山口県立大学 | 看護学部 | 中澤 港 | 公衆衛生学

公衆衛生学(15) 環境管理とリスク論

参照

はじめに

人間にとっての環境ということを掘り下げていくと,主体としての人間に認識される環境ということを考えなくてはいけないことに気付く。人間が外界をどのように認識するのかということは認知心理学や生態学的視覚論という分野で研究されている。リスクコミュニケーションという文脈で論議されているように,認識されるかどうかという問題は重要である。

そこで,今回は,ヒトが認識する環境について,認識されるリスクを,どのように評価し,管理し,意思疎通するかということをテーマにして講義を行う。

外部環境と内部環境

環境には認識しやすい環境(目に視えるもの,音,臭い,味,触われるもの,痛み,位置,運動,加速度,相対的な温度のような,対応する感覚受容器がある外部環境)と認識しにくい環境(動脈血の酸素分圧のような体内の環境や,紫外線のような感覚受容器がない外部環境)がある。認識しにくい環境でも機械を使って調べれば数値や形として認識することは可能だということに注意されたい。

外部環境が変化したとき,何もしなければ内部環境もそれに引きずられて変化するはずだが,感覚受容器が外部環境の変化を検知すると,ネガティブ・フィードバックが起こって,内部環境は元の状態に保たれる(そのとき余った物質やエネルギーは再び外部環境へ放出される)。内部環境が比較的一定の状態に保たれることを,恒常性の維持(homeostasis)という。恒常性が維持できているか,あるいは変化して別の状態としての恒常性が確立するならば,生物はその外部環境に適応できているといえる。しかし,外部環境の変化が大きすぎるか速過ぎて内部環境の恒常性が崩れると,一般に生物は深刻なダメージを受け,ひどいときには死に至る。

外部環境→内部環境→外部環境という物質の流れを分解してみると,曝露,吸収,分布,代謝(主に肝臓),排泄という過程を辿る。それぞれの移行確率は100%ではない。偶然のばらつきもあるし,物質によっても違うし,臓器によっても違うし,個人差もある。個人差は,遺伝素因もあれば,生活史上の環境要因から受けた影響の蓄積もあれば,認識される外部環境に対してとる行動の違いもある。

