枕草子 (My Favorite Things)
【第436回】 親子丼(?)を創った週末(2000年11月25日〜27日)
- 土曜日も息子は体調が回復しないので自宅療養。娘を保育園に連れていった後,横になってテレビを見ている息子の傍で仕事。ハガキに貼る宛名ラベルの中で機械的に東日本の会員の数を数えたら(ハガキの購入枚数を決めるためには数える必要があるのだ),306人もいた。ハガキ代だけで15300円だ。その後,「風の道」についてまとめてみたら,娘を迎えに行く時刻になった。まあ,土曜日にできる仕事はいつもこんなものだ。
- 午後になると息子の体調は回復したようだったが,上唇に水泡がいくつかできていて,「こんなじゃ月曜日に恥ずかしくて学校に行けない」とかいう。バザーの本を先生に届けるから一緒に行こうと励ましたが,顔の出来物を気にするなんて,自分が小学校1年のときはこんなに自意識が強かったっけと振り返ってみると,いや,幼稚園の時でさえクラスに好きな子の1人や2人いたし,それはそうかもしれんなあと納得した。
- 困るのは,その唇の水泡を除けばすっかり元気になっていることで,娘と2人がかりで背中に乗っかってきたりするので,なかなか家事が進まないのだ。洗濯物を取り込んだり,布団を取り込んだり,夕食の支度をして食べさせねば……などと考えると,気が焦ってくるのだが,これは気が焦る方が悪いので,子どもとはそんなものなのだから,気長にやるしかあるまい。夕食の支度が遅くなれば,子どもたちだって腹が減っても食うものが無いという状態に陥るはずで,自分のやったことの結果が自分に帰ってくることで予測能力を身につけることができるようになるのだろうと思う。親が頑張りすぎては,子どもは成長できない。いや,言い訳じゃなくてさ。
- 夕食のメニューは冷蔵庫にあるもので作ろうというのがこの日のテーマだったので,冷凍庫を探ってみると,うまそうな鶏の胸肉があったので,これを冷蔵庫に移して解凍しておき,夕方になってから親子丼作りに着手した。いや,長崎往復の機内で読んだANAの機内誌「翼の王国」の記事を読んでから,親子丼に魅力を感じていたのだ。卵はいつもたくさん冷蔵庫に入っているし,鶏肉を見つけては親子丼に挑戦せざるを得ないのだった。タマネギがなかったので,代わりに,まずは長ネギを1本きざんで鍋に入れ,えい,ついでだ,と冷凍庫に入っていた油揚げをきざんだものを放り込み,水を入れてから鶏ガラスープの素を小さじ1杯加えて煮込みはじめ(本当は事前に骨付き鶏肉を1日くらい煮込んで出汁をとりたいところだが,今回はそこまで凝る余裕はなかった),そこに鶏肉をぶつぶつ切りながら入れていき,煮立ってからも暫く煮込んだ後,醤油と砂糖と味噌で味付けをして,そこに卵を割り入れて軽くかき混ぜ,卵が概ね固まったところで玉杓子ですくい上げながら熱々のご飯の上にかけてできあがりである。卵は普通溶き卵にしてかけるわけだが,なに,「翼の王国」の記事にあった通り,親子丼など無数のバリエーションがあっていいわけだから,鶏肉と卵さえ使った丼物であれば,うまければ何でもありだと思う。
- さて美味かったのかといえば,ぼくにはもちろん美味かったし,娘も殆ど全部食べたし,唇が痛いと言いながらも息子が全部食べたのだから,まあ一般的に美味だったと言えるのではなかろうか。妻の評価によれば味噌汁かけご飯みたいだそうだが,それでも食べてくれたし,これを親子丼と言うことが一般に許されるかどうかは別にして,とりあえず創作メニューとしては外れではないと言えよう。
