枕草子 (My Favorite Things)

【第694回】 とんぼがえり(2001年10月28日)

といったって,バク転したわけではない。どこにも寄らずに帰ってきたという意味に過ぎない。

帯広2日目の朝は6:50に目が覚めたので,大浴場で温泉を堪能してから朝食をとり(これがバイキングだったのだが,自家製と思われるざる豆腐が美味だった。大豆も近所で作っているものなのだろう),9:00から研究会を始めた。11:00過ぎに一つの報告の白熱した質疑応答が終わったので,昼食に出かけた後,帯広畜産大学へ移動することとなった。昼食は昨日の蕎麦に感激したので,今度は別の,しかしやはり美味いという折り紙つきの(帯広畜産大にいる岩手大学連合大学院の院生の方が今回の研究会についていろいろ手伝ってくれたのだが,彼が蕎麦屋に詳しいのだった),蕎麦屋「小川」という店に入った。日曜しかやっていない田舎そばという挽き方で作られた親子蕎麦を食べたのだが,昨日とはまた違った味わいで,しかもかなりレベルの高い味だった。濃厚な蕎麦湯がまた美味だった。長野県民になってからというもの,蕎麦に関してはかなり舌が肥えていると自負しているのだが,「匠」「小川」の2軒には納得する他はなかった。

六花亭帯広本店

大学に行く途中,六花亭の本店(右写真)に寄ってお土産を買った。帯広の町の中心街にあるのだが,雪がひどい時期は道路が凍って,車で来るのは相当恐ろしいとのことであった。北海道の顔といっても過言ではないいくつかの有名なお土産の他にも,本店にしか売られていないという賞味期限3時間というお菓子があったので,大学でのコーヒーブレイク用にそれを買い(といっても,考えてみたらぼくは代金は払っていないのだった。研究班の中で誰かが出したのだろうから,申し訳ない限りである),帯広畜産大に着いたのは12時過ぎだった。一つの報告と質疑応答が終わった後コーヒーブレイクとなり,賞味期限3時間のお菓子を食べてから(これも美味だった),いよいよぼくが用意した「マニュアル作り」の発表となった。


「マニュアル作り」というのはどうも名称が良くなくて,やっていることは後述するように総合的アセスメントプログラムの作成なのだが,歴史的経緯からこの名称になっているのだ。発表とはいっても,一昨日書いた通り,プログラムができあがっていないので,構想と進捗状況を発表したわけだが,ある程度の理解は得られたのではないかと思うし,いくつもの有益なコメントをいただいたので良かった。

要するに,開発が行われて地域社会にインパクトを与えた事例や開発が行われなかった事例をたくさん集め,その中で何がポイントだったかという指摘を行うという「チェックリスト」を作った後どうするのか,という話なのだが,ディテールを必要に応じて捨象しながらそれを抽象化しプログラムを書き,与えたシナリオに対しての予測をシミュレートし,出てくる結果を,ある程度の幅をもって住民や開発主体や政府に提示することによって,ディスカッションの際に判断の根拠となりうるような情報を提供する意味をもつのではないかと思うのだ。そうした三者会議がうまくいかなかったり議論がかみ合わない原因の一つに,ある程度信頼できるリスクアセスメントが,複数のシナリオで,複数のアウトプットについて提供されていないことがあるのは明白なので,それを提供できれば,遺恨を残さない問題解決や開発のインパクトを緩和するという方向での貢献ができるのではないかと思う。

などと抽象的に言っても「イメージがわかない」というのが,これまでこの話を説明したときの大方の反応だったので,今回はソロモン諸島の事例を使って,具体的事例を抽象化してフローチャートにし,プログラムにするという過程を説明したのである。結果,概ねうまく伝わったようで,努力の甲斐があったというものである。もっとも,沖縄の事例について,同じようなことができるかどうかは,また別の話だ。やってみなければわからない。もっとも,設定や条件の追加や削除をやりやすくするためにC++でモジュール性を高めて書くことにしたのだし,ある程度できそうな気はしている。あくまで,「ある程度」だが。

その後沖縄の事例をいくつか聞いて,質疑応答が終わったのは16:30頃だった。飛行機は帯広空港を19:20に出るので,夕食を帯広で食べていこうということになり,「マリンボーイ」という回転寿司を食べた。安くて,ネタが比較的新鮮でリーズナブルだった。ただ,昔の自分だったら満足していた味だと思うのだが,「しみづ」とか築地の「寿司清本店」とかを経験してしまった今となっては,若干物足りなかったのもまた否めない。回転寿司をそれらと比べるのが間違っているような気もするが。

予定より10分遅れで離陸した飛行機は,そのまま予定より10分遅れて羽田空港に着いた。ぼくが持ち歩いている折り畳み式のペンチがナイフつきなので往復とも機内持込みできず,別に袋に入れられて,手荷物受取所で係員から受け取らねばならなかったので,5分ほどロスした。結果,京急の品川行きの急行21:22発に駆け込みで飛び乗るはめになった。品川でも階段を駆け下り,駆け上がって切符を買い,改札を抜けて階段を駆け下り,大宮行き21:48発の京浜東北線にちょうど乗れた。これが上野に22:06頃着いたので,22:14発の長野行き最終新幹線にちょうど間に合った。実に忙しい帰り道だった。新幹線の窓をずっと雨が叩いていたのだが,長野駅に着いた後暫くするとふっと雨が止んで星が見え出したので,自転車で帰宅することができたのはラッキーであった。


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