山口県立大学 | 看護学部 | 中澤 港 | 公衆衛生学

公衆衛生学−6.国際保健

参照

▼テキスト第11章(次回へ

▼参考文献:日本国際保健医療学会編「国際保健医療学」(杏林書院,2001年)

内容

国際保健とは
●いわゆる途上国の健康問題を扱う学問分野。途上国が熱帯に多いため,熱帯医学の研究者が創始。医療人類学者も参加。当初は素朴に,衛生・公衆衛生が発達した先進国から,途上国への援助の仕方を考えるという立場だったが,実はそんなに単純な話ではうまくいかないのだということが徐々に判ってきた(だから,テキストに書かれていることは,ある意味では表面的なのだが,現状の説明としては適当なのだろう)。
●日本国際保健医療学会編「国際保健医療学」(杏林書院,2001年)のp.2にある,『全世界的な立場でみた場合に,健康水準,保健医療にみられる国,地域別な違いや格差が,どの程度以上であれば容認し難いと考えるか,そのような違いや格差が生じたことにはどのような要因が関連しているか,さらにそれを容認できる程度にまで改善するにはどのような方策があるかを研究し,解明する学問を国際保健医療学と定義したい。』という島尾忠男の書き方は,かなり本質的である。ただ,改善方策は適正技術でなければならず,それが対象地域の文化的背景から受容されうるものかどうか,対象地域の人々の生活の質を総合的に見て高めることができるものかどうか,文化の固有性を破壊しないものかどうか,つまり先進国の視点からみた押し付けによる文化的侵略になっていないかどうか,という点を一歩引いてみることもまた大事である。
○この辺り,篠田節子「ゴサインタン[神の座]」(双葉文庫:税別857円:ISBN4-575-50732-6)という小説を読むと,いろいろ考えさせられると思うので,一読をお薦めする。
●国際保健が重要になってきたのは,経済のグローバル化と関連している。金や物だけではなく,人も病原体や媒介動物も動くようになった(媒介動物の分布の変化は地球温暖化を含む環境変化とも関係がある)ことで,途上国での問題はそこに閉じたものではなく,先進国に暮らす人々の問題にもなってきていることを考えるべきである。多くのプエルトリコ人が米国に移民しているように,経済の不均衡が続けば途上国から先進国への移民が増える可能性は高い(多くの先進国では高齢化が進んでいるので労働力不足からも移民を受け入れる可能性はある)。
●語義的には「国際」はInter+Nationalだから,「国家間の」という意味。しかし,国際保健の視点は,国家間の関係にとどまらず,WHOなどによる世界全体を視野に入れた活動や,NGO(Non-Governmental Organization; 非政府組織)やNPO(Non-Profit Organization; 非営利組織)による民間の活動を含め,国境というボーダーを超えた活動すべてを含むものである。
人種と民族と国
●テキストに書かれている「人種(race)」の説明は,やや偏っている(有力な仮説を単純化して説明したものに過ぎないし,p.310で米国とインドネシア共和国に与えている説明はマイノリティを無視していてまずいと思う)。もう少し丁寧に説明しておく。
●現生人類の進化には,大きく分けて3つの仮説がある。アフリカ単一起源説(キャンやウィルソンなど現生人類のDNAを材料とする集団遺伝学者が提唱し,現在最も主流の仮説),2地域進化説(国立科学博物館の馬場悠男が提唱している仮説),多地域進化説(ソーンやウォルポフなど化石を材料とする古生物学者が提唱している仮説)である。いずれにせよHomo erectusがアフリカから世界中に散らばったところまでは共通。単一起源説では原人や旧人はすべて絶滅し,現生人類は古くても20万年くらい前(もっとも新しい方に見積もった論文では数万年前)に出アフリカした人々の子孫だというのに対して,多地域進化説では100万年以上前に世界中に広がったHomo erectusも生き残り,各地で混血が進んだはずだとするものである。馬場の2地域進化説は,アフリカとヨーロッパでは単一起源説に近い状態だったが,アジアでは多地域進化説に近い状況で混血が進みながら進化が起こったとするものである。ミトコンドリアDNAからだけでなく,核DNAの分析からもアフリカ単一起源説を支持する証拠がいくつも出てきたので,それが有力になっているわけだが,遺伝子の近縁度から最節約原理に基づいて系統を復元するという分岐分析の手法に対して,正しい系統樹が得られるブートストラップ確率が提示されていなかったり,それが低すぎるという批判もあり,まだ決着していない。わかりやすい概説書としては,馬場悠男編「現代人はどこからきたか」,別冊日経サイエンス,1993年を参照。