- 日曜日も息子の唇は治らないので外に遊びに行けないのが不満らしかったが,その分娘とぼくと3人で本を読んだり,絵を描いたり,テレビを見たりして過ごした。が,2日目ともなるとぼくの方も気力が衰えてきていて,朝食に米を炊いてネギをたくさん入れた味噌汁を作った他は,家中にうなっている林檎や柿を剥くくらいで,後はふりかけとか瓶詰め物,それに息子のお見舞いにもってきていただいたヨーグルトと桑の実ジャムで済ませてしまった。こういう過ごし方をしていると,気が付いてみると一日が終わっていて,20:00に「学校の怪談」を見終わったところで,なんだか疲れていてみんなで就寝した。
- 月曜の朝,起きてみると7:00だった。なんと11時間も眠ったことになるが,なんと無為に過ごした週末だったことか。たまにはいいかもしれんが,毎週これだったらたまらんなあ。やはり子どもは昼間は元気に外で遊んでいてくれるのが良い。朝食後,まだ完治しない唇を隠そうとしながら歩く息子を励ましながら小学校へバザーに出品する本の一部を運び(本をばらばらとバッグに詰めていったのでバッグから出すのが大変だったから,次回は紙袋に詰めてからバッグに入れようと思った),その足で自転車を漕いで長野駅に着いたのは20:32と,あさま506号にちょうど良い時間だった。
- そういうわけで,あさま506号の2号車で,寺井尚子クアルテットのSpainを聞きながらvaioを叩いているところ。これから「東京湾の環境問題史」の新刊短評(になるかどうかわからない)の続きを書く予定。
- 書き終えたところで上野到着。ヨドバシカメラ向かいのロータリーに停めておいた自転車は,あわや移動される寸前だった。慌てて鍵を差し込んで,その場から逃げるように不忍池の畔を西へ進んだ。大学に着いてメールを見て返事を書き終わったら11:30を回っていた。安井至さんの「市民のための環境学ガイド時事編」のサイトが更新されていて,COP6の議長案提出の経緯とその後の決裂についての最新記事は必読と思った。マスコミも永田町の茶番劇ばっかり見てないで二酸化炭素排出削減の問題について,これくらい詳しい情報と視点を示して欲しいものだ。
- 日本人口学会東日本地域部会の案内ハガキを打ち出すために,デスクトップマシン右側の台の上で書類の山に埋もれているLBP-310を掘り出す作業で昼間がほぼつぶれ,うんざりしながらミーティングに突入。今日のネタは,(1)健康な人が結婚しやすいという(Marriage Selectionとして知られる)現象が存在するというために使われる,RMR(既婚者の年齢別死亡率に対する独身者の年齢別死亡率の比),及びRMRと年齢別独身者割合の相関係数,という2つの指標の妥当性をシミュレーション人口で検証した論文と,(2)セネガルの子どもで,栄養状態と年齢と運動能力と身体活動状況の関連を調べた論文。どちらも,それなりに面白い点はあった。
- ミーティング後,せめて打ち出しを始められる体制にはもっていこうとLBP-310周りのスカベンジングを継続しているが,終わるかどうかはわからない。終電の1本前には帰りたいなあ。メールを見ると,新刊短評は掲載決定したという連絡があった。結局,今度の人口学研究には,研究ノート1つと新刊短評2つが掲載されることになったようである。嬉しいことは嬉しいのだが,編集委員が書いたものがこんなにたくさん載ってしまっていいのだろうかとちょっと不安でもある。
- 結局終電ギリギリまで粘っても終わらなかった。2年前の未決書類なんてものが出てきたりしたのにはびっくりした。当然全部リサイクルボックスに入れたが。終電に乗ったら,大宮まで座れなかったので,小松左京「題未定」(ハルキ文庫)を読み始めたら止まらなくなって上田の手前で読了。メタフィクションのお手本のような作品というべきか。作者が物語世界を創っていくことによって物語に巻き込まれていくという点や,教養小説としてのギミックの開陳趣味からすると,「八月の博物館」のご先祖様なのだが,作品の雰囲気が全然違うのは,主人公の設定の差か。
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