枕草子 (My Favorite Things)

【第440回】 最悪の日々(2000年12月1日〜4日)

1日朝,どうしても起き上がれない。体調最悪。そばで元気を回復した娘が飛び跳ねているのでげんなりする。やや不安も感じたのだが,娘の体温は平熱に戻っていたし,本人が「保育園行きたい」というので,妻に頼んで娘を保育園にやってもらった。この夜,妻は前から予定されていた出張だったので,なんとか一晩子どもたちと乗り切らねばならないと,暗い気分の塊の朝なのであった。

昼頃まで眠って何とか動ける気力が回復し,体温は摂氏38度前後とたいしたことはなかったものの,頭が重く,何よりも喉の痛みと肩こりのひどさ,首筋のリンパ節の腫れに苛まれ,よろよろとしか歩けない。と,保育園から電話がかかってきて,娘が発熱したという。まあ,娘も一日で完治したはずはないので(娘にも保育園にも申し訳ないことをしたと思う),ある程度予期した電話だったが,それでもげんなりする気持ちを抑えることはできなかった。往路は上り坂なので自転車を押して行ったが,保育園に着いてみると,横になっていた娘の体調もかなり悪化していて,なるべく自転車に載せるのは短時間が良かろうと判断し,復路は乗って帰った。下り坂なので,ほとんど漕がなくても進むのが救いだ。家に着いて娘の看病をしつつ自分も横になって体を休めたが,息子が帰ってきた夕方からは,洗濯物を取り込んだり,生協の共同購入の荷物をもってきたり(後になって1つ取り忘れたらしい品物があったことが判明したが,それくらい朦朧としていたのだ),妻が作っておいてくれたおかずを温めて食事をしたり,娘の頭に氷嚢を維持するのが辛くなったので近所の薬局で熱さまシートを買ってきたり,と多少動いたが,疲れ果てて21:00前に就寝。2日土曜日は,息子に弁当を作らねばならなかったのだが,熱は摂氏36度台に下がったもののほとんど体調は回復せず,気力もなくて,おにぎり2個と卵焼きだけという手抜き弁当にしてしまった。その後,ペットボトルと紙類の資源ごみの回収が年内最後だというので,妻がくくっておいてくれた新聞の束を回収場所まで運んでから,ようやく一息ついた。しばらくぼーっとしていたら娘が目覚めたので,おにぎりを1つ食べさせ,しばらく休んでから,昨夜の薬局で聞いておいた近所の小児科医へ連れて行った。次が日曜日なので,そこで体調を大きく崩されたら困るという計算あっての決断だったが,娘は意外に元気で,病院では絵本を何冊も読まされ,薬を貰って帰ってきてからも絵本を読まされたので,ただでさえ痛むぼくの喉の状態はひどくなる一方であった。昼は娘と一緒に食べて,薬も飲ませ,その後児童館から帰ってきた息子におやつをあげたりしたという記憶は微かにあるのだが,よく覚えていない。寿司折をもって帰ってきてくれた妻の顔を見た瞬間,喉の痛みと肩の張りと頭痛がどっと押し寄せてきて,寿司を食べてひたすら眠った。3日の日曜日は,良い天気らしかったが,悪いなあと思いつつも家事も育児も全部妻に押し付けて一日中何もせず,ひたすら横になっていた。久々に最悪の日々であった。

さて4日朝,往路は8:05発あさま504号。まだ喉は痛いものの,新幹線の中でvaioを開ける程度には体調が戻ってきた。しかし,先週帰る時から開いていなかったvaioはどうもスタンバイモードだったようで,完全にバッテリーが切れていた。間抜けな自分に腹を立てながらも,月刊水情報の11月号を読む。エネルギーについて考える際には必読であろうと思われる貴重な情報が並んでいてすばらしい。後で青空MLに話を振ってみようと思いつつ,高崎過ぎで読了。先週,誉めたような触れ方をしてしまった「ウェルカム・人口減少社会」だが,よくよく読んでみると,その議論の乱暴さに辟易する。全体の論旨として「少産少死は文明社会が目指してきた理想像であり人口減少社会は必然の帰結だ」という見方の提示は,まあ正しい。しかし,人口学に無知な故にそれを矮小化する,たとえば第3章の書き方なんかは,ちょっと許し難い。人口学には形式人口学もあれば,数理人口学もあれば,生物人口学だってあるのだ。断じて人口政策学だけが人口学なのではない。ほとんどマルサスどまりの理解に基づいて人口学を「非科学的だ」と批判しておいて,科学的な見方だといって出してくる大層な名前のモデルを使ってなされた予測が,安定人口モデルで何十年も前に「解けている」内容から一歩も出ていないのは,滑稽といってよい。しかも,肝心なところで間違っている(というか,不正確である)。安定人口における人口ピラミッドの形を決めるのは,死亡率ではなくて,出生率である。このことは,例えば,過日の人口潮流シンポジウムでの金子隆一さんの計算結果(pdfファイル)などにクリアに見ることができる。意図的にやっているのなら不愉快だし,知らずにやっているなら不勉強だと思う。藤正・古川ともあろう方々が,なぜこのような乱暴な本を書いたのかわからないが,ちょっとひどいのではないか。昨日の信濃毎日新聞の書評欄には,著者のビッグネームを信じてしまったのか,本書の論旨を鵜呑みにした評が載っていたことなどを見るにつけ,このままではまずいように思う。ちゃんと書評を書いてdemoinfo-MLに投げてみようかなあ。