外部環境からの曝露刺激に対する反応

量-影響関係(dose-effect relationship)
●外部環境からの曝露刺激の量をdoseと呼び,それを生体が吸収した後,分布によって運ばれる臓器はさまざまで,曝露刺激の性質によって異なっている。ある曝露刺激物質が主として作用する臓器を,その物質の標的臓器とか決定臓器と呼び(例えばカドミウムなら腎臓とか),doseに対して(または血中レベルに対して)標的臓器がどのような影響を受けるかという関係を量-影響関係と呼ぶ。影響には,回復不可能な影響と,一時的機能障害を起こすが回復可能な影響と,機能障害を起こすほどでもなく代謝によって調節可能な影響の3段階がある。(代謝的調節が可能だとしても)生体への影響が検知される最も小さいdoseを最小影響量と呼び,生体へのいかなる影響も検知されない最も大きいdoseを最大無影響量と呼ぶ。
●テキストはNOAELをno-observed adverse effect levelとして無毒性量と説明しているが,森千里「胎児の複合汚染」(中公新書)では,NOAELはno adverse effect levelで無毒性量とし,生体に如何なる影響も起こさないレベルはNOEL (no effect level)で無反応量であると説明されている。森の説明によれば,NOAELは不可逆的な障害を起こさないレベルということなのでかなり高いレベルになってしまい,NOELが最大無影響量と一致することになる。もっとも,通常,NOAELとNOELは作用の有害性に力点をおいた区分であり,不可逆的かどうかは問題にしていないが,「いかなる影響も検知されない」と定義される最大無影響量と一致するのは,NOAELではなくてNOELであろう。中西・益永・松田(2003)によれば,NOAEL (no observed adverse effect level)として無毒性量が定義されるのは用量反応関係に閾値がある場合に限られることに注意すべきである(つまり,遺伝子損傷性のある発癌物質のように,どんなに微量な曝露でも遺伝子損傷を起こして発ガンのイニシエータ作用をもつ可能性がゼロではない場合は,NOAELは原理的に定義できない)。なお,毒性のある最小の影響量は通常,最低毒性量(LOAEL)と呼ばれる。なお,これらの略語では,OはObservedの略であるとするのが普通のようである。
量-反応関係(dose-response relationship)
●個人レベルでみた場合,無毒性量以下の曝露ならば毒性は発現せず,最低毒性量を超えると,曝露量が多くなるほど強く毒性が発現すると考えられる。このような関係を閾値のある用量反応関係という。無毒性量を不確実性係数で割って一日耐用容量(Tolerable Daily Intake; TDI)を求め,一日摂取量をTDIで割った値であるハザード比(Hazard Quotient; HQ)が1より大きければ「リスクあり」,1以下なら「リスクなし」と判断するのが古典的な考え方。例えば水道水中のホルムアルデヒドの場合,動物実験で一日あたり体重1 kgあたり15 mgがNOAELとされているので,不確実性係数として100(動物実験結果をヒトに当てはめるために10,個体差を考えて10を掛けあわせた値)を用い,TDIは,一日あたり体重1 kgあたり0.15 mgとなるので,体重60 kgの人が1日2リットルの水を飲むとして,水道水からのホルムアルデヒド摂取が全摂取の2割程度として,0.15×60×0.2/2から,0.9 mg/Lが水道水質指針値となる。
●しかし一般に,集団レベルでみると,有害物の負荷量としてのdoseに対する反応(response)割合との関係は,テキストのようなS字状カーブになることが多い。反応(感受性)に個体差があることがS字状になる原因である。感受性が低い人にとってはNOAELのdoseでも,感受性が高い人にとってはLOAELを超えている場合があるため,負荷量を横軸にとり,縦軸に反応を示す人の割合をとってプロットすると,負荷量が低いときはほとんど反応を示す人がいないが,ある程度負荷量が増えると急に反応する人が増え,大多数の人が反応を示すようになって安定するという関係を示す場合が多い。S字曲線は,通常,累積対数正規分布で近似される。立ち上がり開始の量を閾値といい(この閾値の定義はやや曖昧だが),半数の個体が反応を示す負荷量を半数影響量ED50と呼び,半数の個体が死亡する負荷量を半数致死量LD50と呼ぶ。急性毒性試験ではLD50が良く使われ,その推定にはプロビット分析やロジット分析が使われる場合が多い(生存時間解析のソフトウェアでできる)。環境リスク評価では用量-反応関係を示す対数正規分布の左裾確率と曝露量の確率密度関数の積和によって,リスクを算出することもある。
●閾値がない場合のリスク評価は難しい。例えば一群50匹の動物実験で反応がゼロでも,仮に10万匹調べたら反応が出るかもしれない。従って,低用量域でのリスクを,なんらかのモデルを使って定量的に推計できるようなアセスメントを確立し(外挿になるので正しい保証はないが他に方法がない),マネージメントとしてはリスクをある一定のレベル以下に抑えるような基準値を定める必要がある。当初,ワンヒットモデルが用いられたが,最近では線型多段階モデルが使われるのが普通と思われる。ワンヒットモデルとは,発ガン物質が1回遺伝子に衝突し損傷を与えると,その細胞がガン化するというものである。一単位の発ガン物質と遺伝子との衝突が確率qで互いに独立に起こるとすればn回衝突する確率はポアソン分布に従うはずなので,曝露量Dのときにn回衝突する確率h(n)は,h(n)=exp(-qD)×(qD)^n/n!となる。それゆえ,1回以上衝突する確率(このモデルでは,この値が細胞がガン化する確率と一致する。P(D)と書くことにしよう)は,1から1回も衝突しない確率を引いた値として得られ,P(D)=1-h(0)=1-exp(-qD)となる。曝露量Dが微量のときはexp(-qD)は1-qDで近似できるので,結局P(D)=qDとなり,低用量域では発ガンリスクが用量に比例することになる。比例定数qを発ガンスロープファクタと呼ぶ。しかしデータへの適合が悪いという欠点があった。線型多段階モデルは,ArmitageとDollによって提案された,加齢による発ガンリスク増加を取り入れたモデルであり,ワンヒットモデルよりデータへの適合度ははるかによい。1つの細胞がガン化するためにはk段階の反応が一定の順序で起こる必要があるとし,かつ各段階の反応率は用量の一次式で表されると考えれば,P(D)=1-exp(-(q0+q1D+q2D^2+...+qkD^k))となる(注:この考え方は,がんに限らず,common diseaseによる死亡は多段階で加速度的に損傷が進行するとするGavrilov and GavrilovaやMori and Nakazawaの死亡モデルの考え方と似ている)。米国EPAが用いているのは,このモデルにq1>0という制約をつけたCrumpのモデルである。P(0)は曝露と関係なく起こるバックグラウンド発ガンリスクなので,通常は,このP(0)によるリスクを除いた曝露量Dでの発ガンリスク,つまり過剰リスクR(D)={P(D)-P(0)}/{1-P(0)}を考える。このモデルではDが0に近いときR(D)は近似的にq1Dとなるので,低用量域では過剰リスクは曝露量に比例することになる(その意味で,このq1も発ガンスロープファクタと呼ばれる)。厳しすぎるという批判はある。

