのかも覚えていないが,飢えはしなかったので,きっと何か食べたのだろう。それくらいしか記憶が無いほど,次から次へと健診受診希望者がきて,100人近い尿検査をしたので,終わったのが18:30頃だった。村に比べると明らかに肥満体の人が多く,尿検査で異常所見を示す人も多かった(尿に糖がでているとか)ので,ある意味やりがいはあったが,疲れ果てた。ドライバーにそれまで待っていてもらい,自分とT君をホテルに送り届けてもらったら,19:00近かった。そこでO先生と合流し,翌日の打ち上げの下見と個室の予約を兼ねて中華料理屋に行き,漸く一息つけた。後で聞いた話では,ドライバーは自分とT君をホテルに送った後でFPさんを拾い,病院に行ってA氏に頼んでスライドを染色し,染色が終わってからそのスライドをホテルに運んでK先生に渡してから帰ったそうだ。たぶんこれは段取りが悪くて,尿検査以外の健診が終わったのは16:00前で,ぼくら2人以外は先に戻ったのだから,そのときに染色とかは終わらせておくべきだったのだ(というか,ぼくはそうしたのだろうと思っていた)。翌日もこんな調子では自分が疲れきって倒れそうなので,何か対策を考えなくてはならないかもしれない。尿検査のうち分注などは別の人にやってもらうとか? または尿検査を誰でもできるようにするための機器導入とか?

個室の予約は首尾よく終わった。料理はチャーハンを除けば美味であった。こちらの人はチャーハンをただのライスのようにして,他のおかずとともに食べるからなのか,チャーハンに味がなさすぎた。これが常態だとすると,打ち上げメニューでチャーハンを頼むべきかどうか微妙なところだ。

ホテルに戻ってからはデータ入力やメール送受信などをしてから眠った。よく覚えていないのだが,結局あまり眠る時間がなかったような気がする。

健診最終日(2010年9月9日)

木曜は7:00前にシャワーを浴びて目を覚ました。雨だったし予想通り時間もなかったので,前日に買って冷蔵庫に入れておいたスコンとインスタントコーヒーだけの朝食をとり,準備をしてロビーに出た。

航空券のリコンファームのために立ち寄った高級ショッピングセンター,Panatina Plaza

FPさんが乗ったRAV4がホテルに着いたのは前日と同じくらいだったか。前日の反省を踏まえ,昼食をケータリングなどで確保しようと決意していたのだが,FPさんと話していたら,ドライバーにFish and Chipsを買いに行かせるから大丈夫だというので,まあ現地の人がいうことだし,それに従うことにした。

この日はリコンファームもしなければならないので,学校に行く前にソロモン航空のオフィスに寄ってもらった。先にも書いた通り,2月まではポイントクルーズにあって便利だった旧オフィスの場所は,Be Mobile!のオフィスになってしまっていたので,まだ行っていなかったのだ。ソロモン航空の新オフィスは,車でなくては行きづらいPanatina Plazaという場所にあるのだが,ここは白人御用達のショッピングセンターで,他にも格好いい店がいろいろ入居しているのである。奥の方にFish and Chipsの店もあり,ケータリングもやっているようだったが,FPさんによると,ここは白人御用達だから高いし止めた方がいいというので従うことにした。まあ所詮Fish and Chipsだし。ソロモン航空のオフィスは駐車場から向かって右側にあり,クーラーが効いていてデザインも格好良かったが,機能的にはポイントクルーズにあった頃と変わらず,E-ticketを見せて予約の再確認をしてもらうだけだった。

Be Mobile!の出店で299 SBDで購入したNokia製携帯電話

その後は,前日同様,飲み水を買ってから学校へ行った。10:00より前に健診を始めることができたが,ナースのN氏がなかなか顔を出してくれなくて困った。今回買った携帯電話をFPさんに貸して,N氏を電話で呼び出してもらおうとしたら,どうやら,N氏は前日の労賃について不満があってゴネているそうなのだ。FPさんやドライバーやマラリアテクニシャンは,事前交渉の結果(というか,FPさんから一方的に書類を渡されたのだが) ,一日の労賃が100 SBDと決まっていた。2月の段階でガダルカナル州政府の人を雇う時は一日当たり100 SBDに値上がりしていたのだが,当時はSIMTRI関係のワーカーはこれまで通り一日当たり50 SBDで良かった。しかし,彼らがガダルカナル州政府関係者と一緒に働く機会はとても多いので,たぶん働くたびに不公平感が募ったであろうと思われ,労賃が値上がりするのは時間の問題で,これは想定内の値上げであった。N氏は州政府のワーカーでもなく,NHTRIのワーカーでもないので,このレートは適用されない。どうしたものかFPさんに相談したところ,昨日の話では,そもそも学校職員とその家族の健康管理はN氏の職責に含まれているので,健診をやってもらえるなんて機会は喜んで協力しますというべきものであり,労賃など払わなくてもよい,けれども,それだとさすがに気の毒なので,感謝の印だといって50 SBDも払っておけば十分だろう,ということだった。