今日は,15:00から利根川進さんの講演会,その後16:40からミーティングの予定。

来がけにフローラ上野ブックガーデンで本を3冊買った。Software Design Linux Issueの「すみからすみまでLinux テクニカル編」は,Vine 2.1のレポートとかエミュレータの話なんかはどうでもいいのだが,特集1のセキュリティツール紹介と特集2のデバイスドライバ作成の概要に惹かれたために購入した。税別1880円はちょっと高いような気もするが,まあ役に立てばいいか。あと2冊は角川oneテーマ21シリーズの瀬名秀明・太田成男「ミトコンドリアと生きる」と鈴木光司「父性の誕生」。まだぱらっと目を通しただけだが,この値段で買える本としては,とくに前者はお買い得と思う。研究室に着いてしばらくしたら,長年注文しつづけてやっと入手した本,"Micro-Approaches to Demographic Research"がAmazon.comから届いた。さらに,先頃終了した特定領域研究「マラリア制圧の分子論的展開」メンバーによって書かれた「マラリア学ラボマニュアル」(菜根出版)が生協から届いた。本についてだけは良い日になってきたかも。

利根川さんの講演会は,自伝的内容。若いときに優れた研究者のたくさんいる研究室で独自のテーマについて頑張ることの大切さには共感したが,全体として妙な配慮のしすぎではなかったか? Fabの可変領域では1世代の発生過程で組換えが起こることがクローン選択に必要な抗体産生細胞の候補の多様性を少数の遺伝子から生み出す鍵であるというノーベル賞受賞の対象となった研究の説明を丁寧にされたのは良かったと思うが,脳科学のところでは,フランシス・クリックのthe astonishing hypothesis(講談社から中原英臣訳で「DNAに魂はあるか」という邦題で訳書が出ているものと思われる)を引用して心身二元論を否定しておきながら,「身体の機能と心の機能」なんてぬるい言い方をしたせいで,質疑の時に妙な質問を受ける羽目になったのだと思う。養老さんみたいに「脳の機能を心と呼ぶ」と言ってしまうのは脳科学の立場ではやりにくいのかもしれないが,「何かの機能」というものを考えるとき,その「何か」には実体がなければ無意味で,心に身体とは異なる実体があるとすれば心身二元論になって自己矛盾に陥るので,やはり「心の機能」ではなくて,「脳の機能としての心」というべきだった。

ミーティングその1は,NHANES IIIのデータを使ってUS生まれの乳幼児の母乳摂取状況と成長の関係を見たけれど,8-11ヶ月時点での4ヶ月時まで母乳のみ摂取群が他群よりやや体重が低めだったのを除けばあまりクリアな関係はなく,USでの肥満児の増加を考えると母乳のみ摂取の方がよいという感じの話。とくに目新しい点はないが,まあ新しい大規模データということだろう。ミーティングその2は,アラバマ大学の研究グループが提唱している,血圧に影響する要因としてライフスタイルの"incongruity"を考慮し,かつその作用が年齢やジェンダーと交互作用効果をもつことを考慮すべきだという話のレビュー的な紹介。考え方は面白いのだけれど,incongruityの尺度のvalidityはどのくらい保証されるのか,という点がやや曖昧だったのが残念。単純に考えればライフスタイルや社会的地位にかかわる変数群全部から主成分分析か因子分析で直交する主要2成分をとりだす方が筋が良さそうだが,もしかすると,ライフスタイルの指標と社会的地位の指標の差をとって"incongruity"の指標とするときに,各々を偏差値に変換することが本質だったのかもしれない。つまり,その社会の中での相対的なライフスタイルのレベルと,同じく相対的な社会的地位が見合っているかどうか,ということ。しかし,そうであるならばサンプリングは決定的に重要なプロセスとなる筈で,今回紹介された論文は失格だな。今日は開始が遅かったので終了も遅くなり,現在21:00を回っていて,帰りは終電。

上野から座れたし,Oさんにラジオを渡せたので良かった。驚いたことに最終の番号があさま537号から535号に変わっていた。1本減ったのか? それとも変則的な運行をする車両が増えたのか? たんに番号の付け方が変わっただけか? まあ,時刻は変わらなかったからいいんだけれど,ちょっと気になるのである。どうも,この12月からの変更のようだから,長野駅に着いたら長野新幹線時刻表を貰って帰ろうと思う。あれこそTrain Shopカタログなみに,各座席後ろにセットしておいて欲しいものだが,JR東日本も気が利かないよなあ。


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