枕草子 (My Favorite Things)
【第491回】 山を1つ越えると(2001年2月15日)
- 1時過ぎに眠ったのだが,腕時計のアラームで5:40に起きた。軽く朝食をとり,6:15に自転車で家を出た。この時刻でも既に真っ暗ではないということは,だいぶ日が長くなってきたということだ。久々に乗る6:43発あさま502号はガラガラである。長野市内はずっと曇っていて,今にも雪が降ってきそうな天気だったのだが,山を1つ越えて上田に入ったら強烈な朝日が射し込んできた。これが今後の状況を象徴していてくれるならいいのだが。
- 査読している卒論は,医薬分業率の都道府県間格差の要因分析を目指しているようなのだが,卒論にありがちな論理構成の甘さが目に付くのは仕方ないとして,統計資料から引っ張ってきた2632個の数値を統計パッケージにかけただけという作業量は,どうもお手軽過ぎるように思えてならない。この論文の裏側に,もしなんらかの努力があるのなら,それが見えるような書き方にすべきだ。せめて考察くらいきちんとして欲しい。
- 今年もただ聞いているのに我慢がならず,2つフロアからコメントしてしまった。ダメなものを正しくダメということも大事だし,査読者の専門分野が違うせいで真価をわかって貰えていないものの良さを引き出すのも,ある意味で義務ではないかと思う。本当はもう1つコメントすべき発表があったのだが,時間の余裕がなかったのでできなかったのが残念だ。あれはゲノム疫学時代の解析の基礎を固める作業として大きな意味があると思うが。ついでに言えば,インフルエンザの伝播と学級閉鎖のモデルを実データでなくシミュレーションで分析したのは,実際の大流行時におけるベースラインのデータが存在しないからということもあるけれど,インフルエンザがウイルスの型の大きな変異によってパンデミックを起こす可能性を秘めた疾患なので,そういう強い感染力をもつ型が出現した場合こそ対策が必要なのに,実データを分析する立場では後付けにならざるを得ず,対策が間に合わないから,シミュレーションによって予測を行うことに計り知れない意義があるのだ! と威張ればよいのに,そうしなかったのは,理論派に共通する謙虚さか>竹内君? 威張るべきところは威張って良いと思うぞ。
- 帰りは終電1本前。ライトアップされた弁天堂が不忍池の水面に映えて美しい姿を見せているのを眺めながら歩くのは,なかなか気分がよかった。何故か異様に混んでいて,大宮まで座れなかったので,篠田節子「ハルモニア」(文春文庫)を読み始めたのが失敗で,一気に読了してしまった。
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