枕草子 (My Favorite Things)

【第224回】 バトロワタイピング(2000年1月17日)

昨日の試験監督は,案の定眠さに悩まされ,大変つらかった。どうやって眠さに耐えようかと頭を悩ませていたときに,ふと思いついたのが,表題のバトロワタイピングである。これは,眠さ解消のために,一時的ではあったが大きな効果を発揮したので,ここに紹介してみようと思うわけである。

バトロワとは,昨年出たベストセラー小説「バトル・ロワイアル」のことである。詳細は書評ページをご覧いただくとして,ストーリーを簡単にいうと,政府によって無作為に選ばれた中学生1クラスが無人島に閉じこめられ,武器を与えられて殺し合いをさせられる話,ということになる(そのため物議を醸したのは記憶に新しい)。その不条理な状況にあって,中学生一人一人がきちんと描き分けられ,それぞれが個性的な対処の仕方をするので,ファンサイトがいくつもできているほどである。

そう,もうご想像がついたかと思うが,バトロワタイピングとは,人を観察して,バトル・ロワイアルの登場人物でいうと誰々のタイプだな,と頭の中で当てはめる遊びである。受験生の観察からだと,外見しかわからないのだが,それでも解答を書く姿勢とか,表情とか,足癖とか,いろいろな断片を継ぎ合わせて想像力でトッピングすると,勝手なタイピングができあがる。七原秋也タイプだとか,千草貴子タイプだとか。試験中ずっと眠っていた受験者がいたので(羨ましい反面,何のために受験しているのか他人事ながら心配になった),川田章吾タイプだな,とか。もちろん勝手な想像上の遊びだから何の意味もないのだが,受験生をよく観察することにもなり,試験監督としては一石二鳥である。

これをもう一歩進めると,いくつかの質問に答えることによって「あなたはバトロワの誰々のタイプです」と判定するCGIができるだろう。流行の「家電占い」とか「動物占い」とかいった類と同工異曲ではあるようにも思うのだが,類型に勝手な名前をつけて,その類型の分類基準にあてはまるものを割り振るという操作だから,占いというよりもタイピングという方が正しかろう(もっとも,ぼくはその流行の方をよく知らないので,外していたら申し訳ない)。例えば,各々3つの水準をもつ分類変数が3つと性別だけで,最大54のタイプができるのでバトロワの割り振りには十分なのだが,変数設定をうまくしないとデータのないタイプができあがる可能性は大いにあるので,もう少し変数(質問項目)は増やすべきかと思う。例えば,「あなたは道端に怪我をしたネコが倒れていたら放っておけない方ですか?」と質問し,(1)つい家に連れ帰って手当してしまう,(2)放っておく,(3)保健所に連絡する,(4)動物病院に連れていく,(5)怪我をして痛がっているのは可哀想だから殺して楽にしてあげる,から選ぶことにすると,中川典子であったら(1)だろうが,相馬光子だったら(5)であろう,などと考えて,一種のエキスパートシステムを作ってやればいいのだ(登場人物の性格分類をするだけでも新しいファンサイトが1つできあがる)。バトロワを読んでいないと結果が意味不明だという欠点はあるが,質問項目さえ工夫すればそれなりに面白くなりそうだ。しかしさすがに大学のサーバに置くわけにはいかないだろうし,実際に作る暇はないなあ。誰か作りませんか?

もっとも,心理学や情報文化論なら研究になるかもしれない。例えば,これを「バトロワ占い」という名前で公開しておき,回答者の年齢群,性別,占い結果に満足か,バトルロワイアルを読んだか,読んだなら好きか嫌いか,キャラクターの中で誰が好きか,どこで知ったか,の情報を入力して貰ってデータとし,「占いが流行る社会」(仮説としては,自己評価を外部に求める人が占い好きなんだと思うので,裏を返せば自信のない人が多いということなんではなかろうか)とか「バトルロワイアルはなぜ支持されたのか」といったテーマの分析ができるだろう。後者には,判定結果の表示からバトルロワイアルキャラクターの部分を除いて一般化してコントロールをとる必要もあるだろうが,卒論くらいならいけそうな気がする。

なんてことを考えながら,眠さを散らしていたぼくは,不謹慎かもしれないのだけれど,それだけ監督が退屈だということでお許し願いたいのである。決まったマニュアル通りのことをするだけの仕事を大学教官にさせるのは能力の空費ではなかろうか? 40人の受験生を2人で監督するのは無駄過ぎはしまいか? 受験料をとっている大学入試センターできちんと人を雇って監督してもらうことはできないのだろうか。受益者は大学だから大学教官が奉仕するのは当たり前なのかもしれないが,去年も書いたように,ぼくはあの手の試験は無意味だと思っているので,早いところ止めて欲しいのである。止めてどうすれば良いか? 一定の資格を取得していれば(たとえば,高校の卒業試験を作るとか),希望者全入ということにするのが一案と思う。そうすれば,大学ブランドの価値がなくなって,内容本位の大学選びになって,大学教育も健全化されて一石二鳥である,というのは楽観的に過ぎるか。

試験監督が終わってから大学に戻る途中で本屋に寄り,やっと「脳の中の幽霊」を買うことができた。まだ読み続けている「コロンブスが持ち帰った病気」を読み了えたら読むつもり。大学に戻らねばならなかったこともあり,大変眠かったのだが,新幹線は20:38上野発のあさま533号となった。日曜の夜だけあって,がらがらに空いていたのは大変結構なことである。それでも疲れが残っていたのか,今朝はすっかり寝坊して8:37長野発の電車になってしまった。上田あたりでは,近くに見える山がうっすらと雪化粧していて,墨絵のような世界である。この電車は停車駅が少ないのでとまらないのだが,軽井沢あたりでは吹雪であった。大宮までは雪だったが,上野に着いたら雨になっていた。やはり東京は暖かいのだなあ。


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