それで昨日は彼だけ50 SBD,他のワーカーには100 SBDを払ったのだが,互いに見えないようにしたから大丈夫かと思いきや,ドライバーか誰か,ともかくNHTRI関係のワーカーがN氏に対して,自分たちが100 SBD貰っていることを喋ってしまったらしい。まさか喋るとは思わなかったので,口止めしなかったのは手落ちであった。結果,N氏が拗ねてしまったというわけだ。

ホニアラ市内の学校の健診会場

さて困ったぞと思いつつも,いったん電話を切ってもらって,FPさんに,こういう場合,N氏の言うなりに100 SBD払ってもいいものかどうか尋ねてみた。すると,これは彼の本来の仕事だから払う必要はないのだけれども,"You can"だと言って意味ありげに目くばせする。なかなか解釈が難しかったが,受付での個人同定にはN氏の協力が欠かせないし,昨日だってFPさんの助言がなければ他のワーカーと同じく100 SBDを払っていたはずなので,わかった,100払うからすぐに来るように言ってくれと返事した。FPさんが再び電話をかけて,話はすぐにまとまったのだが,N氏がしれっとしてやってきた時は,それからゆうに20分は過ぎていた。

ちなみに,この学校の健診はバスケットやフットサルのコートがある,壁は無いけれども屋根があるパビリオンみたいなところでやっていて,この日のように朝から雨が降っていても作業に支障がない(昼過ぎには晴れたが)。とてもありがたいことであった。もし村にいたときにこういう天気だったら,大いに健診に支障があったはずだ。そういう意味では運に恵まれているのかもしれない。

糖尿病患者の運動療法パンフ

先に糖尿の人が多いと書いたけれども,マラリア陽性の人に対するのと違い,糖尿の人に対しては,その事実を指摘し,なるべく食事に気を付けて,適度な運動もするようにとアドバイスしてから,確定診断をつけるためにも病院に行くように言うだけで,投薬などはしない(できない)。こちらの病院は無料で受診できるし,この学校のロケーションだったら,村とは違って2時間歩くとかトラックに乗るとかいうハードルはなく,徒歩20分くらい,市内循環マイクロバスに乗ればあっという間に国立ホニアラ総合病院(他の診療所では治療できないために紹介された患者の行く先はここしかないので,National Referral Hospitalという。通称は#9 [ナンバーナイン]というのだが,どうしてそういう通称なのかは知らない)に行けるので,この方針でいいと思う。何より,糖尿病はマラリアと違って慢性疾患なので,治療に急を要するわけではない。

前日の健診で随時血糖が350ほどあって糖尿と判明した人が,さっそく病院に行ってみたところ,運動療法のパンフレットを貰ったそうで,写真を撮らせてもらった。なかなかよくできている。糖尿病の人に対してのものとしては運動強度が強めなような気もしないではないが,肥満対策も含めてのものとしたら,これでいいのかもしれない。自分でもやろうかと思ってしまった。

フィッシュ&チップス

昼前にやや健診受診希望者が途切れた時を見計らって,FPさんがドライバーにFish and Chipsを買いに行くように言ってくれた。一人20 SBDで買えるというので,それだけしか払わなかったのだが,FPさんが自腹を切ってライムジュースを足してくれた。ライムジュースは自家製で,ミネラルウォーターの空き瓶をrefillして使うので,外側のラベルはミネラルウォーターなのに中身は甘いジュースになっている。K先生だったかFIさんだったか,それを凄く不思議がっていたのだが,村に行けば他の飲み物でもやられていることだ。衛生面で若干の不安がないこともないが,ホニアラであればまあ大丈夫だろう。

20 SBDのFish and Chipsだが,いかにも安そうな油で揚げられていて,しかも量が多かったので,こんなものを常食していたら,この学校の人たちのように太ってしまっても仕方ないと思われた。右の写真は,袋から溢れそうになっていたのを食べ進んで,もうこれ以上は食べられないと思って2切れ残してしまった,サツマイモの揚げ物である(袋の上の方に白身魚のフライが何切れか入っていて,その下にいやというほどサツマイモの揚げ物が入っていた)。安そうな油であるとはいえ,やはり油と塩というのは偉大な調味料であり,そこそこ美味であった。

