神戸大学 | 医学部保健学科・大学院保健学研究科 | SDHE Lab. | フィールド紀行 | Top

2013年9月のパプアニューギニア往還記

Copyright (C) Minato NAKAZAWA, 2013. Last Update on 2013年9月23日 (月) at 14:02:50.

【第5日目】 独立記念日(2013年9月16日)

寝苦しくて変な夢をたくさん見た。現地時刻7:00にGoosehouseの「グッドモーニング」が鳴ったのだが,止めて二度寝してしまった。次に目が覚めたのは8:00だったので食堂に降りて朝食をとった。他に客がいないようで,昨年まではお湯とインスタントコーヒーの粉とティーバッグが用意されていてセルフサービスだが飲み放題だったのに,食堂はがらんとして何も無かった。ブラックコーヒーが欲しいと言ったら,確かに黒いのだが甘いコーヒーが出てきた。まあ半ば予想できたことだが。朝食が出てくるまでの間,gmailをチェックしようとしたのだが,DNSがうまく引けないようでつながらない。Nokia Jazz 303にはアンテナマークが5本立っているので,電波状態自体は悪くないはずだが,インターネット側の調子が悪いのだろう。

朝食は小さいトースト3切れ,ウインナー1本,缶詰の豆,ゆで卵というメニューだったが,量的には丁度良かった。加熱しすぎのゆで卵よりもスクランブルエッグの方が良かったが,それは贅沢というものだろう。

今日は独立記念日なので,もっと朝から騒々しいかと思ったらそうでもない。クキホテルは中央広場にかなり近いのだが,まだお祭りは始まっていないようだ。見に行きたい気もするが,外国人が一人で行ったりするとホールドアップの危険が常にあるとこちらの人たちも言うので,Lさんの仕事が終わるまでは大人しくホテルの部屋でデスクワークをしようと思う。ドロゴリ村に行くにはボートが必要で,埠頭に行ってボートの交渉をしなくてはいけないが,埠頭はスラムに近い危険地帯と言われているので,そこも一人で行くわけにはいかない。大変もどかしいが仕方が無い。

部屋でもネット状況は悪く,アクセスに長時間かかったが,ともかくメール受信だけはできた。後は昼まで某査読でもするしかないなあ。

査読をしていたら部屋の掃除をしにきてくれたが,必要ないと言ったら後で来るとの返事。別に今日はしなくてもいいんだがなあ。気を取り直して査読を続けていたら電話。Lさんからで,ドロゴリ村の人と話がついて,火曜に飛行場で荷物を受け取ってからボート(ディンギー)でドロゴリ村に行く手筈ができたとのこと。彼女の3人の息子がエスコートについてくれる。ボート代は片道1人5キナというから,エスコート3人の往復だけで30キナ余計にかかるわけだが,その方が安全ならまったく問題ない額だ。飛行機についてはエージェントがあてにならないので電子メールを出し続けてみろとのこと。あまりしつこく出すのも気が引けるが,背に腹は代えられないので,再びメールを出してみた。カパール村に行きさえすれば,B君が泊まるところを用意しておいてくれるそうで心配ないのだが,飛行機に乗れるかどうかだけが問題だ。

現地時間13:00過ぎまでかかって,某査読完了。回線状態が悪いのでかなり手間取ったがメール送信もできた。これから昼飯を食べてくる……つもりだったが,今日は独立記念日で,14:00を過ぎた今頃来ても料理人はいないと言われてしまった。まあそれもそうか。仕方ないので晩飯のオーダーをしてから部屋に戻ってきた。

暫くするとドロゴリの「チェアマン」という男が来て,明日のトランスポートについて確認しておきたいという。ドロゴリ村のコミュニティ・ディンギーなので,乗り合いなら1人5キナだが,明日のはチャーターだから200キナだという。話が違うじゃないかと思ったが(だからこそ彼が交渉に来たのだろうが),4人で乗るし往復で200だというから受け入れることにした。政府や会社の仕事なら500キナなんだが,ローカルレベルのチャーターだから200なんだと言われてしまっては仕方が無い。明日は7:00にエアニウギニが空港に着くはずなので(とドロゴリの「チェアマン」が言う。こっちの人は皆飛行機の日程と時刻を良く覚えている),そこで荷物は入手できるはずだが,不運なことに朝はbig low tide(凄い引き潮ということだろう)なので,9:00に迎えに来るという。伝統医療がいまどうなっているのかを調べに来たのだということを,稲岡さんのアシスタントを長くやっていたG氏に伝えておいてくれるそうだし,10:00に着いて15:00頃まで聞き取りできれば,ある程度の人数はいけそうだ。あとは,彼が独立記念日で酔っ払ってしまわないことを祈るのみ。なお,1996年の調査で世話になったS氏は,村人ともめごとを起こして家を焼かれ,家族は村にいるけれども,本人はブッシュでキャンプ暮らしをしているそうだ。何をやったんだろう?

夕方,仕事を終えたLさんがドロゴリ行きの首尾確認のためにホテルに来てくれた。親切さに涙が出そうだ。で,「チェアマン」との話を伝えたら,なるほどと納得してくれた。ドロゴリにも知り合いはいるはずだが,知っている少年3人がエスコートしてくれるのは安心だ。なお,Lさんといえば病院勤務なので,病院のS医師がどうしているのかも気になるが,今日コンタクトできても仕方ないので聞かなかった。金曜にカパールから帰って来たら土曜にコンタクトするのが良かろう。

晩飯までは,時々メール送受信した他は休憩。昼飯抜きだと元気が出ない。

海外出張により強制的に「あまちゃん」から離れてしまったおかげで,何も考えていないようでいてズバッと本質をつくアキちゃんがワンピースのルフィ的な存在であることに気づいた。ユイちゃんは理由の無い不幸につきまとわれていて,一時ダークサイドに落ちたりするけれども,存在を否定されているわけではないからナミだな。魚人アーロンの圧倒的かつ理不尽な力に囚われていたナミが「助けて」と泣き顔を見せた後のルフィの頑張りと,ユイちゃんを立ち直らせるためのアキちゃんの奮闘が重なる。もちろん勉さんはシルバーズ・レイリーで……と思ったが後が続かなかった(前髪クネオはサンジでいけるかもしれないが)。あと,南部ダイバーは「いなかっぺ大将」のテーマ曲とイントロが似ていると思った。どうでもいいことだが。それにしても,Twitterを見ていると,水口とGMTが北三陸に来て潮騒のメモリーズが復活しそうな局面を迎えたらしい。ちゃんと録画できているかが心配。

バラマンディーがマーケットになかったということで(まあ,今日は誰も漁になんか出ていないので当然か),晩飯は今日もチキンになった。せっかくホテルの人と顔をあわせたので,明日の朝,飛行場に荷物を取りに行くためのドライバーをお願いし,昨日の夜,今日の朝と合わせて3食分の食事代を払った。やるべきことが一つずつ片付いていくのは気持ちいい。それにしても,動いていないせいか,2食で十分だな。

前【第4日目】(Daru着は良かったが,またも預け荷物が届かない(2013年9月15日) ) ▲次【第6日目】(ドロゴリ村に行ってくる(2013年9月17日) ) ●2013年9月のパプアニューギニア往還記インデックスへ


Correspondence to: minato-nakazawa@umin.net.

リンクと引用について