ヒトにとっての環境の価値

利用価値
直接的利用価値:消費可能な生産物として得られる価値。木材生産,食糧生産など。
間接的利用価値:消費できないが間接的に利用することで得られる価値。レクリエーション機能,水源涵養機能,国土保全機能など。Nature Service(例えば干潟のアサリの水質浄化機能)としての価値も含む
オプション価値:現在利用されていないが将来的には利用される可能性があるので,それまで自然環境を残しておくことで得られる価値。
非利用価値
遺産価値:遺すものがあるという価値
存在価値:存在するという情報によって得られる価値

環境管理

環境保全は,人類の存在そのものや生活の利便性,福祉といったものと相反する面があるので,環境保全策を実施するには,環境保全の効果と他の面への(多くの場合負の)効果(しかも人や地域によって異なる)をうまく調整しなければならない。この調整が環境リスク管理(環境リスクマネジメント)の役割

環境リスク管理(環境リスクマネジメント)は,以下の要件を満たすべき。

健康リスク対策の難しさ

リスクアセスメント

「リスク」については,扱われる分野によって概念が違うことに注意。疫学では,ある集団を一定期間観察したとき,その期間中に何らかのイベントを経験する人の割合をリスク(あるいは累積発生率)と呼ぶ。が,リスク論では,テキストにあるように,「リスクとは望ましくない事象とその生起確率を示す概念」という把握で大方問題ないと思われる。

外部環境のそれぞれの因子について,量-影響関係や量-反応関係に関する知見をまとめて整理したものを,環境の質の判定条件と呼ぶ。この条件と曝露量のアセスメントを元にして,各因子のリスクを判定する(ここまでがリスクアセスメントで,ここからがリスクマネージメント)。判定されたリスクと,環境リスク以外の要因の分析結果(社会,経済,技術などの制約条件。ここにLCAやCVMも含まれる)を統合して行政判断が行われ,ガイドラインや勧告が出され,その中で基準値が決められる。

環境リスクアセスメントについては,以下のことがいえる。

アセスメントの方法

直接的評価
●リスクそのもの(なんらかのエンドポイントの生起確率そのもの):例えば発がんリスクなら,観察対象者のうち,観察期間内にがんを発症した割合となる。対策の評価は,リスクをどれだけ下げるのにどれだけコストがかかるかという視点で行われる
●ハザード比=曝露量/許容曝露量
●損失余命
間接的評価
●CVM(Contingent Valuation Method)
●コンジョイント分析……アンケートで良さそうなプロファイル(シナリオ)を選んでもらう方法
●CRA(Comparative Risk Assessment)
●エネルギー消費量や資源消費量や二酸化炭素負荷量などに還元して1つの軸で比較評価する方法(CVMも金銭という1つの軸にするので思想的には近い。仮想でなくても,実際に除去や予防に必要なコストを計算して金銭という軸で評価する方法もある。タイムスパンが問題)
●科学的あるいは政治的に定められた環境上の目標に対する距離を用いる方法(環境影響スコアを特定の場所と期間における実測値で割ることによって正規化でき,さまざまな問題の間での相対的な比較が可能になる)