●現生人類は1つの種である(実は種にも実体がないという議論もあるが,ここでは立ち入らない)。生物学的種概念の中には,同種の条件として生殖的隔離が成立していないことがあり,その意味で,多少皮膚の色が違っていたり,遺伝的多型の頻度が違っていたりしても,人類は同種の生物である。遠く離れた他の土地の住民に援助や指導をする合理的理由付けとして,同じ人類だからという理由は,最も本質的なものの1つであろう。
●民族(ethnicityまたはethnic group)は,言語,宗教,価値観など,文化を共有し,婚姻に関しても概ね閉じている集団をいう。同じ言語を話す人々を中でも言語族という。パプアニューギニアには人口は450万人くらいしかいないが,約800の言語族がある。テキストには「ある個人がどの民族に属するかを決めるのは,最終的には本人の申し立てによる」と書かれているが,その申し立ては自由にできるのではなく,社会的規制を受けることに注意すべきである。
●地域社会の生活は環境条件の制約を受ける(詳しくは第8回に補足する)。自然環境条件が自然植生に制約を与え,自然植生は動物相を規定するため,伝統的な食生活はその自然環境条件によってだいたい決まっていた。現在では経済と情報のグローバル化と低コストの物流によって,伝統的な食生活は破壊されているところが多い。
●異なる文化をもった人々の社会と接触するためには,自然環境,文化,言語,歴史,宗教といった情報を知っておくことは重要である。もっとも,文献資料を信じすぎるのも危険であり,接触しながら認識を改める余地は常に残しておかねばならない。
情報入手と調査について
●具体的に情報を入手する方法としては,大使館に問い合わせるとか文献資料を読む他に,webで検索するのも悪くない(新しい情報や個人の体験などの文献に載りにくい情報も得られるのは利点である)。例えばJICAのウェブサイト(http://www.jica.go.jp/)内には,http://www.jica.go.jp/ninkoku/index.html(国別生活情報)というページがあって,大雑把な予備知識を得るのには役に立つ。
●実際に海外で援助や調査をする場合の手続きに関しては,先方から依頼された場合や,国家間の援助である場合は比較的簡単だが,民間援助の場合や調査の場合は調査ビザを得るのが難しい場合も多い。テキストには『カウンターパートを決める必要がある』とさらっと書かれているが,それもなかなか難しい。参与観察が許されない社会も多い。言語も事前に学べるとは限らないので,通訳を雇うこともあるが,その場合でも現地の教育を受けた人の多くが話せる言語は使えた方がいい。具体的にはメラネシアならピジン,アフリカならフランス語,南米ならスペイン語が話せた方がいい。もちろん,最低でも英語は必須である。
●なお,純然たる調査を目的としたフィールドワークと違って,援助の場合は予め外枠や目的が決まっている場合が多い。外枠そのものが対象者のためにならないと思われた場合にどうしたらいいかということは,難しい問題である(往々にして起こりうる)。
途上国の健康問題と対策
●テキストには急速に健康転換(疫学的転換とか疾病構造転換ともいう,Omranが提唱したepidemiologic transitionのこと)が進行しつつある,と書かれているが,そうなるとは限らない。感染症は薬剤耐性病原体の出現などにより一定の水準よりは下がらないまま,高脂肪・高カロリーの輸入食品を摂ることによって糖尿病や高血圧や心疾患は増えてくるかもしれない。
●一般論としては,途上国への保健医療援助は,たしかに母子保健と感染症対策が中心となっている。図11-5のような悪循環が起こるのを防ぐには環境衛生と医薬品の導入と同時に家族計画も導入すべきであるという議論は,正しいことは正しいかもしれないが,果たして現地の人々を幸せにするのだろうかと問い直すと,必ずしもそうとは限らない点が難しいところである。とくに宗教とからんでくるので,physical healthとspiritual healthが両立しない局面でどうするかという問題には正解はないように思われる。
