Latest update on 2012年3月5日 (月) at 10:54:46.
という句があるが,「なにやらゆかし」つまり,何となくいいとか,何とも言えずいいというのは,思考停止である。どのようにいいのか掘り下げなくてはならない。しかし,考えてみると,掘り下げる余裕もないほど,また表現できるコトバが浮かんでこないほど,そのよさに圧倒されていることはわかる。そこで前後の文脈を想像してみると,土や木肌の茶色っぽさと,葉の緑と,灰色の岩が続くであろう山道を延々と歩いて,疲れ果てたところで,ふと道端に可憐に咲く一輪の淡い紫(たぶん外来種ではないだろうから)に目を留めた,そのときの安堵感と喜び,そしてそこはかとない不安(たぶん)が胸に迫ってくる。確か芭蕉の句だから語彙は豊富にあるにもかかわらず,コトバを失わせるほどの「よさ」。出会ってみたいものである。鮎川の蛍でも見に行くか(まだ早いか?)。なお,以上はこの句だけをぼくが勝手に解釈したものであって,何ら正しさを保証しないので,テストとかに書いたら×を食らうかもしれない。教養のためにももうちょっと背景まで考えた解釈を知っておいた方がよかろう。山路来て なにやらゆかし すみれ草
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