リスクマネージメント

3つの水準の原則
●ゼロリスクの原則:環境リスクをゼロにすることを目標とする,とテキストに書かれているが,原理的に達成できない場合も多い(1970年代以降,閾値がない毒性発現機構があることがわかる前は,ゼロリスクが可能であるというのが常識だった)。
●リスク一定の原則:すべてのリスクを社会的に受容できる一定レベル以下に抑えること。10万人に1人以下とか,100万人に1人以下とか。狂牛病対策の場合を考えればわかるように,どのくらいなら「社会的に受容できる」かは,世論や社会情勢や国際情勢によって変化する。ベンゼンの水道水質基準は,その濃度の水を生涯飲んだ場合に,飲まない場合に比べて余計に発ガンするリスクが,10万人あたり1人の割合より小さくなるように定められている。
●リスクベネフィットの原則:リスクを上回る便益性があるようにすること。便益性とリスクの評価軸が同じなら簡単だが,違うことが多いので問題が起こる場合がある。例えば干潟を埋め立てることによってアメニティ機能が失われるという評価軸でのリスクと,工場を建てれば雇用創出によって経済効果が生まれるという評価軸での便益性は,軸が異なるので比較が難しい。なお,健康リスクの場合,よい方を選ぶのではなく,悪くない方を選ぶ場合もあることは,例えば,米国での極度の肥満に対する胃切除手術が,1/200の致命率をもちながら年間10万件も実施されているのは,手術をしない場合に予測される死亡率よりは低いからということを考えれば明らかであろう。
ダイオキシンのリスク管理
●2000年末のダイオキシン特別措置法施行によって一般廃棄物や産廃焼却炉の厳しい排ガス規制が始まったが,2003年になってもダイオキシン類曝露による健康リスクはほとんど変わらない(コストはかかっている。心理的には違うかも?)
●変わらない理由:→排ガス規制は的外れ
●代替リスク回避策としてはコストベネフィット分析の結果,ディーゼルの排ガス対策が有効とわかっている。他の対策として言われていることのうち,母乳をやめると免疫機能低下などで余命損失は増えるのでダメ。ダイオキシン濃度が高い魚介類を控えるのも代わりに肉をとったらコレステロールが高くなるとか,ダイオキシン濃度が低い魚介類をとったらメチル水銀が増えそうだとか,肉も魚介類もとらないと低タンパクになるなどの理由でダメ。
予防原則
●毒性があることが証明されていなくても危険がありそうな十分な根拠があれば対策する必要はあるとする考え方。
●2000年2月にEU委員会から報告された文書によれば,疑わしきは何でも禁止ということではなく(ゼロリスク論だとそういうことになるが,そんなことをしたら現代社会は存続できない),予防原則を適用するためには,均衡性,非差別性,整合性,費用便益分析,再検討,挙証責任が満足されねばならないとされる。大雑把にいえば,科学的に正当に評価して,対策することによって期待される便益が対策にかかる費用に見合うような場合に,差別なく適用されるべきだということ。グリーンピースなどからは批判されているが,リスク研究者は概ねEU委員会の方針を妥当としている。

リスクコミュニケーション

ミレニアムプロジェクト環境リスク診断,評価及びリスク対応型の意思決定支援システムによると,「あるリスクについて直接間接に関係する人々が意見を交換すること」とある。要点は上意下達でなく議論を通して相互理解を図る点である。

もう少し環境リスクにひきつけて言い換えると,「環境リスクに関する正確な情報を,行政・事業者・国民・NGO・専門家などすべての者が共有しつつ,相互に意思疎通を図ること」(森千里「胎児の複合汚染」中公新書pp.177にちょっとだけ追加)といえる。森が主張するように,微量化学物質の環境リスクを考える上では,ヒトにおける健康影響を削減する包括的な方法としての意味が大きい。リスクマネージメントにおいて環境リスク以外の要因の分析結果を取り込む際に,Public Involvementは当然行われるわけだが,その際,リスクコミュニケーションがうまく取れるかということが非常に重要である。

環境認識を意識すると意思疎通という話に戻ってこざるを得ない。環境倫理学でいうところのenvironmental justiceとも絡むだろう。人間の価値観の多様性が根底にあるので,互いに異なる価値観の存在を認め合わないとコミュニケーションは成立しない。その上で利害の調整や合意形成がなされる。ゼロリスク論はコミュニケーションの余地が無いし,微視的に見れば不可能である場合が多い。

意思疎通の方法として,いろいろなガイドラインが提案されている。例えば,環境省が公開している「自治体のための化学物質に関するリスクコミュニケーションマニュアル」から抜粋された「リスクコミュニケーションチェックシート集」[http://www.env.go.jp/chemi/communication/manual/checksheet.html]という文書には,主催者,司会者,参加者それぞれに対して,説明会や勉強会が十分に有効に機能したかどうかを会議の前後にチェックするための要点が示されている。


Correspondence to: minato@ypu.jp.

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