枕草子 (My Favorite Things)
【第360回】 思いつき(2000年8月10日)
- 軽く食事をして入浴し,ちょうどトイレにいた深夜1:00頃,電話が鳴った。こういうとき,妻も娘もまず目覚めないので慌ててトイレを出たが,取れないうちに切れてしまった。間違い電話だったのか急用があったのか不明だが,何となく気になる。
- そのせいではないが目が覚めたら5:40だったので始発は諦め,往路は3番の7:02発あさま550号(なぜ2番でないかとは訊かないで欲しい)。各駅停車なので上野まで100分以上かかる。それでも9時過ぎに研究室に着いたのは,たぶん1番乗りだったと思う(たぶん,というのはメールを見て返事を書いてから集会室に行ったせいで,出席の磁石を上げたのは3人目だったからだ)。
- 思いつき。地域社会が崩壊してしまった現在の都会で安心して子育てができるようにするためには,もっと気軽に保育園が利用できるようにするというのはどうか。現行制度は,あくまで共稼ぎなど何らかの理由でやむを得ず「保育に欠ける子ども」のケアをする施設という位置付けになっているが(現状に合致していないという批判は随分前から厚生省の審議会などでも出ているがそのままだ),専業主婦/主夫とて,少なくとも1人目の子どもの場合は他に比較対照すべきリファレンスモデルをもたない以上,保育園を利用するメリットはあるはずだ。遊びに行くからという理由でさえ,気軽に保育園を使ってもいいのではないか。そのためには一時保育を増やすのでは駄目で(子どもはモノじゃないのだから,初めての場所にポンと置いていくことはできないのだ),普段から保育園という場所に慣れておく必要があるので,基本的に産休明けあるいは育休明けから全入にするべきだ。施設数が必要になってコストはかかるだろうが,もし本気で政府が少子化対策をしたいなら,それくらいの出費はしても引き合うのではないだろうか。平成11年2月に総理府が発表している「少子化に関する世論調査」の結果からみると,少子化の要因として,子育てについて辛いと感じることとして「自由な時間がなくなる」が約4割,「自分が思うように働けない」「どのように接したらいいかわからない」が各々約2割の人に選ばれているが,これらは保育園全入化によってかなり解消される問題だ。
- え? 保母が足りなくなるだろうって? そう,その通り。でも,見方を変えてみたらいいんじゃないだろうか。保育担当者がすべて完全にプロである必要はないと思う。散歩させるときとか,目が届けばいいという場面も多々ある(保育参加した経験からいって)。従来の専業主婦/主夫は,うまくすれば,かなり自由な立場で保育にかかわることだってできるはずだから,例えば,保育サポーターのような資格をつくって簡単にとれるようにして,正規の保母をアシストできるようにするとかすれば,保育者不足が軽減されて,さらに社会とのかかわりが復活して自己実現にもなるのではないか。つまり,太田睦さんの「オレだって育てる,子どもをつくろう」に書かれていた,子どもとだけかかわる日々に感じた社会からの疎外感・取り残される不安感といったものは,健全で濃密な地域社会の代替として,保育園を地域の子育て拠点化することで解消できるのではないかと思うのだ。今だって保育相談という形で多少機能してはいるのだが,それをメインに制度化してしまえば,うまくすると地域社会が復活するのではないかとさえ思える。甘いか?
- それでも保育者は不足するかもしれないし,夫婦の一方が稼いでいる家庭と共稼ぎ家庭の間で不公平感が生じるかもしれない。さあどうしようか? 保育負担金額に差をつけるとか(収入が違えば所得税は違うのだから必ずしも差をつけることが公平とは限らないが,心情的にはありうる),保育サポーターにも給料が出るようにするとかいった金銭的解決ももちろんあるが,一石三鳥の名案があるんだな。育児休業制度を拡充して,保育園に行っている子ども1人につき毎週1日,親のどちらかが育児休業して保育参加させることを雇用主に義務付けるってのはどうだろうか。獲れる鳥は,保育者不足の解消,親が子どもと触れ合う時間が増えること(まず第一に子どもと遊ぶのって面白いから親にとってメリットと思うし,自分の子だけでなくいろいろな子どもを見ることによってある程度の相対化が可能になるのもメリットかもしれない)に加えて,時短効果による雇用創出っていう大物まである。もしかしたら名案なんじゃ? どうしても代替不能な仕事を両親ともやっている場合は,仕方ないから保育負担金額に差をつければいいんだし。
- そうはいっても,死亡率が低い現在のこの国で,子育て不安がなくなることによって有配偶出生率が上昇したら(まあ,そう簡単に少子化解消にはならないと思うけれど,もしなってしまったら)人口爆発に寄与することは明らかで,そうなることが総合的にみて必ずしもハッピーとは限らないのが難しいところだ。もちろん死亡率もあがればバランスが取れるなんて単純な話ではないのだし。うーん。
- 復路は21:30上野発あさま535号の4号車。上野から座れた。
- 家に着いたら,プロ野球中継が延びていた(どうでもいいのだが,物凄い乱打戦だったらしい)おかげで,日本テレビ「今日の出来事」のファナレイ村のイルカ漁放映に間に合った。イルカ漁が彼らの生存にとってもつ意味を,かなり等身大で伝えてくれる映像だったと思う。しかし,現在進行中のガダルカナルvsマライタ紛争に一言も触れないでマライタ島ファナレイ村で今年撮った映像を流すというのは,何かセンスが変だと思う。13日の深夜に長いのを流すなら,是非,紛争についてもコメントを出して欲しい。テレビの影響力ってやっぱり大きいと思うから。
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