枕草子 (My Favorite Things)

【第63回】 COFFEE AND AIDS(1998年9月17日)

ふと思い立ってフレームを一つ減らしてみた。題字だけ出ているフレームは無駄以外のなにものでもないので,消したのである。本文の表示領域が広くなったので,ぼく自身は読みやすくなったと思うが,いかがだろうか。

さっき共同通信のニュースフラッシュを見たら,9:10ワシントン発で「コーヒーにエイズ抑制物質」との見出しが出ていた。その一つ前は,プロスタグランジンの一種により発熱が起こることが解明されたという記事で,それもそれなりに面白そうだったが,こっちの方がぼくの心の琴線に触れたので,こっちを紹介したい。共同通信の記事によれば,ボリビアで民俗医療として肺や肝臓の病気,あるいは腫瘍などに対してコーヒー生豆を与えることが行われていたのに目を付け,60種類以上の植物の成分の有効性をin vitroで調べたところ,チコリ酸がHIVの増殖を抑制するのに有効だったということだった。

さっそく裏をとろうと思ったが,ウイルス学の専門誌に16日までに発表されたとしか書かれていないので,試行錯誤で探してみることにした。まず,Infection and Immunityの最新号の目次を見たが見あたらなかったので,AltaVistaで+Edward +Robinson +coffeeと入力して検索してみると,Dr. Robinsonのページが見つかった。共同通信の記事では教授となっていたが,本人のサイトでは,講師(Assistant Professor)である。まあ,本人の方が正しいのだろうな。ここにあげられていた論文に,

McDougall, B.R., P.J. King, B.W. Wu, Z. Hostomsky, M.G. Reinecke and W.E. Robinson, Jr. Dicaffeoylquinic and dicaffeoyltartaric acids are selective inhibitors of human immunodeficiency virus type 1 integrase. Antimicrob. Agents Chemother. 42:140-146, 1998.

があった。早速この雑誌のサイトを見てみると,すばらしいことにPDFで全文ダウンロードできる試験期間中であった。早速ダウンロードする。どうも,American Society for Microbiologyが出している雑誌は,概ね全文読めるようだ。

さて,これは今年1月に出た論文だが,DCQAがHIV-1のインテグレースを選択的に阻害するということらしい。インテグレースを阻害したからといってHIV-1を殺せるかというとそれは確実ではないのだが,まあ抽出物としてのDCQAは培養組織中のHIVに有効ではあるのだろう。この場合4,5-DCQAが1 mL中に0.5マイクログラムの濃度でも有効だったということである(3,5-とか3,4-でもその10倍の濃度なら有効)。しかし,1990年に出ている"Bitterness in foods and beverages"という本によれば,コーヒーに含まれるDCQAの量はモノのCQAに比べると1/5程度だし,しかも焙煎で顕著に減ってしまう。たった10分の焙煎で1/6,フルシティくらいまで焙くと2%くらいになってしまう。さらに,そのまま食べるのではなくて抽出すること,それを飲んで腸管から吸収されることを考えれば,コーヒーを飲むことはHIV感染にはあまり関係しなそうである。

…と,ここまでわかったところで,もしやと思ってJournal of Virologyを見たら,そのものずばりがあるではないか。

Peter J. King and W. Edward Robinson, Jr. (1998) Resistance to the Anti-Human Immunodeficiency Virus Type 1 Compound L-Chicoric Acid Results from a Single Mutation at Amino Acid 140 of Integrase J. Virol. 1998 72: 8420-8424.

である。やはりコーヒー抽出物である左旋性のチコリ酸がHIVインテグレースに有効だったという論文で,発表日時を考えるとこれが共同通信の報道のソースだろう。これもPDFで全文読めるので目を通してみたところ,チコリ酸が一定濃度で存在する条件下で人為淘汰をかけて培養したHIVではインテグレースの4025番目の塩基がグアニンからアデニンに突然変異してチコリ酸への薬剤耐性ができていたことで,逆にチコリ酸はHIV-1の生存を不利にする効果をもつことが証明できたという論文であった。チコリ酸は1 mL中に5マイクログラム以上あれば,DCQAよりインテグレース阻害効果が倍くらい大きい。これらの物質は天然物からの抽出物であること,毒性のない低濃度で効くことなどが,現在抗エイズ薬として使われている薬品に対する長所であり,いずれにせよ今後の研究に注目である。

余談だが,学会誌の論文がPDFで全文読めるのはすばらしいことである。少なくとも世界のタイムラグがなくなる点は画期的である。かつてFree Trial期間中は全文読めたProceedings of National Academy of Sciences, USAなど,abstractを読んで面白そうな論文だなぁと思ってから,実際に読めるようになるまで1ヶ月もかかるのが現状である。郵便事情がよほど悪いのか,東京大学の図書館では,医学図書館でも農学部図書館でも1ヶ月前のものしか読めないのである。まあ,1誌だけならオンライン版の個人契約をする手もあるが,必要な雑誌全部と契約していたら破産してしまう。とくに自然科学の場合,その知は全世界に公開・共有されてこそ意味があるのではないだろうか。雑誌の発行には経費がかかるのは当然だが,それは学会員からの会費で充当されるべきもので,それが済んだら後は公開でも誰も損はしないはずである。会費だけで費用が充当しきれないなら,全世界の高等教育機関・研究機関から援助を集めるとか。話はそれるが,ぼくはソフトウェアについてもRichard StallmanのGNUの思想に共鳴するので,ソースは公開された方がよいと思う(だからぼくのページで公開している自作ソフトウェアは全部ソース付きである)。その方が全人類の知の総体としてみたときに無駄が少ないからである。一部の人がそれを利用して儲けようとしたら破綻してしまうので,公開を阻んではいけないというCopyleftの思想は当然である。アイディアを出せない人はアイディアを出せる人の生活を自主的にサポートするということで寄付を募るのも美しいやり方である。もちろん性善説なのだが,ぼくはこれを支持する。

もっとも,小説がそうであるように,論文でも文章そのものに価値があるようなものは別である。人文・社会科学系の論文では,往々にしてそういうものがあるので,そっちの学会の長い論文は付加的に金をとっても仕方ない面もある。しかし,自然科学の新しい知見そのものとかソフトウェアのアルゴリズムなんかを非公開にするのは,科学の進歩にとって大きな無駄となるのは間違いない。わかってるか,GIFUNISYS?


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