枕草子 (My Favorite Things)
【第553回】 またも後遺症か(2001年6月8日;2001年6月11日追記)
- いや,もちろん半徹夜の,である。往路あさま550号に乗ったが,睡魔に負けて大宮まで完全に眠っていたのだ。このままでは往復ともvaioを開かないことになり,持ち運んでいる意味がない,という半ば意地のような気持ちで,大宮を過ぎた今,vaioを開いたところである。
- 今朝はコロンビアのハイローストを淹れて魔法瓶水筒に詰めてきたのだが,もはやコーヒー摂取は眠気とはほとんど何の関係もなくなっているので,(まあ美味いからいいのだが,)睡魔には勝てなかったのだ。もっとも,顔を洗うとか目を洗うとかいったハードな方法で睡魔に勝つほど,眠ってはいけない理由もなかったので負けるままにしていたわけだが。
- この数日,人口動態統計を見たかったのだが,図書館に行く暇がなかったので,今日は,上野から研究室に行く前に直接,医学図書館に行ってしまうつもりである。
- そういうわけで人口動態統計を1950年から5年毎に見ていき,いくつかのデータをコピーしたのだが,分母が年齢各歳別有配偶女子人口であるような出生率のデータは掲載されていなかったので,年齢各歳別有配偶出生力を得るためには,国勢調査報告も見なければならないことがわかった。結構面倒だが,Hadwigerモデルをfitさせてパラメータを得るためには,そのデータが必要なのだから仕方ないだろう。食事ついでに農学部まで行くか。
- 池田市の包丁男のニュースは,本当に恐ろしい。死亡した4人の小学生(息子と同じ2年生である)の親御さんの気持ちを考えると,とても平静ではいられない。小学校の校庭などには結構ノーチェックで入れるところが普通かと思うが,こんなことがあると,警備を厳しくして,勝手に入れないようにすべきかと思う(門番をちゃんと雇って,危険物を持っている人は入れないようにするとか)。この犯人(37歳というからほぼ同年であるところが情けない)には人権など認めなくていいと思う。どう考えても人間がやることではない。薬が安直に出されすぎている現状が,この悲劇の1つの原因かもしれないと思うと,どうも精神作用に働きかける薬は入院患者以外には使えないようにすべきという考え方にさえ合理性を感じてしまう(もっとも,真に恐れるべきは精神異常ではなくて,刃物という強烈な暴力なのだろうけれど)。もちろん,社会変革なんて望めない現状では,それが極論であることもわかっているし,個の思想と近代医療思想を受け入れている日本のような社会では,慎重に薬の助けを借りてなるべく社会復帰できるようにし,病気の種類を問わずどんな患者でも自立して自己実現できるようにするのが理想的だということには同意するが。
- それにしても,小学校に着くまで,この犯人は包丁を隠していくほどの判断力があったのだろうか? もしそうでないなら,包丁を持って歩いている男を,小学校の外で誰も見咎めなかったのだろうか? なんだかやりきれない気持ちだ。
- 農学部図書館で必要な資料はだいたい揃ったのだが,昭和40年(1965年)だけ足りなかった。そもそも年度によって必要な情報(年齢各歳別有配偶女子人口)が載っている巻や分冊が違うので探索するのが大変だったのだが,昭和40年ときたら各回の国勢調査報告書等一覧を見ればわかる通り,それまで第4巻までしかなかったのが第6巻までに増えて,必要な情報が昭和35年の「10%抽出その1」を引き継いだ第5巻その1にしか載っていなかったのだ。もっとも,昭和35年の「10%抽出」が揃っているのに,昭和40年が第4巻までしか入っていないという農学部図書館の蔵書状況にも問題はあると思うが(奈良教育大にはあるようだし)。
- 気づかなかったが,WZ Editor 4.00Eアップデートが6月1日付けで公開されていた。ぼくが使っているマクロの中では,cmdexにはパッチをあてる必要があったが,他のマクロはそのまま動いたし,これでWz Memoが安全なバージョンが使えると思うと嬉しい。
- やはり子どもには,刃物をもっている人を見かけたらとりあえず全力で逃げるように言っておくべきだろう。NHKの19:00のニュースは実名報道だったし,犯人の顔写真も出していた。これはメディアもこいつは人間じゃないと判断したということだろう。死亡者は8人に達したそうで,本当に痛ましいことだと思うし,恐ろしい。自動車で乗りつけたという話で,小学校の外で見咎められなかった理由がわかった。こういう状態の人間でも運転できるというのは,考えてみればそれだけでも恐ろしい話だ。ちょっと暴論だけれども,自家用車をもつことを禁止,あるいはせめて,もっと免許を与える条件を厳しくすると,排気ガスや交通事故の軽減に役立つのに加えて,犯罪防止にも役立つのではないだろうか。いま自家用車でしか行けないような場所は,もし需要があるならパプアニューギニアやソロモン諸島のPMVみたいなマイクロバスを通せばいいのだし。
- ところで,もし自分がその場に居合わせた担任教師の立場だったらどうすべきだっただろうか,と考えると,これは難しい。自分の身だけ考えたら逃げるのが正解だと思うが,事故じゃなくて危険な敵がいるわけだから,逃げ遅れた子どもが犯人の近くにいたら,とりあえず犯人を足で蹴るか棒を使うとかするしかないだろう。相手は生物学的にはヒトなわけだし,武道の達人というわけではないし,震えていたということだから,ホームに入線してくる電車とは違って,対処は不可能ではないように思われる。それでも,気が動転してしまったらうまく体が動かないかもしれない。鈴木光司が言うように,護身術を身につけておくべきかも。
- 1950年のデータでHadwigerを試してみたら,そこそこ当てはまるようで嬉しい。これは速攻で研究ノートに仕上げて投稿しよう。ただ,Coale and Trussellが(プログラムが悪いのかもしれないが)収束すらしないのは不思議なのだが。
- 帰りは終電1本前。熊谷まで座れなかったので,日高敏隆編「水と生命の生態学」(ブルーバックス)を読み進めた。熊谷からはデータ入力の続きをしようとしている。
- 1995年のデータを入れて実行してみたら,確かに15歳のデータを無視すれば良くfitするのだが,解釈が難しいような気がしてきた。もちろん,Changes and projections of age-specific marital fertility rates in postwar Japanという方が素直なのだが,age-specific fertility ratesでfitさせる方が解釈というか意味づけは楽かもしれない。
- Coale and Trussellが収束しなかったのは,やはりプログラムが悪かったので,ちょっとプログラムを直したらきちんと収束し,1950年日本人女性の年齢別有配偶出生力にはかなりぴったりと適合するパラメータが得られた。そうとなれば,2つのモデルの比較も面白いかもしれない。しかし1974年英国データには,手直ししたプログラムを走らせても数日前と同じ結果となり,適合は悪かった。数日前も収束はしていたのだから,当然といえば当然だが。で,何か変だなあ,と思ってよくよく見直してみたら,NISRAが提供しているデータはASMFRでなく,ASFRだった。何て間抜けな。慌てて数日前の記載も訂正したが,これをアップロードするのは月曜日になるだろうから,それまでに
誤解誤った知見が広まってしまわないことを祈るのみである。
▼前【552】(好天から曇天へ(2001年6月7日)
) ▲次【554】(摘果第1回の丹霞郷往還路(2001年6月9日)
) ●枕草子トップへ