食後はペースが遅くて,20人足らずの受診希望者を受け付けたところで15:30頃になったので,今回はここで終了とした。ペースが遅いと尿検査もそれほど遅れずに終わることができ,16:00頃撤収した。

それから#9の中にある保健省の会計に行って今年度分の施設利用料3,000 SBDを支払い,ガソリンスタンドに行って,ガソリンを借りた時のレベルまでrefillし,レンタカーを返しに行ったら,前の週の木曜は昼前に借りたので,1週間を5時間過ぎているということで,時間割で延滞料金を取られた。まあ良心的な会計システムだとは思うけれども,以前だったら1週間借りた時は5時間延滞くらいは大目に見て見逃してくれていたように思うので,それだけ近代化が進んだということであろう。

夜は前夜も行った中華料理屋に,この調査のスタッフ全員に集まってもらって打ち上げをした。恒例の酸辣湯も美味かったし,水餃子のようなものも美味かったけれども,チャーハンは前夜危惧したとおり,味が薄かった。まあ,チャーハンではなく,薄く色がついて,具が混ざっているご飯だと思えばまずくはないのだが,期待と実体が違うと美味いと感じないのだと実感した。2時間ほど,個室で,10人(9人かも?)でさんざん飲んで食べたけれども,ソロモンドルで800くらいだったか,日本円でいうと全部で1万円もかからなかった。実にコストパフォーマンスのいい打ち上げだった。

しかしもちろん,これで終わりではない。ホテルに戻ってからデータ入力と中間報告書作成が待っているのだった。メール送受信をしてシャワーを浴びて目を覚ましてからデータ入力に没入した。

帰国へ(2010年9月10日)

データ入力が終わったのが3:00頃だったと思う。一眠りしてからシャワーを浴び,7:00頃から中間報告レポートをまとめ始めて9:00前に完了し,たぶんぼくと同じく夜なべで作っていたのであろうO先生のレポートを受け取った。朝食をとる暇もなかった。

エッグサンドとバナナマフィン

2人分のレポートをそれぞれ3部プリントアウトしてO先生と一緒にNHTRIに向かい,ちょうど出勤してきたFPさんと,その上司のJMさんに報告した。2月にワークショップをやる計画についての話し合いも首尾よく進んだ。帰国した後で,できるだけ早く,完成版のレポートを送らねばならないし,ワークショップの計画も送らねばならないが,どうやってその時間を確保できるかが問題だ。

ホテルに戻る途中,スタンドバーのようなところでエッグサンドとバナナマフィンを買った。16 SBDだから,170円くらいで朝飯が済んだことになる。昨夜の中華も安いと思っていたが,こういうスタンドバーの食事に比べたら高いので,ホニアラ市の住民といえども,やっぱり中華はご馳走なんだよなと再確認した。

荷造りはほとんど終わっているのでデータ入力の続きを少しやり,メールを送受信したら12:00になったのでチェックアウトした。K先生と一緒にホテルの送迎バスで空港に送ってもらい(タクシーよりも割高なのだが,急に離陸が延びていったんホテルに帰るとかいう場合でも対応してくれて追加料金は要らないので,いつも帰りはそうしている),空港のカウンターでチェックインしてからは,出国手続き,ボーディングとスムーズに進み,ブリスベン到着もほぼ予定通りであった。

ブリスベンでは,タクシーでホテルにチェックインしてから,食事と土産物を買うのにモールに行った後(金曜日だったからか,いつもなら閉まっている店がほぼ全部営業中だったのが嬉しかった),帰り道で少し迷ってしまったのが誤算だった(K先生には申し訳ないことをした)し,2月と同じホテルだったのに部屋が違ったからかLANケーブルを壁のソケットに挿してもDHCP接続できなかったのでメール処理ができなかったのだけれども,それ以外は至極順調だった。翌朝の空港で無線LANのオンラインサインアップをすることでメール送受信もできた。チェックインも出国手続きも実にスムーズだった。実はボーディングは最後近くになってしまい,Final boarding callで名前を呼ばれるという恥ずかしい目にあったのだが,別に出発を遅らせたわけではないから,まあ良かろう。


Correspondence to: nminato@med.gunma-u.ac.jp.

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