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個別メモ

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【第1706回】 申請書作成継続中(2010年10月20日;2011年1月13日修正)

起床音楽
昨夜PCにセットした村治佳織の「Le Ciel〜空〜」の柔らかな音で5:50に起床。飛び起きるような音ではないが,気持ちよい目覚めが得られていい。往路あさま510号では,昨夜に続いて,湯川秀樹『旅人 ある物理学者の回想』角川文庫,ISBN 978-4-04-123801-1(Amazon | bk1 | e-hon)を読む。少年時代の読書は濫読で良いという主張には共感した。それにしても,50代での新聞連載なのに,小学校時代のことを,よくこんなに詳しく覚えているなあと感心する。自分の小学校時代のことを振り返ってみると,さすがに担任の先生とかクラス(ずっと2組だった)は覚えているが,授業中のエピソードなど,ほとんど何も覚えていない。
小学生時の想い出
ぼくが通っていた小学校は,昨今流行りの統廃合で廃校になってしまったが,東京都板橋区の板橋本町というところにあって,板橋区立板橋第三小学校という名前だった。当時でも中心市街地空洞化が進んでいたのか,それともかつて在校生が増えすぎた時に2つの学校に校区を分けたために校区が狭くなりすぎたのか,ともかく1学年が50人,全校で300人しかいない小規模校で,先生の中には全校生徒の名前と顔が一致すると豪語されている方もいらした(ぼくの記憶では,西山先生といういつもトレウェア姿のベテランの女性教員と,養護教諭の寺家先生が,そう言われていたと思う)。1年2組の担任をしていただいた澤本ヨシ先生と,2年2組から4年2組まで担任をしていただいた市川小夜子先生は,ともに既にお亡くなりになったが,今でもお顔は脳裏に浮かぶ。とくに市川先生は,授業参観の時に,黒板に何の字だったか漢字を書かれた後で,ド忘れでもされたのか,ぼくに書き順が合っていたかどうか確認されて,とても面映ゆかった記憶が忘れられない。5年と6年の担任だった丹羽妙子先生は(たぶんその後ご結婚されたので苗字は変わっているだろうと思うが),大学(たしか学芸大)を卒業してから間もない先生だったので,その後の消息は存じ上げないが,たぶんまだお元気であろう。丹羽先生が区の企画として紹介された,少年科学センターだったか,毎週1回,各小学校から2人くらいずつ集まって,理科の自由研究を指導してもらえる施設に通わせていただいたことも覚えている。確か,ぼくはアメンボの観察をしたはずだ。その他には,小規模校ゆえ,割と自由に時間割を組めたのだろうか,4年生の3学期だったか,授業をさくさく進めてもらって2時間続きの空き時間を作り,校庭で紙飛行機大会をやったことも覚えている。積極性を重んじる市川先生は,子供が積極的に提案することは大抵採用してくださったし,積極的提案といえば大半はぼくが出していたわけで,クラスメートの多くからは,ある意味贔屓されていると思われていた。5年になって担任が平等性や公平性を重んじる丹羽先生に変わった後は,その反動もあって,暫く苦労した記憶がある。ただ,その苦労ができたことは,後になって考えると,とても良い経験であった。
続・小学生時の想い出
このように,いくつか覚えていることもあるのだが,クラスメートとなると,今でも年賀状のやり取りをしている友人は2人いるが,その2人を入れても,50人のうち20人くらいしか思い出せない。当時父が経営していた珠算塾に通っていたクラスメートもたくさんいたのだが,その記憶もほとんどない。湯川秀樹氏と違ってメンコやベーゴマは禁止されていなかったので,皆で外で遊んでいたし,友人はたくさんいたと思うのだが,付き合いが浅かったということなんだろうか。珠算といえば,自分が小学校2年だか3年だかのとき,なかなか2級に合格できなくて見取算の練習に身が入らず,ハタキで叩かれて泣きながら練習していたような記憶はあって,それゆえ珠算は大嫌いだったが,その訓練のおかげで計算力が上がったことは,後になって相当役に立った。嫌いだったといえば,小学校1年から毎日5文字ずつ漢字を覚えるために書き取りをしていたが,これも嫌いだった。しかし,たとえ半分ずつ忘れていったとしても,小学校2年が終わる頃には,ほぼすべての当用漢字が読み書きできたから,大抵の本が読めた。『旅人』にも,小学校に上がる前に祖父の指導の下で『大学』から始まる四書五経を読まされ,そのおかげで小学校の教科書の読み書きには苦労しなかったこととか,家の中のさまざまな書物を片っ端から読んだというエピソードが書かれているが,低学年までに読み書き算盤を身につけておくと,その後苦労しなくて済むかもしれない。いや,本書の初版はぼくが生まれるより前だから,存外,母か父が本書を読んで,そのようにしつけたのか?
マウイモカ購入
高崎も天気は悪かったが,5分待ちで上越線渋川行きに乗り,新前橋から自転車で大学へ。途中,珈琲問屋に寄って,グァテマラとマウイモカを200 gずつ,ハイローストしてもらった。マウイモカは初めて見たが,小粒だけれどきれいな豆で美味そうだ。
科研申請書ゴール見えず
今日も科研の申請書作成を進めたいが,まだゴールは見えない。
Forefox 3.6.11
昼飯を食べて戻ってきたら,Firefox 3.6.11が自動的にダウンロードされていた。起動してヘルプからダウンロードした更新を適用するを選び,Firefoxを再起動すると,自動的に3.6.11になった。たぶんセキュリティ対策の更新なのであろう。使っているテーマやアドインの中に使えなくなるものはなかった。
CORE-MINI導入
