枕草子 (My Favorite Things)

【第165回】 K, R, and S(1999年9月22日)

昨日,今日と大雨のため,家から長野駅まで自転車でなく長野電鉄を使っているのだが,昨日は7:00丁度に長野電鉄長野駅について,改札を抜けて地上への階段を駆け上がり,雨をついてJRのエスカレータを駆け上がって(もっとも,エスカレータが止まっていたので然したる益はなかった),新幹線改札もダッシュで抜けて13番線への階段を駆け下りたのだが,目の前で無情にも7:02発のあさま号のドアは閉まってしまったのだった。長野電鉄から新幹線に乗り換える人っていないのだろうか。あさま号が,6:43の次が7:02で,その次が7:50という不等間隔のダイヤになっているのは何故なのだろう。せめて7:02でなく,7:03だったら間に合うのに,と思うのである。

さて本題に入る。K, R, and Sだけで何のことかわかったら,あなたは相当な"computer-addicted"だ。RがG,SがBのtypoではないかと思った人はスパイ小説の読み過ぎである(さすがにそんな人はいないか)。「K & RとS」と書けば,名曲「いけないルージュマジック」を作った清志郎&龍一・坂本……ではなくて,ちょっとコンピュータを使っている人ならピンとくるかもしれない,3人の神々である。じらしても仕方がないので言ってしまうと,K, R, and Sは,何のことはない,(Brian W.) Kernighan, (Dennis M.) Ritchie, and (Bjarne) Stroustrupのacronym(頭文字)なのだ。

え,まだ何のことかわからない? コンピュータを使っているのに,この人たちを知らないというのは……エジソンを知らずに白熱電球を使うとかコッホを知らずに予防接種を受けるとかいうことと同じだから,まあいいか。KernighanとRitchieはC,StroustrupはC++の言語仕様を作った人たちなのである。現在のソフトウェア開発の大半はCかC++で書かれていると思うので,今日のコンピュータの隆盛に対して彼らが果たした功績はきわめて大きいのである。彼らが神々であるとすれば,fetchmail開発者というよりも「伽藍とバザール」などの伝導文書の著者として知られるEric Raymondや,Free Software FoundationのRichard Stallmanは,さしずめ司祭といったところか。余談だが,この意味ではB.G.もS.J.もE.R.もR.S.も同列であるには違いない。

#あんまり自信がない記述なので,もし事実誤認があったらご指摘いただきたい>識者諸賢

その神々がインタビューに答えている,というので,「Cマガジン」を久しぶりに買ってみた。何でも,10周年記念号とのことである。彼らのインタビュー記事は,それぞれ2ページにもならないくらいだから,それだけなら立ち読みで済ませたところだが,他にもライブラリ活用術という特集に目を惹かれたので買ったのだ。預言(?)の中で,心に残った名言を書いておこう([訳]日下部圭子)。なお,「」内が彼らの言葉で,紺色の文字はぼくのコメントである。

Brian W. Kernighan
「10年前に動いていたツールはいまでも気に入っています。それらがとても生産性がよいと感じています。」
そうなんだよ,Officeなんて罠なんだよ。Excelだって4.0で機能的には十分だったんだ。添付ファイルで送られてくるExcel97やExcel2000が読めない苦痛といったら。論文を書くのに投稿ファイル形式がWordでとかWordPerfectでとか指定されていなければ,そもそもWindowsなんていらないのだ。そりゃ,スライドや図を作るのにはちょっとだけ役に立つけど,それだってPowerpoint 4.0の段階で機能的には十分だったんだ。バグフィックスだけしてくれればよかったんだよな。バージョンが一つ違うごとにファイル形式が違っていて読めないなんて,素人でもしないような設計思想の悪さではないか。
Dennis M. Ritchie
「すべてが組み込まれているような,できあいの開発環境の愛好家だったことは一度もありません。」「むしろ個別のツールを使っていきたいと思っています。そうすれば個々の部分について学べるし,またそれらをどう組み合わせればよいかについても学べるわけですから。」
好みの問題かもしれないけれど,ぼくはオーディオでもミニコンポよりアンプ,スピーカー,チューナーとばらばらに買ってきて組み合わせる方が好きだし,コンピュータも組み立てマシンを使っている。部品が扱いやすい形になっていさえすれば,アセンブルは自分の頭に合わせてやった方が使いやすくなるのは当然と思うし,部分的に壊れたり陳腐化したり不具合が起こったらそこだけ取り替えればいいので合理的である。もっとも,このやり方には,組み合わせの方法論にはまるという本末転倒に陥りがちだという大きな欠点があることに注意すべきである。
Bjarne Stroustrup
(自動プロトタイプの功罪に触れて)「引数不整合のエラーがたまたま見つからなかったとき,プログラマはほかの種類のエラーを探して大量に時間を費やしてしまいました。「引数はコンパイラがチェックしてくれている」と彼らは「知って」いたからです。その結果,彼らはコンパイラのエラー検査に対して深い不信感を持つことになりました。」
諺でいえば,羮に懲りてなますを吹くということだな。

やはり道を得た人はいいことをいうなあ。ちなみに,ぼくが頻用する「道を得た」という表現は,中学だったか高校だったか忘れたが,漢文の授業で習ったコトバで,その心は,一芸を極めれば諸芸に通じるということである。ちなみに,いわゆる博士号,Ph.D.というのは,Philosophy of Doctorだから,学問の博士という体系を身につけた人,という意味だ,とどこかで聞いた。であるならば,これも本来「道を得た人だ」ということを意味する筈である。さて自分はどうかというと,甚だ心許ないのだが。


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