山口県立大学 | 看護学部 | 中澤 港 | 公衆衛生学

公衆衛生学−7.疫学・疾病予防学

参照

内容

疫学とは
●疫学とはepidemiologyの訳語である。テキストには『人間集団における疾病の分布とその発生原因を研究する科学』とあるが,ややシンプルすぎると思う。以下に挙げる他の定義を参照すると,分布だけでなく頻度も含むべきだし,疾病と限定せず「健康に関する」と広く捉えるべきだといえる。対策まで疫学に含めて考えるべきかどうかは意見が分かれているが,目的を考えれば対策も視野に入れておく必要は当然あるだろう。
●予防医学の研究と実践に必須の理論と方法を提供する学問である。
●臨床医学との対比:臨床医学は個人を対象とするが,疫学は集団を対象とする。
●有名な疫学研究
疫学研究のフレームワーク
●"5-W-Bridge":疾病について,いつ,どこで,誰が,どんな病気に,何故罹ったかを明らかにできれば,原因も突き止められるということ。そのために必要な手順として,
  1. 疾病分類の明確化:共通の分類基準が必要。
  2. 調査対象または調査資料の選択:どういうデータを使うか?
  3. 調査すべき疾病量の把握:集団における疾病罹患状況を示す指標の性質を把握する。
  4. 調査方法の選択:記述疫学か分析疫学か介入研究か?
  5. 調査の実施と結果の分析:基本的に統計学を利用する。
  6. 結果の解釈と評価:因果関係の判断は難しい。
●以下,これらの手順について個別に説明する。
疾病分類
●疾病分類とは,ある一定の基準により疾病を分類する体系である。疾病の単位を明確にし,異なる調査結果を比較することを可能にするという効果をもつ。すべての疾病について漏れが無く重複もないのが理想。
●国際疾病分類(International Classification of Diseases=ICD):WHOの前身である国際会議(注:テキスト「シンプル衛生公衆衛生学」には「WHOによって」と書かれているが,WHOは第二次世界大戦後にできた国際連合の専門機関の1つだから,こう書かないと厳密でない)の協議により1900年に制定され,約10年毎に改定され,1995年から第10回修正国際疾病分類(ICD-10)が使われている。ICD-9では4桁(3桁+小数点+1桁)の数字で分類されていたので,最大でも9999種類しか分類できなかったが,ICD-10では最初の文字をU以外のアルファベットにしたので最大24999種類まで分類できるようになった。実際の項目数も約7000から約14000に倍増した。既存資料に基づいて死亡率や罹患率の長期的な変化を調べるときは,分類に使われているICDの回の違いによるカテゴリの違いの影響を受けないように工夫する必要がある。この細かい分類を基本分類といい,それに対して,とくに死因に対しては,個々の疾病を約130項目にまとめた死因分類というものを用いるのが普通である(ICD-9では死因簡単分類と呼ばれた)。国連やWHOの統計資料は基本分類でなくて死因分類や死因簡単分類でまとめられているのが普通である。
●死亡診断書:人口動態統計データを利用する上では,その元になる死亡診断書の内容を把握すべきである(テキストp.27,図2-1を参照)。人口動態統計に死因として記載されるのは,周産期死亡を除き原死因であることに注意(それでは不都合な場合はある一定の準則により修正される)。
どういうデータを使うか?
●調査をするにせよ,既存資料を使うにせよ,まずリスク曝露人口(population at risk)の特定が必要。リスク曝露人口は疾病の程度を示すための分母となる。例えば,子宮ガンでは女性全員。国民全体を対象とする場合は,国勢調査による日本人口を使うのが普通。厳密に考えれば7月1日時点の人口を年央人口として使いたいところだが,国勢調査では10月1日時点の推計人口が提示されるので,それを年央人口として使うのが普通である。人の出入りが激しい場合は,人口を使う代わりに人年を使うことがある。また,厳密なリスク曝露人口の把握が困難な場合は,別の測定しやすい値で代用することもある。
●調査をする場合:全数調査(悉皆調査)か標本調査か。標本調査の場合は標本抽出の方法が問題(いかにもとの集団[=母集団]から,うまく代表性のある標本を抽出するか? ということ)。標本抽出の方法には,といったものがあるが,費用と目的と外的制約条件を考え合わせて適当な方法を用いるべきである。
●既存資料を使う場合:どのように実施された調査の結果を,どのような指標を使ってまとめた資料なのかという点を吟味して扱う必要がある。
さまざまな疾病指標の特性
