枕草子 (My Favorite Things)
【第403回】 「不平等社会日本」批判メモ(2000年10月11日)
- 往路は,あさま2号に間に合ったが禁煙車が満席だったので(例によって喫煙可能車には空席があったが),次の8:05発あさま504号に乗った。「不平等社会日本」を読み進める。論理がいったりきたりするし,同じ主張の繰り返しが多いし,主観的解釈とデータから言えることが不分明だし,卒業論文だったら3点満点の2点くらいではないだろうか。批判するという目的がなかったら投げ出したいくらいだ。
- 後でまとめて書くつもりだが,簡単にここでメモしておこう。著者の主張を支える鍵となる結果は,団塊の世代になって,W雇上(40歳時点でホワイトカラー被雇用者管理職・専門職の人)の要因として,父親がW雇上であることのオッズ比が急上昇して戦前レベルに戻ったということにあり,形を変えて何度も同じ結果が引用されるのだが,最初にその結果を出す前に,著者自身,団塊の世代についてはA票の結果しかないから「サンプリング誤差がかなり見込まれる(p.58)」ため,2005年調査までははっきりしたことは言えないことを認めていて,度々論拠にするほど確かな結果ではない。これが最大の問題点。
- 2点目は,統計の恣意的な解釈である。信頼区間がついていないオッズ比など何の意味もないという点を別にしても妙な点がいくつもある。例えば,p.59〜60で「やや見づらい表で申し訳ないが,要するに「差がある」といえるのは二つ,一八九六〜一九一五年生まれの「明治のしっぽ」と一九二六〜四五年生まれの「昭和ヒトケタ」の間,そして「昭和ヒトケタ」と一九三六〜五五年生まれの「団塊の世代」の間である」として引用されている表を見ると,有意確率は0.094と0.071なのだ。これには,どこで有意水準が10%になったのだろう? と首をかしげざるを得ないし,p.29では「実績主義者の方が年齢と収入に関連性があるのだ。それに対して,努力主義の方はほとんど関連しない」と書かれているので表を見ると,「実績をあげた人ほど収入を多く得るのが望ましい」と答えた人では年齢と収入の相関係数が0.292,「努力した人ほど収入を多く得るのが望ましい」と答えた人では年齢と収入の相関係数が0.199で,たかだか対象者の分散の9%,4%程度を説明するに過ぎない上,相関係数が0である確率(これが相関係数の有意性の検定の意味)は,どちらも0.000である。これなら,どちらについても「関連はゼロでない」と読むのがまっとうな統計的解釈だということは,学部学生だってわかることだ。
- もう一つ例をあげよう。p.78〜79で,「経済学でも例えば樋口美雄が,(1)親の収入と子どもの進学が強く関連しており,(2)四年制大学卒が管理職になりやすいことを示している。けれども,直接検証されたことはなかった」として,父親の職業と本人の職業が関連する「選抜を通じた再生産メカニズム」があることを本書が示したと威張っているのは,統計的推論のイロハを無視した言明である。樋口氏の指摘が正しいとすれば,著者が言いたいようなことを言うためには,本人の学歴をコントロールして,「学歴の影響を排除しても父親の職業と本人の職業は関連している」といわねばならないとするのが統計学である。コクラン=マンテルヘンツェルの要約オッズ比とか,ロジスティック回帰とか,手法はいくらでもある(他にコントロールすべき変数も収入とか居住地域とかたくさんある)のに,やらないで結論に飛びつくのはおかしい。著者の言明のおかしさを喩えていえば,小学生を調査して,(1)身長は年齢と関連している,(2)年齢が高いほど児童会の役職に付き易い,から身長と児童会の役職の相関を直接検定したら有意だったので,(★)身長が高いほど児童会の役職に付き易い,と言っているようなものだ。こう書いてみれば,同年齢で比較しなくては意味がない,つまり介在する変数である(注目する変数間の関連をみるには撹乱要因とみなすことができる)年齢をコントロールしなくては意味がない言明であることは誰にでもわかるのだが,本書のような書き方をされると騙されてしまいがちである。
- SSM調査はランダムサンプリングだといって,回収率が60%から90%近くまで異なり,デザインすら違う調査年度のデータを比較しているのも解せない。回収率は日本ではこの程度と開き直るのではなく,回答が得られなくてもわかる属性くらいは比較して,回収できなかったケースに偏りがなかったかを確認するのは社会調査の基本ではないのか? それなしでは,調査自体の信頼性が評価できないではないか。
