枕草子 (My Favorite Things)

【第90回】 病気とは(1998年11月12日)

Scientific Americanの11月号に載っていた記事だから,日経サイエンスでは1月号に載るのだろうが,病気の進化について面白い見方があった。Darwinian Medicineといって一部では有名なのだ(悪名高い?)。要するに,何故身体はガンや動脈硬化や抑鬱のような問題に対して傷つきやすくデザインされているのか,という問題設定をし,それに対して傷つく(ように見える)ことが適応的だからだという進化的な説明を加えるわけである。

具体的に書こう。著者らによれば,身体の傷(flaw)はたった5つのカテゴリのどれかに分類されるという。(1)痛み,熱,咳,嘔吐,不安のような,気持ち悪い状態,(2)大腸菌やワニのような,他の生物とのconflict(利害の対立),(3)ある特定の環境条件,例えば脂肪摂取が多くなりやすいような条件下で生活習慣病が増加すること,(4)利点とのトレードオフである,ある特定の遺伝子の欠点,(5)哺乳動物の眼のように自然淘汰の過程が最適でない条件に制約されて進んだ場合,である。

著者らは次のように説明して,これらはすべて適応なのだと言い切っている。

(1)は病気でもなければ傷でもなく,そのように進化してきた防御反応である。咳をすることで気道に入ってきた外来異物(病原生物を含む)を排除できるし,痛みがあればこそ身体の不調がわかるのだ(実際,痛みを感じない人は長時間鬱血が起こるような姿勢でいても平気なため,その組織が壊死したりすることが起こりうる)。熱に弱い病原生物もいるし,慢性的な感染を受けている人は病原生物に鉄を与えないために鉄が肝臓に偏在し低鉄血症に見える。また,悪阻の吐き気のおかげでちょっとの毒物でも食べられなくなって胎児の健康が守られる。臆病なグッピーの方がブラックバスに食べられにくかったということを考えれば,不安ももちろん適応的である。

(2)は単に生命における事実である(a fact of life)。他の生物もヒト以上の速度で進化するので,ヒトが他の生物に対して完全な防御を進化させることはできない。風邪で鼻水が出ることは,侵入者を追い出すかもしれないし,他人に病原生物を移すかもしれないし,その両方かもしれない。ヒトは抗生物質など人為的な適応法を生み出してきたが,結核などで多剤耐性菌が広まっていることを考えれば,抗生物質多用が両刃の剣であることは明らかである。最適病原性の進化が病原性をある程度弱くすることは,ペストや梅毒が流行末期で致死率が下がったことから考えても明らかであるが,マラリアのようにベクターが存在する病原生物では最適病原性が低く進化するとは限らない。院内感染では医療従事者の手がベクターとなっているし,コレラのような水を介して伝播する疾患でも,患者の下痢便が飲料水に混ざるような状況では病原性が感染力に正の相関をもつので病原性が弱くなるようには進化しない。この場合,上下水道を整備して病原性と感染力の関係を断ち切ってやれば,弱毒株が生き残るようになる。

(3)はその環境条件になってからの時間が短く,適応がまだ起こっていないだけである。動脈硬化に起因する心筋梗塞は狩猟採集時代には希だったと思われるが,現代の先進国ではきわめて多い。疫学研究によれば脂肪摂取を控え,野菜を多く食べ,毎日激しく運動することが心筋梗塞を予防することが明らかだが,ハンバーガーチェーンは増殖を続け,運動器具は国中で洋服掛けになっている。これは,我々の脳が,アフリカのサバンナで脂肪や砂糖が希少価値があった頃に適応しているからである。希ではなかった飢饉のときに,脂肪を蓄えていたヒトの方が生存のチャンスが大きかったと思われる。酒,煙草,アルカロイドなど多くのドラッグの悪影響や,現代の先進国において女性の乳ガンが多いことが初経の若齢化と産後不妊期間の短縮による月経数の増加と関連している可能性など,我々の身体がまだ新しい環境条件に適応していないと思われる事例は数多い。

(4)は適応に本質的につきまとう問題である。耳がもっと良い方が,危険を感知するには便利だが,普段は騒音に悩まされてしまうし,鎌型赤血球貧血遺伝子はマラリアには防御的である。嚢胞性繊維症遺伝子をヘテロでもつとチフスにかかりにくくなる。

(5)は遺伝が時間軸に沿って一方向にのみ進むことが原因である。既にできている構造によって進化が制約を受ける。脊椎動物の眼は後ろ向きに配置されている点で,イカの眼に比べて構造的に優れていないこととか,気管と食道の分離が不完全なために食物が気管に入ってしまう事故が起こることとか。虫垂は消化の補助器官だったが今や感染の標的になるだけなので無くなる方が適応的なのに,虫垂への血流が増えると細菌の成長がブロックされることから,虫垂炎は虫垂を大きくする淘汰圧をかけていることになり,一度できてしまった器官にかかる淘汰は単純でない。

著者の主張中には訳さなかった「言い過ぎ」箇所もあるのだが,概ね共感できたし,現在生きている集団が存続している事実をもって適応とみなすというのは,ぼくの考えと一致している。淘汰圧は健康状態を高めるようにかかるのではなく,包括適応度(つまり子孫の数)を高めるようにかかっているので,いわゆる健康でない状態に進化が起こっても何も不思議はない。考えてみれば健康というのはヒトが定義するわけだから,「健康でない状態」というのも妙な表現ではあるが。

誤解してはいけないのだが,適応したヒトを選択的に残す「優生学」を推奨するわけでは決してない。(3)の場合を考えれば明らかだが,環境条件が人為的にコントロールしきれない以上は,すべての場合に適応度が高くなるような最適条件を満たす人為淘汰が不可能であることは,あまりにも明らかだからである。また,この見方は医療を否定するものではない。治療しなくても適応するという保証はないし,治療したら治療したでそれに合わせた適応が起こるだけであろう(補足すると,新しい外部条件という淘汰圧が効果を発揮するのを待つのではなく,医療介入によって淘汰圧を小さくすることになる)。治療にはコストがかかることを考えれば(それはDarwinian Medicineの任でないが),ここでも予測が必要ではないかと思うが,作用素が多い長期的な予測はきわめて難しいので,今後いっそうの研究が必要である。もっとも,環境との相互作用も含めた人為淘汰圧がころころ変わっては,適応が起こる前に絶滅しそうな気もするから,新薬開発などはしすぎない方がいいのではないかとも思う。

まあ,「病気を治す」ではなくて個人の生存と集団の生存を見る点でDarwinian Medicineは人類生態学と共通する部分が大きいのだが,そうはわかっていても,まあ歯が痛ければ鎮痛剤を飲みたくなるし,下痢をしたら下痢止めを飲むよなぁ。まったくヒトってやつは……。


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