枕草子 (My Favorite Things)

【第159回】 寓話(1999年8月21日;2000年3月24日リンク追加)

35歳になってしまった。

Lily at the Shinobazu pond

前回更新時に書き忘れたが,去る10日,蒲原聖可さんから新刊「肥満とダイエットの遺伝学」(朝日選書)をいただいた。読み終わったら書評掲示板に書こうと思っているのだが,なかなか読み終わらないので,こちらで先にちょっと紹介しておくことにした。この本は,最初のコスラエ島の話だけでも,凄い価値があると思う。後の方は,既刊の「肥満遺伝子」や「ヒトはなぜ肥満になるのか」と重なる部分もあるが,味覚の話にも結構踏み込んでいて,読み応えがある。詳しくはまたいずれ。(2000年3月24日追加:「肥満とダイエットの遺伝学」の書評)

ところで,トルコの大地震に続き,和歌山県でも地震があったようだ。東京では相変わらず茹だるような暑い日が続いていて,上野不忍池の満開の蓮の花(右写真)や,それを狙うカメラの放列を眺めながら歩いていると,まるで関係ないようだが,同じ地球上のできごとである。以前,パプアニューギニアで大旱魃があったときに,パプアニューギニアとの関係が深い当研究室でも義捐金活動に協力したし,去年の大津波のときも個人的に募金したが,そのときと同じく,トルコの大地震についても日本赤十字が義捐金募集をしている。阪神大震災のときに,スイスなど諸外国から救援活動をしてもらって大いに助かったことを考えれば,こういうときに恩返しをしておくべきであろうか,とも思う。しかし,一時的に義捐金を送って助けても,その後の生活を支えるだけの基盤の回復にまで行き着けなければ,それは死を緩慢にするだけで,却って人々を不幸にする可能性もあるのではないか? との疑問も,また一方にはある。難しい問題である。ただ,この場合,よくよく考えてみると,仮に人によっては死を緩慢にするだけだとしても,意味はあるのだろうと思う。なぜなら,回復の見込みのない老人に対する延命医療とは問題が違っていて,助かるべき人が助かるようになる可能性が高まるからである。言い換えると,義捐金は淘汰圧に変化を生じさせ,その結果,生存が運によってではなく本来の生命力によって決まる度合いが強くなると思うのだ。最近,コソボ紛争への「人道的介入」を見たり,マイク・レズニックの「キリンヤガ」を読んだりしたことで,『人道主義』の是非について考えることが多いのだが,少なくとも,緊急避難的救援活動は是とせざるを得ないのが,普通の人間の判断ではなかろうか。


さて,今日のテーマの「寓話」であるが,なに,ふと思いついたというだけのことだ。前述「キリンヤガ」では,主人公コリバがムンドゥムグ(呪術師)として何かを説明するときに,よく寓話を語って,人々が自ら何かを発見するのを待つ,ということをする。ぼくの場合はそうじゃなくて,今言いたいことをストレートに書くわけにはいかないので,寓話に託すのである。感想をいただければ幸いである。

「賢い」ガゼルとチンパンジーの憂鬱

そのガゼルは,生まれたときから,他のガゼルたちとは違っていた。目元がキリッと引き締まり,考え深げな表情は,周囲に何かを期待させた。ガゼルの群の長(おさ)は,そんな彼に目をかけて,長のもつすべての知恵を授けた上で,旅に送り出した。旅の行く先は,ガゼルたちよりも良い餌場をもつと言い伝えられている,オリックスのところである。

