枕草子 (My Favorite Things)

【第139回】 ドリーの寿命(1999年5月28日)

やっと積年の疑問に答えが出た。

昨日発行のNatureのScientific Correspondence欄に掲載された「クローン羊におけるテロメア長の分析」という論文によれば,やはり,というか,予想通りというか,ドリーを含む3頭の体細胞クローン羊のテロメアの長さは,同じ年齢の羊よりも,元の体細胞が取り出された羊の方に近いことがわかった,というのである。ドリーをこの世に誕生させたDr. Ian Wilmutも著者に入っているのだが,これまでこういう報告がなかったことが不思議である。昨日知ったのだが,東京大学からはNature系の雑誌(Nature, Nature Geneticsなど)はフルテキストをダウンロードできるので(今年いっぱいのトライアル契約ではあるが),早速読んでみた。実は再来週の教室ミーティング担当なので,このネタをまとめておけば転用できるのではないかという読みもあって,簡単に内容を紹介する。

問題は2つあるようだ。テロメアの長さが本当に寿命を規定するのかということと,生殖細胞でテロメアの補修は行われ得るかということである。この論文は前者の「寿命のテロメア仮説」を検証するものではなく,後者を検証したものである。以前,「いったん短くなってしまったテロメアを伸ばすことはできない筈である」と書いてしまったが,実はまだ結論は出ていなかったらしい。少なくともこの論文のイントロ部分には,「核移植の後でテロメア侵蝕が補修されるのかどうかを調べるために,6LL3(ドリー),6LL6,6LL7という3頭の体細胞クローン羊の細胞のテロメアの長さを,年齢についてマッチングさせたコントロール羊,核移植の元となったドナー羊の乳腺細胞,移植前後のその細胞の培養系,それぞれの細胞のテロメアの長さと比較した」とあるので,これまで補修される可能性は否定されていなかったと判断される。別に読んだテロメラーゼの作用機序についての論文では,細胞分裂のときに足りない分の鋳型を提供して短くならないようにするという話だったから,長くする作用というのは想像できないのだが,これまでは確たる証拠がなかったということだろう。

細かい記述は省略するが,テロメアの長さは放射性物質でラベルした(TTAGGG)3(つまり,チミン,チミン,アデニン,グアニン,グアニン,グアニンという塩基配列が3組つながったオリゴヌクレオチド)とハイブリダイズして,サザンブロットして測定している。結果はクリアである。1歳のときのドリーのテロメアの長さは19.14キロベースしかなかったが,1歳の対照羊の平均テロメア長は23.9キロベース(標準偏差0.18キロベース)あり,統計的に有意な差があったのだ。体細胞クローンでない正常な羊のテロメア長測定結果からの回帰分析によれば,羊のテロメア長は,0.59キロベース/年の速さで短縮してゆくこともわかった。つまり,ドリーのテロメア長は,既に6歳になっている元の体細胞ドナーのテロメア長と,ちょうど同じ程度だったのである。例数が若干少な目ではあるが,もはや「補修される」という可能性は否定されたと考えてよかろう。体細胞クローン動物は,体細胞ドナーと一緒に死んでしまうということが一層確からしくなった。ある意味では,哀れなことである。

Source: Paul G. SHIELS, Alexander J. KIND, Keith H. S. CAMPBELL, David WADDINGTON, Ian WILMUT, Alan COLMAN and Angelika E. SCHNIEKE (1999) Analysis of telomere lengths in cloned sheep. Nature, 399: 316-317.

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以前,このページを更新するためのcgiを作るという思いつきをしたが,その後もっとましなことを思いついた。cgiよりも,普段使い慣れたWzエディタのマクロを作る方が便利だということだ。新規作成状態で普通に文書を書いてからそのマクロを起動するという方法でよい。WzエディタのマクロはCに近いので簡単そうだという利点と,Wzエディタを持っている人しか使えないという欠点が両方あるが,そもそもこのページの更新に特化させるので自分以外のユーザを想定する必要はないのだったから,この欠点は無視して良いのだ。というわけでWzのマクロを作ろうと思うのだが,さて完成はいつになることやら。

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もう一つ。真保裕一「奪取」はすばらしい。基本的にはジェフリー・アーチャー「百万ドルを取り返せ!」のようなコンゲーム小説ではある。「取り返せ!」という動機も同じだから,同じような爽快感がある。知恵比べも一流である。さらには,これしかないという終わり方を決めてくれる。新聞連載時には別の結末だったそうだが,どう落としたのか気になるところだ。本質的にきわめて出来のいい青春小説でもある(が,敵役が若干ステロタイプなのが欠点といえば欠点)。というわけで,ついつい新幹線の中で読み耽ってしまった。27日の終電の中で読了。書評掲示板への登録はまだだけれど,昼飯でも食べながら他のいくつかと一緒に登録しておこう。


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