現在,東京大学では大型物品を廃棄する期間になっている。医学部1号館の裏手を通りかかると,廃棄された実験器具やらプリンタやらPC98系のコンピュータやらディスプレイやらで小山のようだ。
通りかかる度にOKIのMicroline 801PSが2台あるのが目に留まっていて,実はさっき思い立って拾いにいったのだが,同じことを考える人はいるもので,1台は消え失せていて,もう1台からはトレーとケーブルが抜き取られていたのだった。きっと組み合わせて再生することに成功したのだろう。まあ,ゴミが減って良いことであるが,ちと残念であった。
産廃の小山(写真)を見ながら,つらつらとこの山の行く末を考えた。きっとシュレッダーダスト(廃自動車や廃家電を破砕機で破砕して有価物を回収する際に風力などで分別される不要物)にして埋められるのであろう。コンピュータ関連部品はプリント基板や蓄電池に鉛を含んでいるので,産廃として埋め立てても鉛汚染が発生する危険がありリサイクルすべきなのだが,リサイクルにかかるコストが高いのでうまくいかないのが現状である。京大環境保全センターの酒井伸一さんが書いた「ゴミと化学物質」(岩波新書)が主張するように,生産時点でのパーツ化など発生源対策を推進すべきということはまったくその通りなのだが,大学や会社のオフィスなどに既に入り込んでいる古いPC98シリーズや古いプリンタや古いディスプレイは膨大な量に及ぶと思われるし,これらはパーツ化されていないわけである。
では,どうすればいいか。ここは是非NECに先陣を切ってもらって,「PC98シリーズ回収キャンペーン」を張っていただきたい。水増し請求で地に堕ちた評判を立て直すには格好のチャンスと思う。リサイクルプラントにもスケール効果が見込まれるので,同じ規格のものを集中処理すればそれだけ無駄が減ると思う。政府も商品券配布による景気回復なんてくだらない空想に耽っていないで(しかも施策側自体,目的が景気回復だったのか福祉アピールだったのか少子化対策だったのか混乱しているようだが),そういう事業を積極的に支援すべきと思う。
ちなみに,ゴミとは「日本語大辞典」(講談社)によれば,塵または芥と書き,「不用で,きたないもの。ちり。あくた。ほこり。土・砂・紙きれや台所のくずなど。dust; garbage」であるが,廃コンピュータは不用だが汚いとは限らないので,これをゴミと呼ぶのは不適当かもしれない。紙きれは既に東京大学でもかなり再生用に回収されているが,コンピュータ部品などもすべて資源として回収すべきだろう。分類をうまくしないと再生コストがかかって困るが,自然物と違って人工物の分類は本来簡単な筈だから,分類スペースさえ用意すれば,意外にうまくゆくのではないかと夢想しているのである。
今日の話とは関係ないが,更新情報を書いておこう。書評掲示板に一昨日1冊追加し,昨日はAlphaマシン設定記録にベンチマークを追加した。最適化すると流石に164LX-533 MHzは速くて,思わず顔がほころんでしまうのであった。