15日は素晴らしい晴天の下,牟礼のふるさと農園にプルーン狩りに行ってきた。つまみ食いをしながら4 kgばかり摘んだが,太陽の香りをいっぱいに蓄えたサンプルーンはとても美味だ。往路はJR牟礼駅から5 kmばかり歩いたが,子どもたちが結構よく歩くので驚いた。知らず知らずのうちに鍛えられているらしい。16日は小学校の運動会だったが,時折曇るものの,基本的には晴天に恵まれた。14日に買ったばかりのTRV80PKを構えて撮影に挑んだものの,技量が足りず今ひとつ。(1)撮影ポジション取りが難しく,「かけっこ」はゴール地点か走路の横か迷ったが,走路の横にしたところ,途中はアップで撮れたもののゴールが他の人で隠れてしまったこと,(2)三脚をもっていないと腕の疲れとともに画面が揺れだすのが失敗だったこと,が反省材料か。運動会の後,子どもたちと一緒に,プルーン狩りの時に捕まえたコクワガタの住処の整備と,金魚の水槽のフィルター交換をした。こういうことを一緒にやれるというところにも子どもたちの成長を感じる。17日はコンピュータ関係のヘルプに出たほかは,とくに何もせず。ミーティングで紹介する論文もほとんど読まずに。
そういうわけで,今朝は6:00の始発に乗ってミーティングで紹介する論文を読みおえたのだった。Kannisto, Vaino: Measuring the compression of mortality. Demographic Research, Vol.3/Article 6/September 12, 2000.である。Demographic Researchは,ドイツのMax-Planck研究所から発行されているWEBで誰でも全文読めるPeer-Reviewのある学術雑誌で,アクセプトから発行までの時間が短いという利点もあり,最近はかなり面白い論文が多く載っていて注目されるのだが,今日読んだ論文は,死亡の集中に関する話だった。
死亡の集中とは何かといえば,皆が同じ頃死ぬようになるということだ(注:だから,直訳すると「圧縮」の方が合っているかもしれないが,このように意訳した)。人口転換とともにみられた死亡率の変化を考えると,ふつうは最頻死亡年齢が高くなるところに関心が行くのだが,1980年にFriesという人がNew England Journal of Medicineで,この,死亡年齢の幅が狭くなるという点に着目して"Compression of Mortality"と呼んだのである。これを生存曲線にして考えると,生存曲線の形が四角形に近づくことを意味するので,「四角化(rectangularization)」とも呼ばれている(注:これも,方形とか矩形とかいう方が正しいかもしれないが,直角を四隅にもつ四角形であるということが一般の人に伝わらないなら訳す意味がないし,一般の人は四角形といえば方形をイメージするような気がするので,敢えてこう訳した)。この尺度としては,かつてはKeyfitzが提案したH(死亡率のエントロピーとも呼ばれるが,生命表生存率の対数の,生命表生存率で重み付けした平均の符号を逆にした値)などが使われていた。Hがほぼ0なら四角化の極致であり,これは実験用のショウジョウバエなどで見られる。どのショウジョウバエもずっと死なずに生存し,ある年齢に達すると一斉に死ぬのである。これは外部環境の偶然変動による死亡がほとんどなく,遺伝的にも均質だからである。ヒドラなどではHは0.5程度で,牡蠣などではHは1を超える。ヒトについては,Hは0.2とか0.1といったレベルだが,徐々に小さい値になってきている。しかし,1980年代にいくつかの論文が出ただけで,四角化=死亡の集中については,暫く忘れられたかのように,論文のテーマとならなかった。
昨年のDemography(米国人口学会の学会誌)に載った論文で,IQR(Interquartile Range)が四角化を示すのに良い指標だと発表された。Wilmoth JR and Horiuchi S: Rectangularization revisited: variability of age at death within human populations. Demography, 36: 475-495, 1999.である。生命表生存数が75%になった年齢から25%になった年齢までの区間がIQRだが,この値が,例えばスウェーデンでは1751年に65年間だったのが,現代では15年間にまで短縮しているというのである。これは死亡の集中を良く示す指標であり,Hよりずっと計算も簡単なのが利点であった。
今日のミーティングで紹介したKannistoの論文は,C-familiesという指標を導入すると,高齢における死亡の集中をIQRよりも良く表現できるという話である。C-familiesとは,例えばC10だったら,全体の10%の死亡が起こる最短区間というのが定義である。C50だったら全体の50%の死亡が起こる区間という意味ではIQRと説明できる死亡の割合は同じだが,その最短区間とすることで,IQRより高齢側にシフトし,より短い区間となっている。Lexisが1877年に指摘したように,最頻死亡年齢付近では死亡年齢の分布は正規分布に近いので,C50では一般に中央に最頻死亡年齢がくることにより,左方に外れているIQRよりも,死亡分布をうまく代表すると考えられるという本論文の主旨には頷ける。最近は死亡率が全体として低くなってきているので,C90のような指標を導入することで,未成熟な状態での事故や感染等による死亡の低下による寿命延長が,どの程度達成されてきているかを示すことができるというのが面白い。こういう論文を読むと,思いつきや着眼点の大事さがわかるなあ。
ということでミーティングは無事に終わり,帰りは終電。