科研の書類を作成しながら,日本人口学会日本オセアニア学会関係の仕事を進めている。そちらは何とかなりそう。とくに人口学会の方は,コアサーバのCORE-MINIの契約をしたのだが,あまり成功した人がこれまでいなかったらしい,MailManによるメーリングリストの設定に成功したようなのが大きい。一方,科研申請書の方は,材料は揃ったのだが料理の仕方に苦しんでいるといった感じ。
CORE-MINIでのML設定
なお,CORE-MINIでメーリングリストを運用するには,いくつかのポイントがあると思うので,メモしておく。
  1. 管理画面にログインし,まずドメインウェブで,Mainがpaoj.orgであれば,Subのどれかで,mail.paoj.orgというサブドメインを定義し,[ドメイン設定]ボタンをクリックする,
  2. 暫くしてから,今度はドメインメールを選び,最低1つはadmin[atmark]paoj.orgのような([atmark]は半角の@;以下同様)管理用アドレスを作っておく。これの運用方法は転送のみでもいいし,転送+POP/WEB受信にしてもいい。この段階で[設定]ボタンをクリックする,
  3. もう一度ドメインメールを選び,メールアドレスとしてtest[atmark]mail.paoj.orgのような,実際に運用したいメーリングリストのアドレスを定義する。これの「運用方法」は「メールを破棄」にし,カスタムフィルターのところにチェックを入れて,いったん[設定]ボタンをクリックする,
  4. もう一度ドメインメールを選び,前項で設定したアドレスのところで「カスタムフィルター」という文字列のリンクをクリックする,
  5. ここでフィルターの編集ができるので,「全体が.*を含むときにtest-mail.paoj.orgをヘッダに追加する」「全体が.*を含むときにtest-mail.paoj.org[atmark]mail.paoj.orgに転送する」という2つのルールを追加する,
  6. メーリングリストを選んで,test[atmark]mail.paoj.orgを追加し(パスワードは適当に決める),ボタンをクリックする,
  7. 暫くしてから再びメーリングリストを選び,そのメーリングリストの管理画面に入ると(管理画面に入るには前項で決めたパスワードが必要。以降は,メーリングリストの管理画面には,サーバ管理画面を経由しなくても直接,リスト名とパスワードだけでログインできる),各種設定ができる,
  8. 各種設定のうち大事なのは,基本設定で,管理者のメールアドレスとして2.で設定した管理用アドレスにすることと,返信先を別のアドレスとしてtest[atmark]mail.paoj.orgを指定することと,プライバシーオプションで宛先フィルタの制限を外すこと(カスタムフィルタ設定がうまく動作していれば,本来なら外さなくても大丈夫だと思うのだが,いままで試した限りでは外さないとダメだった)
CORE-MINI注記
CORE-MINIのどのサーバでもうまくいくという保証はないし,安定運用できるのかどうかは未知数だが,とりあえず1回はうまくいった。
ソロモン諸島ワークショップ調整
ソロモン諸島からメールがあり,先日メール添付で送った2月のワークショップについての計画案が読めないという。テキストファイルを添付したのだが文字化けするのだろうか? よくわからないが,MS-Wordのファイルは以前から読めたと思うので,テキストをWordに貼り付けて保存したものを添付し直して送信した。これでダメならpdf化すれば読めるだろうが,編集してほしい文書なのが問題だ。Adobe Readerも次のバージョン(Adobe Reader X)ではコメント機能がつくらしいが,編集までは無理だろうし。
復路読書『旅人』
科研費申請書を20:00近くまで打っていたが,力尽きそうなのでマウイモカを淹れて魔法瓶水筒に詰めてから帰途に就く。復路あさま549号で,独特の美味さがあるマウイモカを楽しみつつ,湯川秀樹『旅人 ある物理学者の回想』角川文庫を読了。随所に名言があっただけではなく,京都の情景描写が優れて文学的で味わい深いという意味でも名著であった。この本は20代で読んでおくべきであった。もっとも,「天道は人の閑住を許さず」という状況は本書執筆時の湯川と同じなのだが,ぼくの研究対象はヒトと環境のかかわりなので,年をとらないとわからない部分も当然にあって,20代ではやり遂げることができなかったであろう研究をこれから完遂できる可能性は残されている,と信じたい。気合いが入るなあ。
『旅人』の名言
名言をいくつかメモしておく。
  • 私は学者として生きている限り,見知らぬ土地の遍歴者であり,荒野の開拓者でありたい(p.5)
  • 学問というものが,広く深い意味で,常に人間のためにあることは認められねばならない。思いがけない社会的関連も,生じるであろう。しかし,学問を尊重する気持が国民の間にあるのなら,学者はなるべく研究室に置いて,ことさら繁雑な世界にひき出さないようにしてほしいと思う。これは,私一人の注文ではないだろう。多分,多くの学者たちの切ない望みだと思って,代弁しているのである(p.93)
  • マックス・ボルンの「原子力学の諸問題」の結びの一句,「一個の結晶は明皙である。結晶の破片の集りは,しかし不透明である」の意味において,私はまだ結晶の破片にすぎなかった(p.193)
  • 私が一番恐れたのは,日本であろうと外国であろうと,自分のやりたくない問題を押しつけられることであった。私は自分の研究に,知・情・意の三つをふくむ全智全霊を打ちこみたかった(p.224)
CSファイナル
プロ野球セリーグCSファイナルステージ第1戦は,5-0でドラゴンズが先勝したそうだ。チェンがいいピッチングをしたらしい。

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