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個別メモ
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【第1809回】 まだ雪だが(2011年3月3日)
- 3:00頃眠って5:30起床。6:00まで眠っていようと思ったのだが,ウィリアム・テル序曲の破壊力には勝てなかった。まだ雪はチラチラ降っているが,積もるというほどには積もっていない。しかし気温が低く,手袋を通して外気が指先を凍りそうに感じさせるし,積もった時より滑りやすくてかえって怖いので,自転車で長野駅まで行くのは辛い朝であった。往路あさま510号では高崎直前まで眠っていた。
- 乗継ぎ待ちの間にくまざわ書店に寄ったら,以前から出たら買おうと思っていた『早稲田野球の魂:斎藤・福井・大石に受け継がれた一球への想い』が1冊だけあったので買ってしまった(ついでに『数学ガール』シリーズと『ズッコケ中年三人組』シリーズの新作も)。平積みになっていた『斎藤祐樹と歩んだ1406日』よりもたぶん読み応えがあるのではないか。両毛線とバスの中でずっと読んでいたが,続きを読める昼休みが待ち遠しい。
- 林原が潰れたことで存続が危ぶまれている類人猿研究センターについて,日本人類学会から存続を要望するネット署名サイトのお知らせメールが届いた。とりあえず署名してきた。世界的にも貴重な研究拠点だと思うので,国がスポンサーになってもいいくらいだと思うが,基礎研究に金を出してくれるような世情ではないから難しいか。任天堂とかAppleとかGoogleとか業績好調と思われる会社が引き受けてくれたらいいのだろうが。
- 今年度最後の一木会は3演題で,慢性関節リウマチとIL6の話と,臓器売買の医療倫理の話と,臨床倫理とカズイストリの話であった。臓器売買の医療倫理の話は留学生の修士論文だったのだが,あまりに割り切り過ぎというか一面的でナイーブな議論だった。ボランティアでの臓器提供と臓器を売ることの違いは支払いが生じるか否かだけなので,きちんと臓器売買を法制化してやればいいというストーリーは,いろいろな意味で思慮が足りないと思う。片方の腎臓を売らなくては生きていけない人々の動画を見せられたけれども,普通は公的扶助で腎臓を売らなくてもいいようにしてあげるのが筋で,売買を法制化することは,貧困の存在を所与のものとしてしまっていて,その状況を加速させる(貧富の差を広げる)可能性があると考えたら,断じて頷けない。また,カズイストリという言葉は初めて聞いたが,一般倫理をケースにあてはめようとするのではなく,各ケースごとに背景まで考えて実際的な妥協点を見出すという考え方自体はわかる(倫理というよりも,司法とか行政みたいだが)。ただ,その先の,ある問題の倫理判断としての両極端のケースの間にいろいろなケースを並べておき,実際に起こったケースをその数直線のようなものの上で位置づけるという考え方はどうかと思った。そんなに線形にケースを並べるなんてことができるとは思われない。
- ふと思ったが,このメモは詳しく書きすぎていて再利用効率が悪いので,あまりにtrivialなことは書かないことにしよう。そうするとS/N比が上がってブログっぽくなるかも。
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