●もっとも,基本的には適正技術とPHCが大事なのは当然である。
●もちろん,先進国と途上国の関係は協力と援助だけではない。AIDSやマラリアにおける高価だったり(そもそも,普通,薬価は国によって違うのだけれど,例えば抗HIV薬の場合はタイで国内開発された薬と日本で普通に使われている薬では桁が違う)副作用が大きかったりする薬の有用性がもたらす問題は,知的所有権の問題や製薬会社が新薬を開発するときにかかるコストの問題を考えると複雑。
日本の保健医療の国際協力
●交流(collaboration)とは,情報・技術・人的な双方向の流れを通して,互いに利益をえることをいう。協力というときは,先進国が途上国に資本や人や技術を提供して途上国の自助努力を促し,民生の安定と発展に寄与しようとするものをいう。戦後の日本の発展は,多くを戦勝国からの援助によっていた。日本は1954年のコロンボプラン加盟から協力する側に入り,1980年代には世界でもトップクラスの援助額を出すようになった。
●交流や協力は多国間(通称multi)と二国間(通称bi)があり,資金の出所によって以下のものがある。
●政府の体制としては,厚生労働省の大臣官房にある国際課がWHOやILOなど国際機関との窓口。国立国際医療センターには国際医療協力局と研究センターがあり,派遣だけでなく,途上国からの研修生受け入れなどの交流事業を行っている。
●理念と実情が合わないことは起こりうる。アフリカや南米やオセアニアには立派な偏光顕微鏡が並んでいながら電源が確保できないために使われないとか,壊れたのに修理できなくて朽ちているランドクルーザーとかいったものが,かなり存在する。現地の人が使えて現地の人がメンテナンスでき,現地の経済力で維持可能な支援(それが適正技術ということである)をしなくては意味がない(緊急の場合を除く)。難民キャンプでの食糧援助は餓死を防ぐことができるが,難民の状況がそのままでは回りの植生が薪として刈り尽くされ,増えた人口が食糧生産の手段をもたないままに援助の需要を押し上げるので悪循環に陥る危険がある。対症療法はあくまで緊急避難的に使われるべきである。
●国際経済格差がもたらす構造的な問題としては,大型構造物を作る支援は,搾取になる危険を孕んでいる。とくに無償供与でなく,有償の援助をする場合は注意が必要である(相手国が債務を負うのだから)。パプアニューギニアやソロモン諸島の州の中央病院や飛行場の多くは日本のODAによる援助を受けてつくられているが,それを受注できる企業が現地にないために,ほとんどの場合,日本のゼネコンが受注している。この場合,金は日本の政府あるいは半官半民の事業体から,日本のゼネコンへと流れるだけである。これでは公共事業を外国でやっているようなものである。最近では現地の人も雇用することが義務付けられたりしているが,日本人と現地人の間には大きな賃金格差があるのが普通である。それでも,中央病院や飛行場は現地の人にも役に立っている(という人が多い)からまだいいが,現地側のニーズがつかみきれずに行われた援助の場合,ひどい例では(保健医療ではないが),大臣が自分の妻の出身地に思いつきで5億円もかけてワニの養殖場を作ったけれど,ワニが売れなくて収益が上がらず,洪水被害を受けたのをきっかけに閉鎖された,というようなこともあった。
●つまり,大事なことは,現地の人々のニーズをつかんで,適正技術によるきめ細やかな(できるだけ大規模でなくて済むような)支援や協力を行うことだと思われる。その意味では,保健医療援助でも,箱モノをつくることよりも,現地の医療スタッフを教育するような支援が重視されるようになった昨今の傾向はいいことである(不況の副産物かもしれないが)。もちろん,その教育が本当に現地の状況に適合したものになっているかどうかということは,常にチェックする必要がある。
国際機関による国際保健の歴史的展開
●1948年4月7日「世界保健デー」にできたWHOの役割は重要である。
●アルマ・アタ宣言=プライマリヘルスケア(PHC)
●オタワ宣言=健康増進政策
●国連はBasic Human Needsの充足を目指し,1970年から社会開発支援活動を展開している。
●他にUNICEF,OECDなど

Correspondence to: minato@ypu.jp.

リンクと引用について