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個別メモ

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【第350回】 山鹿灯籠を見た夏休み(2005年8月14日-18日)

14日は5:00に起き,6:37発あさま502号で東京へ。新幹線に乗っている間は家族4人ともずっと眠っていた。浜松町から空港第一ビルに出て,SNAで熊本へ。今日から4日間,夏期休暇を熊本で過ごすのだ。着いた日は妻の実家でのんびり過ごし,翌月曜も,夕方,近所の小学校に行って野球をやった他はのんびりと過ごした。太ったかも。

今回のクライマックスは火曜夜の山鹿灯籠である。いま,義弟一家や義父とともに山鹿に来て,旅館にチェックインしたところである。何でも夜っぴてあるらしいが,これからどういうものが見られるか楽しみだ。

こういう旅館ではいつもそうであるように食べきれないほど大量の夕食が出た。せっかく美味なのにもったいないと思う。19:30過ぎくらいから町に繰り出したら,もう大変な人出だった。とても紙と糊だけで作られたとは信じられないほど精巧な灯籠(壮麗な建築物を象ったものなど,町別に出品されたものが街頭に飾られている)を見たり,ずらーっと並んでいる屋台を冷やかしたりしながら,メイン会場の山鹿小学校に向かった。途中,第1回のステージ(メインの出し物である千人踊りは2回のステージがあるのだ)が終わって帰ってくる見物客とすれ違ったけれども,歩くのが困難なほど大勢の人波で大変だった。なんとか小学校に着くと,空席がわりとたくさんあったので,ともかくよく見えそうなところに陣取った。有料で全席指定の桟敷席もあったが,これだけいい場所なら無料のところでも大丈夫だろうと思われた。かき氷などを食べながらステージの始まるのを待っていると,だんだん人が集まってきて,結局ステージ開始前には会場全体が満員近い感じになった。

山鹿千人踊り:景行天皇の故事にちなんだ寸劇での点火風景

突然照明が消えて(よくよく考えてみると,この会場は小学校の校庭なので,夜間照明つきは凄いと思う),開演アナウンスが響くと,会場の端から和太鼓や笛を抱えた人たちが,それを演奏しながら,踊りながら,入場してきた。これもなかなか見ごたえがあった。彼らが太鼓演奏ステージに着いて,太鼓と三味線と笛の演奏が鳴り響く中,金灯籠(金属製のように見えるが,これも和紙と糊だけで職人が一つずつ手作りするらしい)を頭に載せた女性たちが続々と校庭に広がっていくのは,まるで蛍の群れでも見るようだった。全員が入場した後,山鹿市長がステージから開演挨拶した。無闇に元気な声でちょっと興醒めしたけれども,挨拶が終わって照明が落ち,姫神か喜多郎を思わせるシンセサウンドとともに会場の神社側(小学校に隣接して大宮神社という神社があるのだ)の端から,飛鳥時代のような格好をした松明をもった人々が,景行天皇に扮した人を台座に乗せて千人灯籠のまわりを一周して近づいてくる様子は,なかなか幻想的でよかった。気づかなかったが,ぼくらが陣取った場所は,霧にまかれて立ち往生した景行天皇を村人が導いた後,着座するところの右隣で,目の前で燈火台への点火を見ることができた。

その後,いよいよ約千人での踊りが始まった。よへほ節は明治時代にお座敷歌として始まり,野口雨情が詩を変えて現在の歌になったという話だったけれども,ゆっくりしたテンポとリズムに乗って,暗い中を千人の女性が舞い踊るのは,なかなか幻想的だった。やはり中央のステージ上で踊る人がうまいように思われた。その後別の曲もいくつかあって,最後に周りの千人の灯籠の明かりが1つずつ消えた後,中央ステージ上の人たち(保存会の人だとわかって,そのうまさに納得がいった)だけが残って,再びよへほ節が流れたのだけれども,今度は2人一組で裃踊りという,より高度な踊りになった。これも見応えがあった(動画:wmv形式1.3MB)。その後まだ街頭に飾られていた各町の灯籠細工を大宮神社に奉納するという行事があって,祭りは朝まで続くという話だったが,子供たちも疲れたみたいだったので宿に帰った。

とまあ,ここまではとてもいい祭りだったわけだが,旅館で電気系統の故障があったとかで,クーラーも入らず,水も出ないという状態だったのには,ちょっと参った。窓を全開にして電気蚊取りをつけていたら,徐々に涼しくなってきたので,眠るには支障なかったが,せっかく一晩中温泉に入れるといっても,ボイラーも動かないのでだんだん湯がぬるくなってくるしシャワーも出ないのでは,そう何度も温泉に入るわけにもいかず,ちょっと残念だった。いい旅館でも電気が止まると半分以上の機能が止まってしまうのだなあ。ちなみに,こういう場合,ソロモン諸島やパプアニューギニアのホテルなんかだと半額ディスカウントになったりするんだが,日本の老舗旅館では無料になってしまった。こちらが払うといっても受け取ってもらえなかったらしい。せっかくの観光の最大イベントの日に,こんなアクシデントがあって満室に近い状態で無料宿泊では,旅館は大赤字だっただろうと思われ,大変に気の毒だと思った。

翌日は阿蘇に戻って子供たちの相手をして過ごし,木曜の早朝に阿蘇を発って熊本空港からSNAの始発で羽田に向かった。羽田空港着陸寸前に急に機首が上がって着陸延期になったので,Maxとき403号から両毛線に乗り継いで新前橋で降り,自転車に乗って研究室に着いたのは,やや昼を回ってしまっていた。着陸延期の原因は,滑走路にいた他社の飛行機のプロペラ部分に鳥が入ったせいだとかいうアナウンスが入ったが,予定より30分近く長く空にいるのは,あまり気分がいいものではなかった。

メールを読んで返事を書くなど,いろいろキャッチアップしようとしているうちに日が暮れた。長野電鉄に乗らねばならないので,復路あさま531号に乗りたいところだ。

自転車を漕いでいる途中で土砂降りになったが,何とか新前橋に辿り着いて,復路あさま531号。長野電鉄待ちの間に平安堂に行ってみれば,週刊アスキーで紹介されていた米澤穂信「クドリャフカの順番」(角川書店)が平積みだったりするので,思わず買ってしまった。米澤穂信には,ひたすらこの路線を突っ走ってもらいたい。

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