枕草子 (My Favorite Things)

【第611回】 リンクは自由(2001年8月6日;8月14日一部訂正及び追記)

往路あさま502号。昨夜は8時間近く眠っているのだが,どうしようもなく眠くて大宮まで眠っていた。9:00前に研究室に着いたが,最近恒例の2着だった。羽田空港から研究室へ来る途中の品川駅の成城石井で買ってきた凍頂烏龍茶をポットでいれて,その馥郁とした香りに浸りながらメールを読んだ。相変わらずW32/Sircamが2通来ていたり,英語で投資や利殖を勧誘するねずみ講まがいのSPAMが多数来ていたり,テキストで4行くらいの情報をMS-Wordのドキュメントとして添付してきたり,という状態にうんざりしながら,これを全部うまくフィルタリングしてくれるようなMTAがあれば便利だろうと思った。ウイルスを削除するのは定型作業だから比較的簡単だが,SPAMを受け付けないためには内容の意味解析をさせなくてはいけないし,テキスト情報だけのWordのファイルをテキスト化して本文に含めるようにさせるようなプログラムを書くのは大変だと思われるので,簡単には実現しないだろうけれど,バザール方式のプロジェクトを立ち上げられないだろうか。それとも,どこかで既にやっているだろうか。

そうしたゴミに混じって宝があるからメールに目を通さざるをえないのだが,今日の宝は,メールマガジンAcademic Resource Guideの,琵琶湖博物館戸田孝さんが書かれた『「リンクについての考え方」公表に至る背景について』であった。ぼくも,リンクに許可を要するとか,相互リンクを求めるとかいった考え方は奇妙だと思うのだが,確かにそういうことを要望してくる人は存在する。htmlという規格が「ハイパー」テキストである所以がリンクにある以上,URLは公表されているものだからリンクは自由に張るのが当然という考え方には同感だし,それ故に,この枕草子(My Favorite Things)でも勝手にリンクを張りまくっているわけだが,琵琶湖博物館では,それを公文書「リンクについての琵琶湖博物館の考え方」として公開しているのが偉いと思う。WEBサイトをもっている人は,是非ご一読されたい。

首相の靖国参拝なんて,基本的にはどうでもいい問題だと思っていたのだが,このページをリンクして「おすすめ」くださっている,ヘイ・ブルドッグで,

『どういう調査方法をしたら「賛成」54%(共同。「反対」は30%)と、「慎重にした方がよい」65%(朝日)の違いが出るか知りたい。「慎重に」というのは「反対」ではなく「気兼ねしながらも、参拝はやったほうがいい」という、条件付き賛成も含むのか。』

と書かれていたので答えてみようと思う。そこからのリンクを辿ると,どうもWEB日記の世界では,朝日新聞の策略に乗せられた中国や韓国の内政干渉だという論調がはびこっているようにみえるので,その議論(ある意味では,小泉首相に対する贔屓の引き倒しのような気がしてならない)の問題点も書いておく。

共同通信の結果(http://polls.yahoo.co.jp/public/archives/2075900271/p-ne1-35?m=r)と朝日新聞の結果の違いは,質問項目や回答項目が違うことと,サンプリング方法が違うことを考えれば,あって当然である。社会調査のテキスト第8回で書いたことをご覧いただければわかるように,共同通信の質問にも朝日新聞の質問にも,意識調査としては欠陥がある。

共同通信の方はWEB投票だから母集団として国民一般を想定することに無理があるし,違うコンピュータから違うIPアドレスで投票すれば1人で複数回の投票ができるから(さすがに同じIPからではブラウザを変えても複数回投票はできないようになっているが),結果が歪む可能性がある。質問と回答の項目立ては,

小泉首相の靖国神社参拝。どう思う?(提供:共同通信)

の6者択一となっている。この回答の選択肢はそもそも背反でないから,複数選択式にしないのはまずいし,賛成か反対かということと必ずしも直結しないその理由を併記している回答項目はダブルバーレルになってしまうし,賛成側に挙げられている理由自体は首相の参拝如何とは無関係に正しいので,威光暗示効果をもつ質問になっている。賛成が多くなる方向にバイアスがかかると推測される。まっとうな聞き方をしたいなら,せめて2段階にすべきである。例えば,「小泉首相の靖国神社参拝に,あなたは賛成ですか,それとも反対ですか?」と尋ね,枝問として,「賛成と答えた方にお尋ねします。それは何故ですか?」及び,「反対と答えた方にお尋ねします。それは何故ですか?」を置き,それぞれに対してもっと多数の回答選択肢を提示するか,あるいは自由回答にしなくてはならない。

