枕草子 (My Favorite Things)

【第405回】 勝利の条件(2000年10月13日〜16日)

金曜日の保育園の親子遠足は楽しかった。保母さんの一人がサワガニを採るのがうまく,感心した。実は娘が前夜からサワガニを欲しがっていて,プラスティック水槽まで持っていくという気合の入り方だったので,ぼくもサワガニ採りに挑戦したのだが,道具もなく根性も足りなかったせいか,1匹も採れなかった。件の保母さんから分けてもらったので娘は満足したようだが,父親としてこのままではまずいと奮起し,トウキョウダルマガエル(たぶん)を採って面目を保った。この手の挑戦に勝利するには,やはり気合と準備が肝心である。件の保母さんは小型の網を持ってきていたが,道具としての網の有効性以上に,それを準備するという気合が重要なのである。

土曜日は息子と育成会の映画鑑賞をしてきた。途中で映像や音が中断するというアクシデントはあったが,内容的には面白かった。日曜日は町の運動会があり,ぼくらの東部地区チームが優勝した。ぼくもリレーに出たのだが,たぶんどこのチームも実力には大差なく,子どもたちが1位でもってきたバトンの順位を落としてはならないという気合だけで勝てたように思う。足が痛くても息が上がっても,子どもに面目が立てば満足なのである。地力に大差がなければ,準備よりも気合が勝負を決める好例である。

一方,個人の力だけでは決まらない勝負の場合,気合と準備は第一の条件ではない。その証拠が昨日の知事選挙である。田中康夫氏の予想以上の圧勝だった。たぶん気合と準備は一番だったと思われる前副知事の池田典隆氏を破っての勝利である。新聞やテレビなどにさまざまな勝因分析が出ていたが,要点を1つ見逃しているように思った。既存の権力構造が続きそうなことに反感をもった4万人署名を受けて財界人が田中氏を担ぎ出したということは,そこに県民のニーズが見えたからである。しかし,なぜそのニーズが生まれたかを考えると,たんなる既成権力構造への反感というよりも,池田氏があまりに間抜けに見えたからだと思うのだ。

テレビで田中氏,共産党が推薦した中野早苗氏,池田氏の公開討論が何度か放映されたが,誰が見てもわかるほど,他の2候補に比べて池田氏の言うことは支離滅裂で場当たり的だった。たとえば,「女性副知事を置きます」という発言の差別性にすら気づかずに,女性に受けると思っているあたり,レベルが低いといわざるを得ない。男女共同参画は,ジェンダーすなわち社会的役割として性別という次元に帰属されると期待されることを撤廃する方向の動きなのに,女性副知事を置くと決めてしまっては,ジェンダーロールの固定にしかならず,逆行しているのは明らかである。その点,田中氏は「性別によらず最適任の人にお願いする」という主旨の答えをしていて,さすがであった。もっとも,この問題については,池田氏がしたような勘違いは世間でよく見られる現象なので,まだ間抜けさ加減は低い。

