枕草子 (My Favorite Things)

【第148回】 青空メーリングリスト(1999年7月7日)

今日は七夕である。七夕というと,子どもの頃に聞いた織姫と彦星の悲恋物語を思い出す。1年に1度しか会えない恋人なんてふざけた話だが,世の中には「君の名は」なんてもっとすごい例もあるから,恒星にしてはむしろスケールの小さい話ともいえる。なんたって,やつらは寿命が長いのだから,1年に1度でもかなりな回数の逢瀬を楽しむことはできる筈だ。もっとも,障害があるが故にいっそう燃え上がる恋というシチュエーションは,古来多くの文学作品で使い古されたスタイルで,シェークスピアのロミオとジュリエットなどという例を挙げるまでもなく,そもそも障害がない恋なんて文学作品のテーマにならないような気がするけれど。

織姫と彦星は,晴れていないと会えないという設定である。地球でそれを観測している人の頭上が晴れていないと会えないというのは変な話なのだが,それにしても今日は晴れていて幸いである。ところで晴れといえば,星空もいいのだけれど,ぼくは青空が好きだ(ああ,強引な展開!)。前にも書いたけれど,曇り空だったり雨が降っていたりすると気分まで暗くなってくるのだけれど,一条の陽が射しただけで希望を感じて気が晴れてくる。雲間から青空が見えてくるときの昂揚感! 大石圭「出生率0」では,子どもが生まれなくなって将来に希望を失った人類を象徴するように,青空の消滅が使われていたことを思い出す。だから,この感じはぼくだけじゃなくて,きっと多くの人に共通するものなんだろう。

本日,『環境自由大学 青空メーリングリスト』を開設する運びとなった(ぼくは開設者5人のうちの1人となっている)。詳しくはリンク先文書をお読みいただきたいと思うが,青空は,上に書いたような希望の象徴であると同時に,幸せな生活環境への願いも込めた名付けである。ぼくの研究分野である人類生態学は,人類集団が環境とどのように相互作用しながら生存を続けているかについての包括的理解を目指している学問であるが,誰でも知っているように,現在,人類と環境の相互作用がかつてないレベルにまで大規模化かつ複雑化してきたために,「人類集団の生存」がどこまで安定なものかに疑念がもたれる状況である。オゾンホール,地球温暖化,環境内分泌攪乱化学物質といった地球規模の環境問題に加え,ゴミ処理のような地域レベルの環境問題も顕在化してきている。

環境問題は,解決しなければならない。そうしないと,今後も人類が生き延びてゆくことはできなくなるかもしれない。生物多様性の維持とか,次世代に豊かな自然を残す責任とかいった理念以前に(もちろん,それらの理念が悪いといっているのではない,念のため),自分や自分の子孫が幸せに生きてゆくためという利己的な理由により,ぼくは環境問題に対峙せざるをえない。ところで,幸せというのは相対的な概念であるから,この意味での環境問題解決のためには,物質を基盤とした唯物論的な理解がベースに必要だとしても,それだけでない,さまざまな視点からの考察が必要になってくる筈である。前にも書いたように,人と人の間の相対的な利害得失関係を無視するわけにはいかない。理念的な環境保護運動が往々にして力をもたない原因の一つは,ここにあると思う。

青空メーリングリストは,さまざまな立場や分野の人の相互討論によって,多様な視点からの環境問題理解とその解決への足がかりを見いだすことを目指している。ある意味では,妥協点の模索ともいえる。だから,できるだけ大勢の,違った視点をもつ人に参加して欲しいと願っている。短冊はないのだけれど,ここに書いておくのは,その願いがかなうことを七夕にかけて祈っているのだ。宣伝していただければ幸いである。


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