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個別メモ
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【第633回】 祭りなので早退(2006年9月26日)
- 5:30起床。今日も娘と朝練をして,往路あさま512号。今日は地元の神社の祭りのため,早退する。公式には月初めに土曜出勤したときの代休となっているので,一日休んでもいいのだが,それでは仕事が終わらない。
- 高崎で乗継ぎの時,くまざわ書店で,山本太郎さんの『新型インフルエンザ 世界がふるえる日』岩波新書,ISBN 4-00-431035-0(Amazon | bk1)と鎌田實『ちょい太でだいじょうぶ』集英社,ISBN 4-08-781349-5(Amazon | bk1)を購入した。
- 書き忘れていたが,聖マリアンナ医大の長岡さんから,AJPAの別刷りをお送りいただいていた。ありがたいことだ。まさしくJim Woodが中世ヨーロッパについてやっていたような古人口学研究に近い。古人骨から性・年齢推計して室町時代の人口を推定しようというexcitingな試みである。ただ,Jim Woodがparish recordと対比していたように,室町時代なら宗門人別帳みたいなものはありそうで,そういう文書資料から得られるデータとつきあわせたら,より面白く展開したかもしれない。
- 昼過ぎに,だいたい書類が完成に近づいた感じ。
- 14:00頃提出してきた。たぶん大丈夫とのこと。Gloviaへの入力もしなければならないということで処理。業者のところを入れないと先に進めないのだけれども,立替払いの場合は,ここは自分の名前でいいのだろうと判断した。
- 16:00近くなって帰途に就く。雨だったのでタクシーで新前橋へ。復路あさま533号では,ほとんど眠っていた。
- 長野も雨だったが,ザックの中のすべてをビニールの中にしまって強引に自転車で帰った。すぐに着替えて神社横へ。既に御神輿の担ぎ手は何人か集まっていて,寒かったのでいきなり日本酒を勧められた。稲荷寿司を1つつまんで日本酒を飲んでいると,なんとなく気分が盛り上がってくる。今年新しくした御神輿は,電飾で飾られていて,なかなか派手だが,それほど巨大ではなくて,これなら何とか担げそうかな,とも思われた。しかし,ぼくが御神輿を担ぐのは子供の頃以来,実に何十年ぶりかのことなので,6月の野球のときも大活躍だった班長さんに,担ぐ時に注意することはないか尋ねてみた。すると,まあ今度の御神輿はそんなに重くないから,普通に担げば大丈夫だけれども,ピッチャーをやることがある人は,絶対に利き腕側の肩は使っちゃ駄目だという有益なアドバイスを貰った。考えていなかったけれども,確かにそうなんで,今日は左肩だけで担ぐことに決めた。良く回りをみると,実は皆さん,法被の下に肩当てを入れていて,ぼくも入れてくれば良かったなあと後悔したけれども既に時遅しというやつである。小雨が残っていたが,担ぎはじめるときにはほとんど止んだ感じになってきたので良かった。たぶん既に決まっているルートを行くのだけれども,沿道の家や商店からご祝儀をいただくたびに御神輿を肩から降ろして,木遣りをやり,手締めをするのである。ぼくはソロモンに行っていたので事前の木遣りの練習に参加できず,唱和するだけだったが,皆,惚れ惚れするようないい声で木遣りをやる。そのうち自分でもやりたいなあと思う。ご祝儀を下さる家や商店の中には,酒や食べ物を用意してくださるところもあった。とても寒かったので,中でも,おでんが実に有難かった。練り歩き始めて1時間余りで公民館前に着き,さらに30分くらいして隣町との境界に到達した。実は隣町も今年,御神輿を新調していて,あちらの方がやや大きいのであるが,互いに木遣りの交換をして,なかなか勇壮な感じがして良かった。隣町の世話係の中には,小学校の今年のPTA会長のSさんもいたが,いやまったく忙しい人だ。その後,神社まで戻って,両町揃って拝殿の前で何かの儀式があった。また木遣りをやって,暫く境内内で練り歩いた。昨年はもっと激しかったらしいが,今年はおとなしくまとめたということらしく,数分で終わった。この儀式が終わると,今度は道中木遣りというのを歌いながら(といっても,これは知っている人が数少なく,やや声が小さくなったが),最初の集合場所に戻った。この御神輿は,明日,保管場所に収納されるらしいが,役員以外の人は解散となったのは,たぶん22:00頃だったと思う。疲れと痛みで左肩がボロボロだが,実に感動的なイベントだった。
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