●混乱しやすいところなので,紛れのない考え方を説明しておく。まず,率(rate)と比(ratio)と割合(proportion)を定義する。率は速度(単位時間当たりの量)なので,次元がある(敢えて表記されないことも多いが,時間の逆数が単位についている)。比と割合は,同じ単位の値を割り算するので,無次元である。比は分母が分子を含まないのに対して,割合は分母が分子を含んでいる(テキストでは相対頻度という言葉が使われているが,普通,英語ではproportionという)。率比(rate ratio)という言葉が出てきたら,多くの場合リスク比(risk ratio;テキストには「相対危険度」と書いてあるが,リスク比という言葉の方がいい)を指すと思っていいが,厳密にいえば率比は率(例えば罹患率など)の比であり,リスク比は全体の中で病気になった人数としてのリスク(累積罹患率ともいう)の比であることに注意。
●死亡率(mortality rateまたはdeath rate)は,ある一定期間に発生した死亡数をその期間を代表する人口で割った値である。例えば,1年間に発生した死亡数を年央人口で割って10万を掛けた値が粗死亡率である。この場合の分母は,実は年央人口が1年間死亡リスクを受けた中で,という意味になるので,出入りが激しい場合はもっと細かく分母の人年(人月とか人日で計算して人年に換算する)を計算すればいい(テキストp.39表2-5を参照)。
●伝統的にincidenceの訳語は「罹患率」となっているが,incidenceは「発生」とか「生起」を意味するので,incidenceはincidence rateの意味で「発生率」または「罹患率」である,とする方が紛れがない。ある一定期間に新たに発生した患者数をのべ観察期間で割った値である(期間を代表する人口が取れれば,分母を代表的な人口と観察期間の積にしてもよい)
●伝統的にprevalenceの訳語として「有病率」が使われているが,prevalenceは割合であって率ではない。prevalence rateという書き方は論理的におかしいし,かつては使われた用語なのだが,積極的には使わない方がいい。間違えないようにするには,prevalenceは有病割合であると覚えればいい。有病割合とは,ある1時点において,対象人口全体のうち,病気の状態にある人が占める割合である(これとは別に期間有病率というものもあるが,あまり有用でないので無視する)。
調査方法のいろいろ
●大きく分けると,観察的疫学研究か,介入研究かという分類がある。前者は記述疫学と分析疫学に分かれる(介入研究もある意味では分析疫学といえる)。一般に,どんな研究でも,まず現状(疾病の頻度と分布)の把握は必要なので,記述疫学は必須である(ただし,必ずしも「シンプル衛生公衆衛生学」に書かれている全項目を網羅しなくてもいい)。その後観察的研究で分析するのか,介入するのかということになる。介入は対象者への影響が大きいので,観察的研究によってかなり要因が絞り込めてから,その効果を定量的に評価したい場合になされるのが普通である。
●詳しくは疫学研究の方法論(http://phi.ypu.jp/rm_epidemiology.html)を参照されたい。
調査の実施と結果の分析
●指標の標準化(調整):疾病指標を異なる集団間で比較する際には,普通,集団によって年齢構造が異なることの影響を取り除くために,年齢によって層別して重み付き平均にした調整値を用いる。調整には直接法(年齢による層別に計算した指標値を基準人口の年齢別人口で重みをつけて平均)と間接法(基準となる年齢別指標値を対象集団の年齢別人口で重みをつけて平均して対象集団全体の指標値を割った値[死亡についてなら,これは標準化死亡比となる]を対象集団全体の指標値に掛ける)がある。直接法の方がわかりやすいが,間接法の方が対象集団について必要なデータが少ない(テキストp.40〜p.41の表2-6と表2-7参照)。
●疾病に関連がある要因の分析には,リスク比とオッズ比という考え方が良く使われる。疫学研究で本当に知りたいのはリスク比や率比で,患者対照研究(調査時点で患者を何人サンプリングすると決め,それと同じ人数の対照[病気でないことだけが患者と違って,それ以外の条件はすべて患者と同じことが望ましい]を選んで,それぞれが過去に受けた曝露要因や,現在の生活習慣,態度などを調べることによって,その病気の原因を探る方法論)や断面研究(調べてみないと患者かどうかさえわからないような場合や,因果の向きがはっきりしない変数間の関係を見たいときに,全体で何人サンプリングすると決めて一時点で調査する)でオッズ比を計算するのは,リスク比の代用としてである。コホート研究(多くは前向き研究)で得られる寄与危険度(attributable risk)という指標は,寄与危険度割合(その要因を取り除くとどれだけの割合の疾病や死亡が減るか)を求める際に役に立つ。

