枕草子 (My Favorite Things)

【第565回】 共食い考(2001年6月20日)

結局論文が進まないままに,また一週間が過ぎてしまい,研究室に泊まって講義準備をする水曜日となってしまった。なさけない。往路あさま550号。

縁なき衆生を殺すという行為は,共食いに相当するのかもしれないと思いついた。どこかで聞いた話のような気もするが,現代社会の過密さが無差別殺人犯をうみだしている一因かもしれないということだ。もちろん,無差別殺人犯は被害者を食うわけではないのだが,人口を減らすという効果は共通している。もちろん,同種であれば自分が殺される立場になるかもしれないと想像できる筈で,相互防衛のコストを避けるためには,縁なき衆生は殺し合わないというのが,安定した社会における合意であってしかるべきである。それ以前に,子どもに対して殺意をもてるなどというのは人間(社会的な意味で)ではないと思うが。

An example of demographic effect by cannibalism

それをきっかけとして,共食いについてちょっと思いを巡らせたので,書いてみる。自然界に見られる共食いという行為は,同種を同種と認識した上で殺しているのか,それとも食糧としての他種の探索コストがある閾値を超えた結果として,通常なら食糧の選択範囲から除かれている同種への区別がなくなって食域に入ってくるのか,それとも内分泌系へのストレスが高まることで自己認識を失い,外部のすべてが被食者に見えるのかというのが最大の問題なのだが,これはわかりようがないと思う。しかし,現象としては人口調節機能があることは間違いないのではないか。

少なくとも,パプアニューギニアで数十年前まで行われていた食人という行為は,明確に他の動物を狩ることとは区別して行われていて,象徴的な意味が付与されていた。当時のパプアニューギニアが,低地は狩猟採集社会であり,高地はサツマイモ栽培が行われていたが人口密度が高く,いずれにせよ土地の人口支持力に近い水準の人口があったと考えると,効率の良い人口密度調節メカニズムとして機能していたのかもしれない。もっとも,自分の部族とは異なる祖先動物をトーテムとしてもつ他部族と戦って食べていたのだから,被食者たる他種を狩るという認識だったのかもしれない。ソロモン諸島でも海の民が山の民の首狩りをしていた(食べていたのではないらしい)が,クマラ(サツマイモのこと)を栽培し安定した食糧確保ができている山の民の方が,主として海産資源に依存する海の民よりも安定した人口成長に向いていた筈で,やはり海の民によってある種の人口調節がされていたという側面も否定できない。

ヒト以外の動物で共食いが起こるのは,概ね過密な場合のようである。例えば,その種の人口密度をNと置き,人口支持力Kに対してある水準xを超えると共食いが機能するとすれば,関数Dをyが負ならD(y)=0,そうでなければD(y)=1と定義して,dN/dt=rN(1-N/K)-D(N/K-x)aN2という式が立てられる(aは出会ったときの共食いそのものによる減少率の係数から共食いによる増加効率を引いた値)。この場合,パラメータによっては短期間で狭い範囲で右図(A)のように人口が振幅することがわかる。ちなみにExcelでは=(1<0)の値は0,=(1>0)の値は1となるので,比較式の戻り値が関数Dになっていて簡単に式が書ける。

さて,上の式ではそもそもロジスティック成長(増加速度の項に(1-N/K)を掛けることによって,人口密度が人口支持力に近づくにつれて増加速度がゼロに近づく)を仮定してしまったわけだが,もし,人口が過密になっても出生力が低下するとか死亡率が上昇するといった調節が働かないならば,人口は指数関数的に増加するだろう。そのとき,もし共食いがあれば,dN/dt=rN-D(N/K-x)aN2という形になり,やはり右図(B)のように振幅しうるのだ。共食いは有効な人口調節手段であるには違いない。なお,パラメータ次第では不規則な振幅に見えたりすることもあるし,ほとんどロジスティック成長と見分けがつかなくなることもあるし,一旦増えてから減少して一定値に収束することもあるので,お暇な方はExcel 2000のワークシートを使っていろいろ試してみて欲しい。

そう考えてくると,共食いまたは同種殺しを避けるためには,過密な状態での出生力低下はとても良いことのように思える。死亡率を低下させるために医療がこれだけ発達してしまい,なんとしてでも食糧確保をしようと土地にエネルギーを注ぎこんで緑の革命だのGMOの利用だのと手を尽くしている人類にとって,死亡率を上げるという事態を迎えるのは,悲惨なことと思われて受け入れ難いだろう。少子化というのは,ある種のソフトランディングなのではないか。

むろん振幅するとすれば,ある程度減少した時点でまた出生力が元の水準に戻って人口増加が始まるはずである。果たして,現実はどうなっているのだろうか。



前【564】(遠距離通勤の限界(2001年6月19日;20日追記) ) ▲次【566】(傘がない(2001年6月21日) ) ●枕草子トップへ