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2012年9月のパプアニューギニア往還記

Copyright (C) Minato NAKAZAWA, 2012. Last Update on 2012年9月28日 (金) at 19:22:35.

【第12日目】 ダルーへ(2012年9月19日水曜)

もうダルーに帰るだけにしようと思っていたが,朝食後に未測定の人が3人ほど測ってくれと言ってきたので測定した。ただ,もうプリンタを取り出したくなかったので,写真は日本から送ることにした。

パイロットとの約束があるので,確実に飛行機は来るはずだが,問題はいつ来るのかがわからないことだった。カパール村のMAFエージェントのI氏に聞いてもわからないという。本部に電話をして確かめるから電話代をくれというので,カードを買う金を出す代わりに,ぼくのNokia Jazz 303に入れたSIMの番号から,彼の番号へ3Kをトップアップしてあげることにした。B君がやり方を知っていて,簡単にできた。

ともあれ,飛行機に乗り遅れることだけは絶対に避けたいので,10:00くらいから空港近くの家で飛行機が来るのを待っていたのだが,一向に現れる気配はない。11:00,12:00と時が過ぎ,その間にブユに食われたのは痛かった。空腹と喉の渇きを癒やすため,ココナツを割って貰ってココナツジュースを飲んだりもしたが,結局飛行機が着いたのは14:00過ぎだった。しかも,降りてきたパイロットが済まなそうな顔をして,本部と連絡が付かないので,これから本部に直帰しなくてはいけないので,ダルー行きは明日の早朝ではどうかなんてことを言うのだ。

一瞬の絶望に囚われつつも,ここが踏ん張りどころである。我々2人は,口々に,明日のダルーからモレスビー行きのAir Niuginiは朝早い便だし,何よりも我々は今日ダルー病院で人と会う約束をしているから,絶対に今日ダルーに行かなくてはならないのだ。キャプテン,あなただって先週はOKと言ったじゃないか,と強く主張した。先発隊の悲劇を見ているだけに,絶対にこの飛行機を逃がしてはいけない。5分くらい粘っただろうか,パイロットが根負けして,わかった,とりあえずもう一度本部との連絡が取れないかやってみるよと言ってくれて,漸く光明がみえた。それでも,2つめの周波数で漸く連絡が付いて,ダルー廻りで本部に帰ることの許可が出るまで気が気では無かった。

ダルーではホテルに連絡していなかったので,当たり前だが迎えが来ていないのだった。これからホテルに電話しようかと思っていたところ,空港に軽トラのような車で来ていた親切な人が,OK無料で送ってあげると言ってくれ,まあ空港の係官も大丈夫そうな顔をしているので,この人の申し出に甘えることにした。結果,この人は本当に親切な人だったのだが,車がオンボロというか,悪路にさしかかる度にエンストを起こすので困った。

漸くホテルにチェックインし,冷たいソフトドリンク(たしかオレンジマンゴーソーダだったように思う)を飲んで一息ついてから,すぐに病院に向かった。往路N氏に頼んだ伝言と書類がまだAL医師に渡っていなかったことには愕然としたが,代わりにSP医師を紹介してくれ,彼から必要な情報を得ることができて助かった。旧知の看護師Lさんはまだモレスビーから帰ってきていなかったが,彼女の家を訪ねて,どうやら膝の調子が悪いので検査入院らしいということがわかった。

昼飯はスーパーで買ったビスケットで済ませた。スーパーではカップ麺も買ってしまったのだが,それは食べきれなかったので,ポートモレスビーまで持っていくことにした。

夜はSP医師だけが来てくれたら良かったのだが,N氏ともう一人正体不明な男性がホテルに食事に来たので3人分払ってあげることになってしまった。とはいえ,SP医師は役に立ちそうな資料をCDに焼いて持ってきてくれたし,食事中に相談しながらvaio-saでMOUを打ち,SP医師と契約を取り交わすことができたのはラッキーだった。これで懸案がすべて解決した。

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