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2013年9月のパプアニューギニア往還記

Copyright (C) Minato NAKAZAWA, 2013. Last Update on 2013年9月23日 (月) at 14:02:50.

【第8日目】 カパール村での調査(2013年9月19日)

現地時刻7:00起床。朝食は芋スープとご飯だったか。

村人の中にはいろいろな人がいる。去年の調査時には重機操作の訓練中でマダンにいたEさんもその一人だ。長く伸びている村の丁度真ん中付近に,去年はなかった巨大な集会場があって驚いたのだが,今年初めに帰って来た彼が若者を指揮して作ったそうだ。壁はこれから作るそうだが,凄く立派な柱12本の上にトタン屋根が乗っていて,雨は避けられるし風は通るので,壁が作らない方がいいんじゃないかと思った。朝はまず今年の選挙で村長になったばかりのP氏のところに行って,この集会場を借りて調査をさせて貰う許可を得た。カパール村集会所での先発隊による生体計測風景

調査といっても,ぼくの調査内容は30年前に故・鈴木継美先生が調べて論文にした伝統医療のフォローアップだし,先発隊の調査内容は活動記録と生体計測なので,当然二手に分かれることになる。先発隊もカパール滞在は短いので,活動記録は行わず,昨年との比較やウィピム村との比較を目的に,学童の生体計測をすることになった。独立記念日の週とその次の週は2週間連続で学校が休みなので,学童は基本的に暇で,何か変わったことをしているとわらわらと集まってくる。彼らの仕事は順調にスタートしたようだった。それを見届けてから,ぼくは集会場の反対側に大人を集めて,伝統医療として使われている薬草や技術を細かく聞き取っていった。困ったのは,30年前の調査になかった薬草がいくつか出てきたことだった。これは30年前の聞き漏らしなのか,その後新しく使うようになったものなのか(グァバなんかはそうだと思う。民間医療とはいえるが伝統医療とはいえないだろう),区別が難しい。彼らは昔から使っているというが,どれくらい昔なのかがわからない。自生しているものは伝統的に使われてきたと考えていいように思うが。ともかく,30年前に出てこなかったすべての薬草について,後でブッシュに入って教えて貰うことにした。

一通りグループインタビューが終わったところで昼になった。先発隊も測定を中断し,皆で昼食をとった。たしか昼も芋スープとご飯だったと思う。インスタントコーヒーを飲んでから,午後の調査を開始した。ぼくはB君に案内して貰ってブッシュの中へ。写真だけでは植物名を記録できないので,LUMIX-TZ7の特徴である音声入りの動画撮影をしながら静止画も撮れるという機能を活用した。結構バッテリーを食うのだが,1時間くらいなら大丈夫だった。最後2種類だけ見つからない植物があったが,ぼくが疲れ切ってしまったので,B君が探して持ってきてくれることになった。

村に帰って,ボーッと先発隊の生体計測を眺めていたら,マダン帰りのEさんがやってきて,明日は自分もダルーに行くから一緒の便だな,という。彼は重機操作のライセンスを持っているのだが,いま仕事がなくて求職中なのだそうだ。けれどもダルーに行くのはそのためというよりは,彼の近い親戚の若者がダルーの病院で亡くなってしまったので,遺骨を村に運ぶ手筈をつけるためらしい。飛行機では運べないのか,誰かがディンギーとトラックを乗り継いで100キナかかるという話をしていた。翌日のことだがカパール村でも遺骨運びと埋葬のための資金カンパがあって,数枚の2キナ紙幣の下に10トヤ貨幣や20トヤ貨幣がたくさん入ったボールを持った人が村の中を歩いていたので,ぼくも2キナ紙幣2枚だけ出しておいた。こういう場合は蛇に噛まれた人を救急で運ぶ航空運賃とは違って,全額出してしまうのは逆に良くない。別に明文化されているわけではないが,そういうルールなのは,日本でも同じだと思う。

16:00頃には調査を終了し,水浴びをしてから休憩。晩飯も芋スープとご飯だったと思う。ブッシュを歩いたせいか疲れ切っていたのと,明日の飛行機が7:30だとかいう話なので,早めに眠った。

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