朝日新聞の方は,世論調査である。調査方法について説明した文章を朝日新聞のサイト内で見つけることはできなかったが,森内閣の支持を調べたときの世論調査の説明や,早稲田大学の鈴木督久さんが書かれた【講演】マスコミ「世論調査」はゴミであるか?(PDFファイル)によると,層化無作為二段抽出法くらいはしているようだから国民一般を母集団として想定することができるし,社会調査の基本は押さえていると思われる。もっとも,結果の報道からすると,「小泉首相が終戦記念日の8月15日に靖国神社へ参拝すると言っていることについて」,「積極的に取り組んでほしい」と「慎重にした方がよい」の比較になっているから,回答選択肢の重みが均一ではないという意味でのバイアスがかかりやすいとは思える。事なかれ主義の人は「積極的に」意思表示するよりも「慎重に」と留保する方が安全に思えるだろうし,日本人には事なかれ主義の人が多いという批評はよく内外からよくなされるところである。無色にやるなら,「参拝することについて」,「賛成」「どちらかといえば賛成」「どちらともいえない」「どちらかといえば反対」「反対」の5者択一にするべきであろう。たぶん「どちらともいえない」が最多になるだろうけれど。

しかし,報道機関が完全に中立ではありえないのは,情報の取捨選択が行われている以上,ある程度当然のことである。朝日新聞の調査だ,というだけで回答拒否する人が結果から除かれていることを考えると,回収率が載っていない結果に意味がないという批判は正しい。だから,他の立場の新聞社がやった世論調査を参照すれば,朝日新聞の世論調査結果と比較してその正当性を云々できるだろうと思って,日経,産経,読売,毎日など大手新聞社サイトを調べてみたのだが,どうもこの問題の扱いそのものが小さく,世論調査結果も見つけることはできなかったのが残念である。

毎日新聞サイトには,この問題をめぐる他の政治家の動きが多々あることがまとめられていたが,自民党の政治家すら多様な意見をもっているということは,この問題が単なる内政干渉ではないことの証明である。たとえ,問題の発端が朝日新聞の戦略だったにしても,既に中国と韓国がそれを問題にしているという現状がある以上,少なくとも外交カードの1つには違いないのだ。外交とはそういうものだ。それを無視して,「内政干渉だから受け入れられない」とする議論はあまりに粗雑ではあるまいか。そんなことを言ったら,二酸化炭素排出規制だって外交問題ではなくて国内問題ということになってしまう。

客観素材を示すという趣旨の鐵扇會・靖国公式参拝問題特別企画を見ると,靖国参拝問題かんたん説明の項に,

靖国神社の創祀は、幕末より明治にかけて国事に奔走してたおれた人々の霊をなぐさめるためにはじまった。それは、民間私人により、あるいは各藩の手によって、おこなわれた慰霊祭祀に端を発している。

とあり,その歴史性の根拠とされている。しかし,歴史性をいうなら,それが幕末に始まったという事実の意味を考えなくてはいけない。幕末に始まったものを,古来の日本文化ということは到底無理だろう。「国事に奔走して」といえば聞こえはいいが,要するに戦乱に倒れたということであり,戦争を美化する精神の発露ではないだろうか。幕末から明治,大正,昭和初期といえば,国粋主義と相俟って軍部が力をもっていく過程と規を一にしている。

そもそもふつう,神社は墓地ではない。日本文化という面で見れば,神社は土着の八百万の神を祀るものであり,自然信仰がその原形である。埴原和郎編「日本人と日本文化の形成」(朝倉書店)第9章の「縄文のカミのイメージ」によれば,

アニミズム的な縄文人の信仰の世界の中で神は姿を定めない。特に人としてはついにその顔をみせることはなかった。そんななかでヘビは素顔を見せた唯一の縄文のカミだといえるだろう(p.145)

とあるし,第11章「中世の骨−仏舎利信仰と遺骨信仰−」には

今日における日本人の遺骨崇拝はほぼ国民宗教的な規模のもとに全国的にひろがっている。その徹底性と普及性は,欧米はおろか近隣の東アジアや東南アジアにおいても見出すことができない。いったいどうしてそういう事態が生じたのか。まず時代をさかのぼって,縄文・弥生時代の発掘物を点検するとき,われわれはそこに遺骨崇拝の痕跡を示すものに出会うことはない。古墳時代とても同じである。記紀万葉などの古代文献に記載されている世界もまた,これら考古学的遺物が示す徴候と矛盾するものではない。ところが平安時代に入ってから,事態が一変する。なぜならほぼ10〜11世紀を境にして,死者の遺骨を拾って壺に納め,菩提寺などに安置して祭祀の対象にする風が起こったからである。(中略)古く日本人は人間の死後,魂が山にのぼるということを信じていた。たとえば万葉集の「挽歌」が,そのような古代人の信仰の世界をうたっている。そこへ仏教が大陸から伝えられた。その仏教の諸流派のなかで人間の死後の運命についてもっとも深い省察を加えているのが,いうまでもなく浄土教であった。その浄土教が日本の風土に土着する過程で,浄土は山中に存在するという観念が一般化するようになった。死者の魂は山にのぼるという古来の山岳信仰が新来の浄土信仰と習合したのである。

