神戸大学 | 医学部保健学科・大学院保健学研究科 | SDHE Lab. | フィールド紀行 | Top

2013年9月のパプアニューギニア往還記

Copyright (C) Minato NAKAZAWA, 2013. Last Update on 2013年9月23日 (月) at 14:02:50.

【第9日目】 待ちぼうけ(2013年9月20日)

現地時刻7:00起床。荷造りをしてからコーヒーを飲み,MAFのエージェントのところに行って荷物と体重を計量し,料金を払ってから飛行場に向かった。8:00頃着いて,若者たちの記念写真を撮ったりしながら,最初は普通に飛行機を待っていた。

しかし,待てど暮らせど飛行機はやってこない。エージェントも飛行場に来ない。喉は渇くし,周りにはエスコート役の少年が何人かいるだけなので,何もすることがない。喉の渇きに耐えかねて,途中でココナツを獲りに村に戻ったが(昼飯はココナツジュースと,皮を剥いで持ってきた若いココナツの中身だけ),集団猟をやるからといって,B君も昼前にはそっちに行ってしまった。それでもなお,一縷の望みをかけて飛行場近くの家の軒下で待ち続けていたのだが,16:00過ぎ,少年たちも諦めたら? と言い始めた頃,エージェントからの今日のフライトはないという伝言をもった男がやってきて,E氏と2人,村に戻るしかなかった。

先発隊2人は,昼頃,無事にルアル村に向かったようだ。トラックで行ったので,まあ楽に着けただろう。

B君の家の脇で悄然としていたら,隣の家の女性がふかした芋をくれた。Eさんと2人で食べたが,実に美味だった。喉が渇いていたのであまり大量には食べられなかったが。

暫くするとB君が,自分は何も獲れなかったが,村全体では大猟だったと言って帰って来た。鹿3頭と,無数のワラビーが獲れたそうだ。話の途中でMAFのエージェントがやってきたので,E氏と2人で,明日のフライトをコンファームしてくれと言って詰め寄った。例によって通話料が残っていないというので,逃げられないように,じゃあぼくの電話から通話料を10キナ分移してやるから,その場でマネージャーとパイロットに連絡しろと言って,電波を受信できる場所に行った。パプアニューギニアのDIGICELという会社のSIMカードでは,*128*相手の番号*移したい通話料#でダイヤル発信し,問い合わせに対してAnswerで1を返すと,10キナを移すときは30トヤの手数料で通話料が移せるのだ。村人の中にはこの仕組みを使って多少上乗せしてトップアップサービスをすることを商売にしている人もいる。通話料を移すのは簡単にできたので,後はエージェントが連絡を取るのを待つだけだ。ついでにGmailを受信したが,緊急の連絡はなかったので,日本に残っているチームリーダー宛に,今日ダルーに戻るはずだったけれども飛行機が来なかったので明日に延期というメールを打っておいた。空港に迎えに来てくれるはずだったダルーのLさんにも同内容のショートメールを打ったら,すぐに,B君から電話が欲しいという内容の返事が来た。そうこうするうちにエージェントにマネージャーからのショートメールが来て,明日は飛ぶから飛行場で待っているように書かれていた。パイロットと連絡がつかなかったのは多少不安だが,Eさんもぼくも,それで妥協することにした。

せっかく一晩長くいることになったのだから,追加で聞き取りをすることにした。B君はハンティングで疲れがある様子だったが,つきあってくれてありがたい。日が暮れてからだと,村の中を歩いていてもわりと涼しくて,蛍が飛んでいたりしていい感じだ。途中,去年は村の運営委員の1人だったS氏一家と出会って,feastに招待された。独立記念祭が無事に終わったことを祝う会食だそうだ。去年は運動広場で行われたのに参加したが,今年は集会場があるのでそっちでやるという。昼のハンティングはこのためだったのか,と今更ながら気づいた。怪我の功名というか,飛行機が来なかったおかげでfeastに参加できるのは嬉しい。独立記念日祭りの無事終了を祝う食事会

追加聞き取りが終わる頃に,ちょうど電波が届く場所に来たので,B君がLさんに電話した。サゴをもってきて欲しいとのこと。運賃が20キナかかるが,それくらいは問題ないので,サゴを用意してくれればもちろんOKだと答えた。帰宅後,feastは遅くなるだろうし,今日はろくに食事をしていないから軽く食べておこうとB君が言うので,ラーメンとサゴで軽く腹を満たした。2人で集会場に行ったら,村中の人が集まっていて,ここで一斉聞き取りをしたら効率いいなと思ったが,さすがにそんな雰囲気ではなかった。B君の長兄であるS氏が提供した発電機を使って蛍光灯がつけられていたが,携帯電話を便乗充電している人が何人もいるのが面白かった。B君がS氏を見ながら,そういえば今年4月だったか5月だったか,隣のビスワカと呼ばれる人たちが自分らの土地に侵入して勝手に使おうとしたので戦闘になり,S氏と次兄のI氏が活躍して何人か病院送りにしたなあ,などと恐ろしいことを言う。確かに筋骨隆々で強そうなS氏とI氏なのだが,本当なんだろうか。そういうとき,村に5人いるという警察官はどうするんだろう。きっと一緒に闘ってしまうんだろうなあ。

手分けして調理した肉を持ち寄ったものが前の方に並べられていて,村長の演説(誰も聴いていないようだった)の後でそれを世帯数分の皿に分配するのだが,物凄く手間が掛かって,結局feastが始まったのは21:30過ぎ,眠ってしまった子供も多かった。B君の判断は正しかった。S氏から貰った一皿を食べおわったら22:00を過ぎていたので,まだfeastは途中だったが疲れたのでごめんと言ってB君の家に戻って眠った。

前【第8日目】(カパール村での調査(2013年9月19日) ) ▲次【第10日目】(ダルー帰還(2013年9月21日) ) ●2013年9月のパプアニューギニア往還記インデックスへ


Correspondence to: minato-nakazawa@umin.net.

リンクと引用について