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書評:川端裕人「てのひらの中の宇宙」(集英社)

最終更新: November 14, 2006 (TUE) 11:49 読了日のメモより修正・加筆)

書誌情報

書評

一つの読み筋としては,泣ける話である。最初,がんが再発して入院中の妻をもつ男が,子供に「死」を伝えねばならないという設定だけで涙しそうになった。でも,川端が書きたいことはそこじゃなかった(たぶん)。自然と生命についてのsense-of-wonderを語りたかったのだろう。このsense-of-wonderにはたしかに興奮性と伝染性があり(レセプターがある人限定かもしれないが,レセプターがあると実に強力にやられてしまう),自然に触れ合いたい欲望をかきたてられたぼくは,本書を読み了えた翌日,息子とともに自転車で15分ほどのところにある池までガサガサをやりに行ってしまったほどだ(約10分間のガサガサで,メダカ1匹,ヨシノボリみたいなハゼみたいな底棲の魚1匹,後は数え切れないほどたくさんの,たぶんタイリクバラタナゴの稚魚が採れ,息子も喜んでいた)。

それにしてもミライ君が賢いというか,鋭いし(まあ灰谷健次郎の『天の瞳』に出てくる子供たちほどじゃないが),父親の答え方も魅力的で,負けたと思ってしまう(これも,『天の瞳』の倫太郎の祖父ほど超人的ではないが,それだけに現実感があって,より負けたと思ってしまう)。ぼくも,我が子らの発する疑問については,誤魔化したりはぐらかしたりしないで,まっとうに答えようと思っているのだけれども,本気でそれをやっていると,子供の関心が続かない。随分前に,妻から「子供が理屈っぽくなるからやめて」と言われたことがあるが,きっと,モノなしで概念を語って,しかも子供の興味を持続させるためには,相当の話術があるか,または話者自身が魅力的な人でなくてはならないのだろう。こんな語りを描き出せるということは,川端君もそういう能力があるということで,羨ましい。やっぱり,負けたかなあ。

なお,少年時代の父を示唆されている子供とミライくんが遊ぶという話は,これまでの川端作品の「理系小説」性からすると違和感を感じる読者もいるかもしれないが,小説技巧としてこれ以外にはない,ぎりぎりの線で成功していると思う。

【以上,2006年11月14日記】


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