とある。つまり日本独自のものだし,寺に遺骨を祀ることさえ1000年の歴史しかないのだから,外国から理解されにくいのは当然である。もっといえば,死んだ者が浄土に行くために祀るのだから,これは死者を美化する習俗といえる。

江上波夫編「民族の世界史2 日本民族と日本文化」(山川出版社)によると,もともと日本人の霊魂観,精霊観の特徴として,飛遊性が強くどこへでも飛んでいくというアニミスティックな側面,つまり,「自由無碍に去来するカミ(p.362)」があった。このイメージは,鈴木秀夫のいう「森林の思考」にかなり共通するもので,アジアやオセアニアに普遍的に存在している。ヒトが自然の一部として生かされていると感じていれば,自然が移ろいやすいものであり,ヒトの制御を受けないけれども,総合的にみれば豊かな恵みをもたらすという感覚は当然である。それが,「鏡や祀殿や神殿に鎮座する神(p.362)」という権威的ではあるが,人間の恣意によって制御される存在に変化したのは,社会の規模拡大と政治体制の強化にともなって,その力を増大させるにいたった霊的存在(神)に無碍自在に行動されてはたまらぬという人間・社会側の事情がある,という考察がなされている。そうならば,戦没者の遺骨を神として祀るということは,それを生み出した社会体制を権威付けするという意味を免れないことは明らかだろう。そこに現在の政府の代表者が参拝するということは,戦没者に対して贖罪し反省するというだけでなく,富国強兵から大政翼賛へと連なる戦争肯定の構造を「拝んで」しまうことになる。(「そうならば」以降,8月14日訂正及び追記)

ここまで考えれば,大原康男氏の靖國神社・A級戦犯「合祀」の真実と「分祀論」の虚構にある,

しかし、一番重要な事柄は、戦犯合祀問題はあくまでも国内問題だということです.つまり、A級戦犯合祀問題とは、日本人が日本人の自主的な立場で、いわゆるA級戦犯と呼ばれている人も含めて、靖国神社に祀られている戦没者をどういうふうに処遇して行くかという問題です.ですから、国内の意見として「分祀」論が出てくることは、言論の自由として差し支えない.絶対に譲れないのは、これは日本人自身が決める問題であって、中国など外国が関与すべき問題ではないということです.

という考え方の欠陥が見えてくる。如何に戦後厚生行政の一環として,「犯罪者ではない」という扱いでA級戦犯が合祀されたのだとしても,彼らに戦争を起こした責任の一端があることは確かである。菩提寺に納めた遺骨を遺族が弔うとか,キリスト教式の墓に遺族が参るというなら,それは宗教的な慰霊の問題になるが,上述の通り,靖国神社とはそういう存在ではないのだ。千鳥ヶ淵全戦没者墓苑の方は,遺族がいない人たちが納められている「墓」に他ならないので,そこを慰霊のためにお参りするという行為には権威がつかない(政治的シンボルとして使われると権威がついてくる可能性はあるが)。第二次世界大戦を引き起こすことに関与した人を含めて戦没者全般を神として祀り,戦争という行為そのものの免罪符として機能する側面をもつ施設を,現在の政府の責任者が参拝すると宣言することは,また戦争を起こす可能性を強化する方向づけを意味する。少なくとも,現在の中国や韓国の政府は,そう考えて当然だろう。国家として戦没者の遺族に詫び,戦争の悲劇を二度と繰り返さないという気持ちを表現したいのなら,少なくとも「神社」に参拝などすべきではない。遺族に対して公式にそういう声明を出せばいい。毎年一度,終戦記念日に出すのでもいい。一番大事なことは,二度と戦争の悲劇を起こさないことである。参拝云々よりも,戦争を起こさないでも済むような国際社会を作っていくことが,何よりの慰霊になるのではないだろうか。個人的にはそう思う。

夕方,教授をはじめとする3人がソロモン諸島調査に出発した。ぼくは春に集めてきたデータを論文にするために夏は調査に出ないことにしたので,今日はデータ入力をしている。帰りはいつものように終電1本前で,週刊アスキーの2週合併号に目を通した後,データ入力を継続している。今回の週刊アスキーは,後藤貴子・後藤弘茂&とり・みきの「ニュースの海を旅する」が傑作だった。このところ米国のエネルギー戦略を読み解くという内容が続いてきたのだが,今週はSFマインドあふれる未来予想図(ちょっとディストピアものが入っているが)の提示で,なるほどと思わせる展開に,思わずニヤリとするのであった。後は仮想報道と進藤晶子による和田誠インタビューも読み応えがあったな。


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