- しかし,どうしてこんな内容なのだろう? 専門分野の違いを考慮しても,社会学というのがこんなに統計的誤りがあっても通る分野だとは思われない。SSM調査には,何か統計的解釈を曲げてでもこの結論を出さねばならない理由があったのだろうか? それとも,一般書だから強烈な主張をしなくてはと思ってサービス精神を発揮したのだろうか? もっとも,まだ3章までしか読んでいないので,それ以降で多変量統計もやっているのかもしれないが,それならそれで,基礎集計や二変量統計の段階でいうことは,それから言えることにとどめるべきだ。どちらにしても,研究者としての良心に欠けていると言わざるを得ない記載の仕方である。
- もっとも,因果関係としてではなく,現象としてみれば,親の職業と子どもの職業にある程度の関連があるのは確かだと思う。技術を継承するという観点に立ってみれば,親の職業を継ぎたいと思う子どもがいることは悪いことではないし,そのことは本書にも書かれている。著者が問題にしているのは,生まれによって就業機会が不平等になるという点である。科学MLで話題になったときに書いたが,職業選択の自由を確保し生まれによらない機会均等を保障するには,親の職業による枠組み規制をするのではなく,生涯教育や社会人教育の機会を増やすことによって市民全体の教養の水準を上げ,どのような学歴をもった親であっても子どもの教育環境が悪くないようにもっていくとか,国立大学の授業料を下げて親の収入が教育を受ける機会の制限要因にならないようにするとかいった対策をすすめるべきだと思う。
- フローラ上野ブックガーデンで,梶尾真治「おもいでエマノン」(徳間デュアル文庫),今野敏「襲撃」(徳間文庫),太田忠司「狩野俊介の冒険」(徳間文庫),ジョン・ホーガン「科学の終焉」(徳間文庫),西尾幹二(編著)「すべての18歳に『奉仕義務』を」(小学館文庫),幕内秀夫「粗食のすすめ」(新潮OH!文庫)を購入。奉仕義務の本は資料として,また如何に一つの制度を作ろうというときに思いもかけない方面からの思惑が入り込んでくるかという実例として読まねばならないと思って購入。「粗食のすすめ」は,「完全米飯給食が日本を救う」で幕内秀夫さんに注目していたので購入。新潮OH!文庫というのは一気に50冊で創刊され,つんく「LOVE論」なんてのもラインナップされている筈なのだが,フローラ上野ブックガーデンには現物が見当たらなかった。いや,別に買おうってんじゃないけど。
- 新装なった浅草口改札を抜けて新しくできた上野駅を東西に横断する高架橋の上を歩いて公園に出たが,橋の上は本当に何もない広い空間が広がっていて,東京とは思えない気持ちの良さだ。とくに今日みたいに秋の爽やかな陽射しと青空の下では,最高の気分といえる。これで,もうちょっと空気がうまければなあ,というのは無いものねだりか。
- 公衆衛生実習の学生が来て,現在試しているモデルの問題点を一緒に考えた。決定的な解決策は生まれなかったが,取りあえずパラメータを変えることで何とかならないかを探ることにした。なかなか道は険しい。
- 夕方,人口学研究に投稿していた論文について,修正すれば受理するという連絡が来た。修正がなかなか難しいのだが,かなり嬉しい。実験検査法実習の準備も進めねばならないし,金曜日と土曜日は子どもにつきあわねばならないので(そのために金曜日は休暇をとる予定),明日から数生懇シンポが静岡であるのだが出席できないのが残念だ。公衆衛生実習の学生が出席するというので,来週話を聞こうと思っているのだが。
- 帰りは終電。高崎のOさんに会ったら,冬に草津に行こうと誘われた。今野敏「襲撃」を読了。膝を壊して引退した元空手選手にして琉球古武術を身につけた整体師(しかも練習にかまけてほったらかしにしておいた恋人に自殺されたというトラウマを引きずっている)である主人公が,香港マフィアやら渋谷の若者だのと戦いつつ自分の仕事をこなすというハードボイルド。これは傑作だった。香港マフィアの刺客が新宿鮫に出てくる毒猿みたいで,オリジナリティにはやや欠けるけれども,戦いの描写が大沢在昌よりもリアリティがある。さすがに自ら武道を嗜む今野敏である。続けて梶尾真治「おもいでエマノン」を読み始めたが,さすがに終わらず。
▼前【402】(国際会議と科研費申請と人口学(2000年10月10日)
) ▲次【404】(EMANON(2000年10月12日)
) ●枕草子トップへ