枕草子 (My Favorite Things)

【第58回】 体脂肪について(1998年9月5日)

うーん,なんて太平楽な話をしているんだろう,我ながら。世間では北朝鮮のミサイルだか人工衛星だかの推進部分が日本海と太平洋に一部ずつ落ちたという大事件が起こっているのに。本当に人工衛星だとしても,日本列島以遠へも物体を飛ばすことができる推進部分をもってますよという事実は明らかになったわけで,北朝鮮の指導部が変な気を起こさないことを切に願わずにはいられない。もっとも,昨日の日経の「春秋」みたいなヒステリックな論調は行き過ぎではないかと思うのは,ぼくが甘いのだろうか。

ともあれ,体脂肪である。この数日,来週の日本人類学会@札幌で発表する準備に忙殺されているのだが,その関連で読んだ論文の話。ちなみに発表テーマは,1997年大旱魃がパプアニューギニア低地に住むギデラという人々にどういう身体的な影響を及ぼしたか,という話で,結論は「全体としてみると大した影響はなかったが,もともと痩せていた人ほど影響が大きかったのではないか」である。影響は何で見ているかというと,1996年と1997年の同時期の身長と体重から計算したBMI(体重kg/(身長m×身長m))で,対象者数も100名余りしかいないのがデータとしては弱いが,まあ「大した影響はなく」て良かったと思う。あの当時は,人類生態学教室でも"Help! PNG"のキャンペーンを張って,大勢の方にご協力いただき,感謝している。

本題に戻ろう。肥満のページでも説明しているが,栄養学的にエネルギーの余剰状態を評価するには,BMIなんかでなくて体脂肪を使う方が,明らかによい。筋肉質だろうがぷよぷよだろうが170 cmで73 kgの人ならBMIは同じであるが,鍛え上げた筋肉でその身長体重なら体脂肪率は10%ということもありうるし,その場合筋肉がエネルギーを使ってくれるので決して余剰エネルギーは多くない。しかしBMIで評価する限り170 cm,73 kgは25.3となってギャロウの基準でグレード1の肥満となってしまう。そんなわけで,フィールドでも体脂肪を推定することは大事なのだ。もちろん今回もやろうと思ったのだが,諸般の事情でできなかった。

体脂肪の推定法にはいろいろあるが,標準は水中体重秤量法である。体密度がわかるので,筋肉と脂肪の密度の違いから脂肪の割合が推定でき,原理的にもっとも正しいのだ。しかしこれをフィールドでやるのは不可能に近い。皮脂厚の測定から計算で求めるとか,DEXAというX線を使う方法とか,

2H218O

という二重同位体標識水を飲ませて代謝水の安定同位体組成から体組成を推定するDLW法とか,他にもいろいろ方法はあるのだが,簡便さから注目されているのがBIA法である。

より厳密には肥満のページで説明するつもりだが,簡単に言えば,筋肉は電気抵抗が小さく,脂肪は電気抵抗が大きいことを利用して,微弱な電流を流して測った電気抵抗から脂肪の割合を推定する方法である。オムロンの両手で握るやつとか,タニタの体重計と一体化しているやつとか,ふつうの日本人については便利な機械が安く売られていて便利である。フィールドにはRJLシステムズBIA-101Qみたいなものを使えばいいのだが,いかんせん30万円近いので,おいそれとは買えないのが欠点である。タニタのやつでは測ったのだが,あれは両足の間の抵抗を測るので,相対的に脚に筋肉が多くついている人たちの体脂肪率を過小評価してしまう。ニューギニアの村人たちは狩猟採集と焼畑農耕をしているので,当然のことながら日本人の標準よりはずっと脚が筋肉質で,タニタの体重計に組み込まれている換算式で出てくる体脂肪は,変な値になってしまう。次回はBIA-101Qを買っていこうと思うが,後の祭りである。もっとも,タニタの体重計だって,表示値から換算式を使って抵抗値を逆算すれば脚の脂肪のつき方は評価できるだろうから,フィールドでも無意味ではないのだが(このアイディアを使った論文は現在投稿中)。

また脱線してしまった。はじめに触れた論文は,Journal of the American Dietetic Association (JADA)の最新号に載っていたもので,BIAと水中体重秤量法で病的に太った人たちの体脂肪を推定したら,BIAで一般人用の換算式を使うと彼らの体脂肪を過小評価してしまうということと,水中体重秤量法で頭を水の上に出してもさほど推定値が悪くならないことが目玉であった。この,頭を出してもよい,というのはすばらしいことである。なんといっても,水中体重秤量法が原理的に良い方法であるとわかっていながら使われにくい原因の,頭や耳の中まできっちりと水に浸からなければならない苦労を無くしてくれたのだから。結論としては,どうしてもBIAを使わざるを得ない集団でも,頭をつけない水中体重秤量法で何十人か測って,その集団専用の換算式を作ることが大事だということであったから,あまり嬉しくはないのだが(頭を出していいったって,ニューギニアでどうやって大水槽を手に入れる/あるいは運ぶのか?)。今後それをやらない論文は,体脂肪推定値としては受理されにくくなるだろうなぁ。

Heath, Edward M., Ted D. Adams, Maria Matthews Daines and Steven C. Hunt (1998) Bioelectric impedance and hydrostatic weighing with and without head submersion in persons who are morbidly obese. JADA, 98: 869-875.


前【57】(PDF化の謎(1998年9月1日) ) ▲次【59】(シロアリのはなし(1998年9月6日) ) ●枕草子トップへ