彼が旅に出ている間に,ガゼルの群に,ちょっとした訪問者があった。森のチンパンジーたちである。実は,ガゼルの群のそばには猛毒のガラガラヘビがいる場所があり,ガゼルたちはそこに行くことを恐れていたのだが,さりとて彼らにはガラガラヘビを退治する手段がなかったし,どこまで行くとガラガラヘビに出くわす危険があるのかを,他の動物に伝える言葉をもっていなかった。チンパンジーたちは森の周囲の地図を作ろうとしていて,ガラガラヘビ危険区域を地図に書き込もうと,ヘビのいる場所を尋ねに来たのだった。ガゼルの長は,こう答えた。「チンパンジーたちよ,どうして地図なんか作るんだね。わしらがヘビに噛まれる危険を冒してまで案内するほどの価値があることなのかい? それは。」チンパンジーたちは,口々に言った。「おお,偉大なるガゼルの長よ。いつまでもガラガラヘビに出くわす危険に耐えたくはなかろう。もし一度地図ができれば,ガラガラヘビの危険を避けることができる。永遠にだ。これはすばらしいことだと思わないか?」ガゼルの長は地図の読み方を知っていて,確かにそれは役に立つと思った。それで,自らチンパンジーたちをガラガラヘビのいる場所まで案内した。おかげで,チンパンジーたちは地図を完成させることができた。

チンパンジーたちは,お礼だといって地図を置いていったが,まずいことにガゼル全員の分はなかったし,普通のガゼルは地図を読むことができなかった。それで,地図はガゼルの長が保管しておくことになった。長い年月が経つうち,ガゼルの長は年老いて,死を予感するようになった。彼は,旅に出したガゼルの帰りを待っていたが,一向に帰ってくる気配はなかった。それで,しかたなく,別のガゼルを次の長にして,自分が貯えた知恵を教え込んだ。しかし,次の長には能力が足りず,教え込まれたことの半分くらいしか理解できなかった。地図の見方も良くわからず,ただ保管するだけになった。ガゼルたちの間には,ヘビに噛まれる危険を冒してまで前の長がチンパンジーを案内してやって,残ったのは役にも立たない地図1枚だった,という気分だけが残った。

また長い年月が経った。ある日ひょっこり,旅に出たガゼルが帰ってきた。彼は,新しい長が保管している地図を見て,事情を尋ねた。彼がオリックスの群の中で覚えた知識によれば,地図というものは,使い方次第では莫大な価値をもつものだった。オリックスたちは,地図を作りにきたピグミーチンパンジーたちに薬草の在処を教えた代償として,無尽蔵の新鮮な草が毎日手に入る場所を使う権利を得ていた。ピグミーチンパンジーたちは,その薬草を大量の果物と交換することができたので,新鮮な草の場所を明け渡すことなどちっとも惜しくなかった。旅に出ていたガゼルの感覚では,これはどう考えても不公平だった。オリックスたちは地図作りに協力したおかげで飢えから永遠に解放されたのである。自分たちガゼルは同じように地図作りに協力したのに,なぜそういう福音がないのか?

そこで,彼は,新しい長に言った。「ぼくらガゼルは,チンパンジーに騙されているぞ。オリックスたちは,同じように地図作りに協力して,食べ物をたくさん手に入れてるんだ。これは,チンパンジーに抗議して,食べ物をもらわない法はないってもんだろう。そうじゃないか?」新しい長も,他のガゼルたちも,なんだかそんな気になって,チンパンジーに抗議をしに行くことになった。彼らはみんな,自分たちが騙されていたと思うと,とても悲しかった。

チンパンジーにとっては,青天の霹靂だった。親切なガゼルたちのことは,良い思い出になっていた。チンパンジーたちは,地図を使って儲ける気などちっともなかった。本音を言えば,ただ自分たちの住んでいる場所の回りも良く知りたい,という好奇心だけだった。だから,「地図のおかげで儲けた筈だから,新鮮な食べ物をよこせ」なんて言われても,困ってしまったのだ。「そんなことを言っても誰も得をしないのに」チンパンジーたちは,とっても悲しい気分になった。

さて,この話の教訓がわかるかな? っていうか,誰が悪いんだろう。


前【158】(真夏に起こった事ども(1999年8月17日) ) ▲次【160】(驚いたこと(1999年8月23日;1999年10月22日追記) ) ●枕草子トップへ