致命的だったのは,選挙活動風景のレポート映像で,演説中に地元の村長や町長からメモ書きを渡されると,突然それまでの話とはまったく脈絡なく「国道○×号を通します」などと道路の名前を口にしてしまう様子が流れたことだったと思う。あの様子は,池田氏個人の主張というものがなく,演説内容など意味がなく,かつ県の財政の健全化などまったく考えていないということをあまりにも鮮やかに露呈してしまった。いや,実際がどうなのかは知らないが,明らかに「そう見えた」。選挙後半になって田中氏や中野氏の主張を口先だけ取り込んだようなことを言ったのも,矛盾が大きすぎて,ますます支持を失った原因と思われる。池田氏は敗戦の弁で「わたくしの力不足です」と言っていたが,この言葉がこれほどぴったりと当てはまる例を見たことがない。県民は,改革を望んだというよりも,力のある人を望んだのではないだろうか。国際社会に恥ずかしい首相もいやだけれど,国内他府県に恥ずかしい知事というのは,身近であるだけにもっと嫌だからだ。中野氏と田中氏の主張に大差はなかったし,討論会では中野氏が田中氏を内容で言い負かすような場面も多々あったから力のある人なのだが,共産党への反感は根強いものがあるようだし,演説では田中氏ほどの切れを見せていないから,中野氏ではニーズを埋められなかったと思う。少なくとも財界人はそう判断したのだろう。田中氏は,作家としての知名度,松本深志高校人脈に加え,震災ボランティアや神戸空港反対署名からわかるように行動力,体力とアピール力があり,何よりも演説がうまかった。もし池田氏がもっと演説がうまく,主張に一貫性があってリーダーシップを発揮できるような人だったら,仮に権力構造が変わらないことが見えたとしても,田中氏はもっと苦戦しただろう。いや,それ以前に財界人が動かなかったかもしれない。権力構造を踏襲しようという人がリーダーシップをとれないのでは,誰だって不安になるというものだ。池田陣営を裏切った人が多々いたという新聞報道を見ると,どうもそう思えるのである。以上の考察から結論すると,選挙の勝利の条件は,何よりも有権者のニーズを満たすことだと思われる。あたりまえだが。

知事選の放映のあと,NHK総合をそのままつけていたら,長島監督と王監督が出てきてプロ野球日本シリーズの話と昔話をしていた。王監督といえば,篠原=ペドラザという投手リレーが「勝利の方程式」と呼ばれることを思い出すが,ここで「方程式」に込められた意味は,リレーが「=」という記号で表されるからなのか,それとも勝利と等価という意味なのか,なんて益体もないことが脳裏をめぐった。さて,野球の勝利の条件は何だろうか? 野球は実力勝負だから,上記考察からすれば,気合と準備だということになるが,あまりにも圧倒的な地力の違いがある場合,気合では埋められない差というものもまた存在すると思う。日本シリーズそのものの結果はどうでもいいのだが,その差が見えるかどうかだけが興味を引く。

強引にまとめてしまうと,どの場合でも通用する勝利の条件は,いわば,「場を得る」ということだ。これはいわゆる勝負ごとに限らず,どんなことでも場を得ればうまくいくことが多い。場を得るためには時流を読んで,自分の能力がはまりそうなところがあったら,ぱっと手を挙げてみることが鍵だ。人類生態学がはまる場っていうのは,少ないのが問題なのだが。

運動会疲れか,知事選の結果を見るため遅くまでテレビを見ていたせいか,寝坊したので往路はあさま2号。長野駅東口で,朝日新聞の無料試読版とかいうのが配られていた。号外ではなく,普通の朝刊なのだが,信濃毎日新聞が圧倒的なシェアを誇る長野県も,風向きが変わったのでシェアをのばすチャンスとみたのだろうか? なかなか朝日新聞も派手な販促戦略をするものだが,信濃毎日新聞で新聞ニーズは埋まっているから,あまり契約者は増えないだろう。ドライアイの記事とか,グリーン電力基金の記事とか,結構面白かったが,その程度で信毎を捨てるほど新聞の場は動いていないと思う。なお,ドライアイの記事では,坪田さんの談話は当然として,ハマノ眼科・濱野孝医師の発言として書かれていた,たばこの煙が良くないという話は初めて知った。さもありなん,という気はするが。

3日間休むと,溜まったメールの量は物凄いものがある。以下は情報のメモ。

科研費の申請書が明日締め切りなのだが,ほとんど書けていない。というか,内容がまだ絞れていない。非常にまずい状況だ。まあ,終電までやってみるしかなかろうな。本当は,運動会の途中で腕時計のベルトが切れたので,上野のヨドバシカメラによって買って帰りたいのだけれど,今週は無理かも。

やはり終電で,例によって4号車に空席があった。幕内秀夫「粗食のすすめ」を読み始めたが,やはり科研費申請書作成を進めるべきだと思い直してコンピュータを開いた。


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