枕草子 (My Favorite Things)

【第128回】 長野で不思議に思ったこと(1999年4月8日)

昨夜長野駅に着いたら粉雪が降っていて,今朝もその名残か雪の中を自転車で長野駅へと向かう羽目になった。青空が見えるのに,という以前に,何で4月なのに,雪に降られねばならないのか。上野の桜はもう盛りを過ぎたが,家の近くの城山公園の桜はまだこれからである。1日のうちに2つの季節を毎日体験することができて,得をしたような。丈夫なのか鈍感なのかしらないが不思議と体調は壊れないし,却って調子がよいような気さえする。

…などと思いながら上野に着いたら,上野も今朝は寒かった。俗に言う「花冷え」というやつか。今日はすばらしく良い天気で,長野を出てすぐ富士山が見え始め,雪を頂いた美しい姿がくっきりと見えたので,きっと放射冷却が起きたのだろう。高崎,大宮と近づくに連れて大きく見えるようになってきたのだが,赤羽あたりから急に見えなくなってしまったのはなぜだろうか。高いビルが乱立しているせいもあるが,空気の汚さも原因の一つだろう。

ちなみに,長野−上野の新幹線定期は1ヶ月で164,850円である。Viewカードで購入したせいか1000円分のオレンジカードをおまけにもらったので,実質163,850というべきかもしれないが,高いのは確かである。まだ出ていないので正確にはわからないが,通勤手当は上限が5万円だそうなので,仮に上限いっぱい貰えたとしても,少なくとも給料の3分の1は交通費に消えていることになる。共稼ぎでないととてもできない所業ではあるが,逆に言えば共稼ぎでないならここまで極端な遠距離通勤をする必要もないのだよな。

まだ引っ越して間がないので,環境が違っていて戸惑うことが多い。上に書いた,自然環境が違うことの他にも,文化が違うということを折に触れて感じる。文化人類学では,なぜどう足掻いても現地の人以上にそこの生活を深く理解できる筈もない外国の研究者がフィールドワークなんかする意味があるのか,というと,現地の人には自然すぎて意識化できないことを,自文化と(無意識にせよ意識してにせよ)対比することによって,明確に抽出することができるからであるとされる。いろいろあって文化人類学という学問には反発を感じることが多いのだが,この点にだけは概ね同意する。長くフィールドに滞在しないとできない発見もあるが,現地に慣れ親しんでしまうと気づけなくなってしまうこともあるのだ。

そういうわけで,前振りとしてはちょっと大袈裟だったかもしれないが,長野市と文京区では大きく違うことが少なくとも1つあることに気づいたので書いてみる。これまであまり指摘されていないことと思うが,実は,長野市にはコインランドリーがほとんどないのだ。引っ越してすぐに洗濯機を買いに行ったのだが,配送が混んでいて3日間は洗濯機なしで過ごすことになり,つい東京の感覚でコインランドリーで洗おうと思ったらなかったというわけだ。徒歩15分ほどのところに1つ古びたコインランドリーがあるのだが,輸入物の,図体が大きいわりに5 kgまでしか洗えない洗濯機が5つほど並んでいるだけで,しかもそのうち1つは壊れており,さらに値段が1回400円もするのだ。それ以外は皆無なので仕方なくそこを使ったが,正門を出て本郷通りを渡って右に徒歩1分のコインランドリーで4.5 kgステンレス漕のが1回200円であるのに比べると明らかに高い。きっと長野市の人はみんな1軒ずつ洗濯機をもっているのだろう。文京区ではコインランドリーは大抵の銭湯に併設されている他にも何軒もあるが,長野市内ではそもそも銭湯というものにまだ巡り会っていない。きっと長野市の人はみんな1軒ずつ風呂があるのだろう。まあ場所が広くて水もおいしいから当然のこととは思うが。

面白いのは,逆にクリーニング屋が異様にたくさんあることである。徒歩5分圏内に10軒はあると思う。理由は不明である。長野市の人は身だしなみに気を使うのだろうか。それともクリーニング屋のニッチが違うのだろうか。実に不思議である。他の業種についてはあまり文京区と差がないように思うのだが,コインランドリーと銭湯とクリーニング屋の軒数の差は,彼我の(って今のぼくにはどっちも「我」なんだが,これは地域を主体としてみた場合の彼我と読みとられたい)生活条件の差を想像させて,なかなかに興味深い。


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