枕草子 (My Favorite Things)
【第556回】 回復/力の制御について(2001年6月11日)
- 目が覚めたら6:00だった。昨日の疲れは,もうすっかり取れている。肉体的な疲労だけからなら,わりとすぐに回復するということは,まだまだ若いということだろうか。納豆ご飯を朝飯として,コロンビアを淹れて水筒に詰め,昨日空気が抜けた後輪に空気を入れて長野駅へ走り,往路あさま550号には余裕をもって乗れた。
- 久々に川本真琴のGobbledygookを聞きながら2日分の日記を打っていたら,大宮を過ぎてしまった。先週高経でやった小テストの採点をしようと思っていたのだが,帰り道にしよう。
- 先日「もっとも,真に恐れるべきは精神異常ではなくて,刃物という強烈な暴力なのだろうけれど」と書いたことについて,ちょっと補足しておこう。「キチガイに刃物」という諺が意味するところは,管理能力がない人が強大な殺傷力を手にすると恐ろしいという意味である。真に怖いのはキチガイではなくて,刃物なのである。つまり,制御の利かない力が危険なのであって,制御が利かなくても力がなければ大した問題は起こらない。事実,パプアニューギニアの村で精神的にちょっと社会に不適応な人だったら,力を手にできないようにムラ社会のなかで緩やかな監視を受けて生きていて,たぶんそれを本人は監視とさえ感じていないかもしれない。日本でも,ぼくが子どもの頃は「おきちがいさん」と呼ばれる人が近所にいて,それなりに近所の人々から気遣われて暮らしていた記憶があるので,逆にいえば監視の目が行き届いていたということができる。
- いかに人間工学・安全工学が進んでも,完璧なフールプルーフかつフェイルセーフな制御ができないとしたら,力を小さくすれば良いのではないか。その意味で,日本のように刃物が日常的に振り回される必然性のない社会では,刃物の流通量を減らし入手しにくくするとか,包丁やナイフ(とくに出刃包丁とか殺傷力が大きいもの)を購入するときに2人以上で来ないと売らないとかいった手立てが有効かもしれない(パプアニューギニアの村のように,生活する上でブッシュナイフが必需品であるような社会では,子どもの頃から刃物の扱いに誰もが慣れているので,包丁を振り回してもこんな大惨事にはならないと思う)。
- らい予防法が人権侵害の悪法だったのは,らい菌の感染力が弱く,かつ薬で完全にコントロールできることがわかっていたのに,過剰反応として隔離政策がとられたからであって,もしこれが致死的でかつ高率で空気感染するような疾患だったら(「ホットゾーン」の新型エボラ出血熱みたいな),完全な隔離もやむなしという選択は社会にとって十分に合理的だと思う。なぜそれが合理的かといえば,患者に罪はなくても,その体内に養われている寄生体が人類の敵だからである。
- 池田小学校事件の犯人の人権など認めなくてもいいと思うのは,小学生をテロの対象にするなんてことができるのは人類という同種の生物ではないと思うからである。敵意を持った異種が人類生存の脅威となるならば,排除もやむをえないのではないか? どこで判定するかが問題だが,行為そのもので判断するなら大過ないのではないか?
- 最後のパラグラフはちょっと言い過ぎかもしれないので,ご批判は甘受するつもり。
- と書いたら,別の視点からご批判いただいたので,薬に関する記述をちょっと変更し,追記した。
- 日本の年齢別出生力のためのデータ入力は,ほぼ完了した。後はデータを取り損ねた分を補充するだけだ。WebOpacで調べたら,動態統計は医学図書館にあるし,国勢調査の農学部になかった分も総合図書館の書庫にあることがわかったが,20:00を過ぎている現在,医学図書館は既に閉館しているので,明日行くことにしよう。
- 帰りは終電1本前。研究室を出る時間が遅めだったのと,ちょうど物凄い大雨に降られてしまって道が川のようになって歩きにくかったので,上野までタクシーに乗ってしまった。あさま563号の混み具合は普通で,4号車に空席を見つけて座ることができた。
- その車内で入力済みの分を分析したら,思った通りなかなかfitが良く,さらに面白いことに一定の傾向があるように見えた。データが抜けている分を補ってもこの傾向が変わらなければ,何か新しい発見であるには違いない。最大の利点は,こんなに単純なトレンドに分解できたというのが真実ならば,予測が可能になるということだ。ともかく速攻で論文に仕上げようと思う。
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