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個別メモ
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【第646回】 学会三日目(2006年10月13日)
- 宿に戻って準備を進め,1:00を過ぎた辺りで眠さに負け,6:00に起きて準備を再開し,8:15頃やっと終わった。欲しい写真がハードディスクのどこにあるのか,なかなか見つからず,結局,一番欲しかった,1993年に蚊を集めて回ったときの写真は無しでプレゼンを作った。蚊帳の中に殺虫剤を噴霧して夜の間に入り込んだ蚊を採ったPNGのB君の,穴の開いた蚊帳を背景にした写真があると,話の説得力が増すと思うんだが,まあ仕方ない。
- チェックアウトしたら8:40になったのでタクシーでブリックホールへ向かった。おかげで,門司さんの講演には余裕をもって間に合った。人類生態学のアピールは良かった。もっとも,疫学との対比という形でどれだけ伝わるかは疑問が残るが。それと,コラボのコーディネータをすることができるのは,やはりFeachemほどでないにしても,ある程度supermanでないと無理なんじゃないかと思うので,そこに人類生態学者の活躍の場はあるはずだ。問題は,そういう意味での人類生態学者を,人類生態学教室があまり輩出してこなかったことだと思う(ある程度はspecialistにならないと職が得られないし,現状では仕方ないのだが)。Internationalにgeneralistとして戦うには,日本のfundは非常にやりにくいし不足しているので,門司さんがどれだけ苦労してきたかを思うと頭が下がる。
- 午前中は社会技術移転のセッションを4題聞いてから理論疫学のセッションで西浦さんの発表を聞き,ポスター発表会場に移ってソロモンのHBVとトンガの肥満の話を聞いた。昼は慌てて弁当を食べ,ポスター会場に行って佐久総合病院の高山先生を見つけて少し喋ってから午後の自由集会の会場へ。自由集会は少しかみ合わないところもあったが,敢えて住民の視点だけを強調した発表をしたのは,たぶん求められていた役割には合っていたんじゃないかと思う。文化の固有性の保持とか世界観の話にもっていくと,もっと難しい問題が出てくるのだが,そこまで行ってしまうと,まったく話がかみ合わない可能性があるので,その手前というか,実生活で聞き取れる素朴な話としてのマラリア対策が受容されにくい理由のレベルで止めたのは正解だったと思う。
- 自由集会が終わってからポスター会場に行って,残っていたポスターの前で少し喋ってから会場を後にした。浦上からリムジンバスで長崎空港に来て,土産をいくつも買ってチェックインしてセキュリティチェックを通ったところである。これからバッテリーが続く限り,来週月曜の講義準備をする予定。
- 結局,あまり準備をする暇がないまま搭乗時刻になった。満席だそうで,明日の朝に振り替えてくれる客を募集していたが,何とか見つかったらしい。ホテル代も出て,さらに2万円の謝金が貰えるということだから,暇さえあるなら悪い条件ではない。ぼくは少年野球のコーチがあるし,出張日程は決まっているので応募するわけにはいかないのが残念なところだ。
- 羽田到着は予定通りだったが,20:23のモノレールに乗れず,20:28になったので,東京駅に着いたのが21:03となり,21:04発あさま551号には乗れなかった。復路あさま553号。
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