枕草子 (My Favorite Things)
【第218回】 徒然なるままに健康を考える(2000年1月7日)
- そういうわけで,案の定終電である。デッキに立っている人がたくさんいたのでドキッとしたが,実は空席がいくつもあったのでほっとした。察するに,新年会で遅くなったために乗っている近距離の人や,新幹線に乗り慣れていない人が多いのだろう。高崎でビジネスマン風の人が大挙して降りたことだし。
- 酔っぱらっていたため,帰りの坂は自転車を押して歩いて帰った。今朝は寝坊した上に七草粥をしっかり食べて家を出たので,8:05に乗ろうと思ったのだが信号待ちが多くてわずかに乗り遅れ,8:37のあさま506である。もっとも,この電車は停車駅が少ないので,上野駅に辿り着くのは案外早い。
- sv1とsv3のカーネルを2.2.14にバージョンアップ。とくに何も問題はなかった。sv3号のsetiathomeが今年になってからずっと止まっていたことに気づいたが,後の祭り。cpuパワーがもったいなかった。
- 昨日からファイラを根本的に改良したというWZ4.00Cのアルファ版その1がヴィレッジセンターのサイトで公開されているが,個人的にファイラはDolphin Kickに満足しているので,アルファ版を試す気はしない。
- 煩悩。生協でPresario 213が29800円で売られている。音の再生がモノラルなので,物欲にかろうじて歯止めがかかっている。
- 暮れに取材を受けたマラリアの話が載ったサイアスは,昨日発売だったらしい。確か神田さんは送ってくれると言っていたと思うので買わなかったが,本屋でぱらっと見たら,他の記事も結構面白そうだった。
- 昨夜の新年会では飲み過ぎたようで,やや頭が痛い。肉体的には不健康なわけだが,隣接分野の人たちと飲んで与太話をするのは,個人としても研究室としても精神的には健康増進となると思う。かといって毎日それではアル中であり,精神的にも不健康となる。ではどの程度なら良いのか? というと難しくて,おそらく不定としかいえまい。個人のアルコール代謝能にもよっているし,代謝物の脳内のエフェクターへの影響にもよるし,隣接分野との交流の効能にもよるし,人柄にも,その他諸々の外的要因にもよるからだ。
- 健康とは何かと考える上では,それが個人についてのみ適用される概念ではありえないことに注意しなければならない。世間一般には単純に「病気でない状態」として言及されることが多いが,WHOの「健康とはたんに病気や虚弱でないだけではなく,身体的・精神的・社会的に完全に具合のいい状態」という定義をみても,不健康な社会において健康な個人という存在はありえない。個人と社会は独立に存在するわけではないし,社会の健康は文化に規定される面が大きいから,健康という状態を定義することは難しいし,測定することはさらに難しいのだ。例えば,インドネシア・スンダ農民にはsehatという概念があって,病気の症状があっても労働ができて社会的な勤めを果たすことができればsehatとされる(出典:「人類生態学」pp.84-85)。ふと考えたのだが,健康を,主観的にも客観的にも幸せな状態,と定義したらどうだろう? 幸せは定量化しがたいので,これでは不可測なことには変わりないが,わりとうまい定義のような気がする。
- 本日も終電ナリ。無茶混みで高崎まで座れず。
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