昨夜は最終の新幹線の大宮辺りで,西澤保彦「なつこ,孤島に囚われ。」(祥伝社文庫)を読了。森奈津子,倉阪鬼一郎,牧野修,野間美由紀といった面々に濃い関心を持っている向きには面白いかもしれんが,楽屋落ちっぽい落とし方が多すぎて笑えない。西澤保彦にしては設定の凝り方も今ひとつ。きっと森奈津子という作家の文体模写に凝っているのだろう。普通の読者にとっては,時間の無駄では?
最近,目が覚めて窓から顔を出すと,凛とした朝の空気とともにベランダの下に見える小公園から木々の紅葉や黄葉が飛び込んできて爽やかな気分を醸し出してくれる。今朝は靄がきつくて乳白色に霞んでいるが,時には遠くの山々も彩りをそえる。
ふと喉の渇きに気づいて,紅茶にしようかコーヒーにしようか一瞬悩んだ後,メキシコのハイローストを粗めに挽いてゆっくり落とすことにする。琥珀色の液体から立ち上る湯気が乾ききった喉に与えてくれる潤いの予感とともに,啜るように一口含んでみると,苦みの中に微かな甘みを湛えた刺激がいっぱいに広がる。再び外を見ると,幾分明るさを増した陽光に,遠くの山々の紅や黄色が鮮やかに浮かび上がってくる。至福である。
朝食後,自転車を漕いで長野駅に行き,あさま2号に乗った。軽井沢あたりで窓外を見ればここでも紅葉は楽しめるのだが,今日は大宮直前まで熟睡した。Maxやまびこに乗り換えてから,「東京湾の環境問題史」を開くが,なかなか進まない。冒頭,数多の国営干拓事業の見直しについて概観されていて,浅川ダムについても思いを馳せざるを得ない。東京の臨海新都心もそうだったが,着工してしまった後で工事を止めると,業者に払う金が無駄になるのと,補助金を国に返さねばならなくなるのを「損失」というのは間違いだと思う。もともとなかった金なのだし,業者に払う金は少しでも少なくなれば損は減るのだからなるべく早く停止した方が傷が浅くて済むという意味では損失は最小限に抑えられることになるのではないだろうか?
上野駅では,公園口に出れば爽やかな気分が続くのだが,昨夜はヨドバシカメラのそばに自転車を停めてしまったので雑踏の中に足を踏み出さねばならない。これもまた,気持ちの切り替えという意味ではいいのかもしれない。そう思って外を見たら,雨が降っていた。こういうとき,なぜ笑いが浮かんでしまうのだろう。できすぎって感じがするからだろうか。
「東京湾の環境問題史」を読んだり,民族衛生国際シンポジウムの発表準備(兼今度の金曜日の講義準備)をしたりする合間に,これまで書いた書評を一気に書評掲示板にアップロード。18冊もあったので,書評掲示板トップの表示件数を20件に変更した。今日は珍しくコンピュータヘルプ作業がなかったので仕事が捗った。帰りは終電1本前。