枕草子 (My Favorite Things)
【第274回】 菜食主義をめぐる考察(2000年4月7日)
- 今日は6:43発あさま502号に間に合った。曇天模様ではあるが,上野公園内は花見の場所取りのためのビニールシートがあちこちに敷かれ,新入社員かと思われる若い人が所在なげに本を開いていたりする。花見というものの,花を愛でようなどという風流さよりも,飲んで騒ぐ場という意味合いが現在では大きいようである。桜の花の繊細な美しさは,大騒ぎには似合わないような気がするのだが。
なんてことをいいながら,今日は人類生態学教室も花見らしいのだけれど。
- 去年シンポジウムでコメンテータをした,人類学会進化人類学分科会のホームページができるので,シンポジウムについてもコメントを収録したいという依頼がきている。細部は忘れているので困っているが,まあ,適当に考えて補ってよいのだろう,と勝手に判断している。
- ちょうど読んでいる川端裕人「緑のマンハッタン」(文藝春秋)も第8章が菜食主義についてのもので,ディープ・エコロジーやアニマルライツと重なり合いながらもそれを包含する新しいライフスタイルの勧めだという話が書かれていたが,ヒトはゴリラとは違う道を歩んできてしまったのであり,食べものとしての肉を完全に諦めることは難しいように思う。ちなみに,この章で著者川端裕人は,試しにvegan(乳製品や抽出エキスなども含めて動物性食品を一切食べない人)の生活をしてみたら生臭くて牛乳が飲めなくなったと書いているが,それは米国の牛乳がまずいからかもしれない。
- 「緑のマンハッタン」に出てきた菜食主義の活動家,パメラ・ライスは,その著書「わたしが菜食主義である101の理由」の中で,「もし人類全員が菜食主義者になったら現在の農作物の生産量でも理論的には百億の人々を養うことができる。これは二〇五〇年に人類が達すると考えられている人口に等しい。しかし,現実には現在でも八億四千万人の人々が栄養不足に苦しみ,五万人の人々が飢餓の状態にある。」と書いているそうである。しかし,この議論は流通と分配の問題を無視しているし,食文化も無視している点に問題があって説得力に欠ける。例えば,veganの食生活では,少なくともビタミンB12(コバラミン)だけは不足することがわかっているので,米国のveganはsupplementをとっている。この錠剤がどうやって作られているかといえば,工場でエネルギーを使って作られるはずであるし,栄養補助食品という位置づけであればFDAの認可が必要なはずであるから,動物実験もされているだろう。少なくともその意味で,supplementなど入手できない狩猟採集社会の人に対して,アニマルライツ活動家が「将来的にはveganになれ」などということは傲慢である。だいたい,川端裕人も指摘しているが,アニマルライツは所詮カウンターカルチャーなので,ヒトの文化という枠組みを抜きにしては存在しえない。つまり,文化が有用あるいは有害としてヒトの生活と関連づけた動物のみが「動物」として認識されているわけで,そこを意識せずに動物の代弁者をもって任ずるのは馬鹿げている。彼らが守っているのは,所詮は彼らの頭の中に構築された理想の動物に過ぎないと思う。
- 屍肉食から始まったにせよ,チンパンジーやヒトが狩りをして他の動物を捕らえ,食べるのは自然の理であろう。食べるための家畜飼育がその動物の権利をないがしろにしている,という文脈は,動物だけを特別視する根拠にはならない。そんなことを言えば,食べるための穀物栽培はその植物の権利をないがしろにしている,ということになる。動物の家畜化,植物の栽培化は,肥大化したヒトの脳が環境をコントロール可能なものにしたいと願ったことの自然な帰結なので(医療とか教育とか社会資本を通したヒトの自己家畜化もそうだが),それを完全に排除しようというのはかえって不自然である。文化的概念をもって文化を否定するのは滑稽である。
- 健康への肉食の悪影響ということを指摘するveganは多いが,むしろ問題は程度であり,自然存在としてのヒトが食べるべき動物性タンパクや脂肪,エネルギーに比べ,現代畜産業,現代農業が供給しているものが多すぎるということなのだと思う。青空MLで小宮さんが計算してくださったが,トウモロコシを牛に食べさせて得た牛肉によってトウモロコシを直接食べると同じだけのエネルギーを得ようと思うと約20倍量が必要となり,たしかに世界人口100億の時代に畜産飼料用の穀物生産というのは贅沢かもしれない。それならば,完全な菜食主義を主張するのではなく,畜産の仕方を変え,供給量を減らせばよいことである。少なくとも,今の日本での食肉量が多くなってきた一因は,海を越えてやってくる安価な肉にあり,流通にかかるエネルギーを考えるとこれはさすがにエネルギーの無駄遣いと思う。輸入トウモロコシを餌にするのではなく,放し飼いで飼える程度の鶏を飼って,卵や鶏肉を今の10倍くらいの高い値段で売ると,摂取量が減り,有り難みがでていいかもしれない。沿岸・近海の魚介類は,数理生態学モデルで計算される持続的漁業が可能な最適漁獲戦略に従って獲れば,エネルギー的には無駄は少ないだろう。日本では縄文時代から魚介類は多くの人が食べてきたのであり,獣肉は滅多に食べられないご馳走だったはずだから,日本に住む人類集団はそれに適応してきていると考えられ,supplementを摂らなくてもいい程度には魚介類も肉も食べていいと思う。地域の条件にあった食べものをバランス良く食べましょう,というのが雑食性のサルであるヒトの最適採餌戦略ではないか?
- 別に菜食主義の人がいてもいいのだが,それを「環境に良い」「身体にいい」「動物にも生きる権利がある」といって他人に押しつけるのは間違いと思う。パメラ・ライスの本を読んで説明するための理論的根拠が見つかったという菜食主義者の話が出てくるが,むしろ,その人が本を読む前に感じていた,なんだか説明できないけれど肉食はしたくないんだという気持ちの方が正直なのだと思う。
- 以上,ちょっと書き散らし。
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