病気のリスクといえば,全体のうちでその病気を発症する人の割合である。一方,病気のオッズといえば,その病気を発症した人の,発症しなかった人に対する比である。リスクとかオッズそのものでは,病気の発症と要因の有無の関係はわからない。要因があった場合のリスクやオッズを,要因がなかった場合のリスクやオッズと比べることによって,初めて要因の有無と病気の発症がどれくらい関係していたか(その要因が病気の発症に対してどれくらいの効果をもっていたか)がわかる。すなわち,ある要因をもつ人たち(曝露群)の病気のオッズが,その要因がない人たち(対照群とかコントロール群というの病気のオッズに対して何倍になっているか,というのがオッズ比(英語ではOdds Ratio)である。同じように,曝露群のリスクの,対照群のリスクに対する比がリスク比(Risk Ratio)である。要因の有無と病気の有無がまったく関係がなければ,リスク比もオッズ比も1になることが期待される。

(具体的な計算は,統計学第7回講義資料[http://phi.ypu.jp/statlib/l07-2003.pdf]を参照)
●なお,統計学全般については共通教育の方の講義(http://phi.ypu.jp/stat.html)を受けられたい。
結果の解釈と評価
●疫学研究で明らかにしたいのは,本当は因果関係である。疾病という結果をもたらす十分条件のセットとしての構成要因群(Component Causes)を捉えたとき,そのうちどれが十分条件を構成する最小の要因群なのか(Sufficient Causes)ということが明らかになれば,Sufficient Causesの1つをなくすことによって疾病を予防できるからである。しかし,現実にデータからわかるのは多くは相関関係に過ぎず,相関関係があっても,因果関係があるとは限らない。
病因論(Etiology)
●因果関係を推論するとき,集団内での疾病のダイナミクスに着目することは必要である。感染症の場合,個人レベルでの因果関係とは別に集団レベルで感染環が維持される条件が存在するので,感染環の1ヶ所を断ち切ることができれば,疾病の流行は予防できることになる。
●疾病の自然史:個人レベルで疾病のダイナミクスを観察すると,まずその疾病とまったく関係がない時期(逆にいえば,その後その疾病に罹る可能性がある時期であり,その意味で感受性期(stage of susceptibility)と呼ばれる)があり,その後何らかの理由で異常が発生するが臨床症状がない時期(前臨床期(preclinical stage),感染症の場合は潜伏期(latent period)がこれに相当する)があり,そのまま回復する場合もあるが,臨床症状が出現して疾病と診断される(臨床期(clinical stage))という経過を辿る。この経過を疾病の自然史という。疫学研究では集団全体を対象とするので,疾病の自然史の各ステージにある人を丸ごと観察できる。
●病因論モデル:その疾病の自然史の成り立ちを丸ごと捉えることは,その疾病の病因論(etiology)のモデルを構築することと同値である。このようなモデルを病因論モデル(etiological model)といい,次のようなものがある(ただ,たぶんwebは織物というよりも網と訳すべきではないかと思う)。
  1. 三角形モデル(epidemiologic triangle):宿主要因と環境要因と病因にわけて考える。
  2. 車輪モデル(wheel model):病因は宿主要因か環境要因から抜き出されたものなので別扱いせず,宿主要因を環境要因が取り巻いているものとして疾病の成り立ちを把握するモデル
  3. 因果の織物モデル(web of causation model):宿主要因と環境要因は複雑に絡み合っていることから,車輪よりも網の目として捉えるモデル
疾病の予防
●疾病の予防は,発病阻止だけを目的としたものではなく,健康と疾病状態の自然史の全過程にわたって実施されるべきであり,次の3つの段階に分けられる。
  1. 一次予防:狭義の予防。健康増進(非特異的予防)と特異的予防(感染症に対する予防接種や予防内服など)を含む。
  2. 二次予防:早期発見と早期治療。早期発見のための公衆衛生政策として,健康診断や集団検診(マス・スクリーニング)が行われている。感染症の早期治療は感染拡大を防ぐ効果ももつ。スクリーニングは感度(Sensitivity = Positive in Disease)と特異度(Specificity = Negative in Health)が高いものが望ましい(p.148の説明にはrateと書かれているがrateではないので注意)。
  3. 三次予防:発病後の悪化と後遺症を防ぐことと,治癒後のリハビリテーション。
●(感染症の予防)感染環を断ち切ること。感染源,感染経路,感受性宿主の3要因に対して実施する。感染源対策としては届出,隔離,疫学調査,消毒,検疫など。感染経路対策としては換気や媒介昆虫の駆除など。感受性宿主対策としては休養と睡眠,予防接種など(予防接種は集団免疫の維持のためとターゲットとなる個人を守るためという2つの目的がある。
WHOは1975年からEPIにより6つの感染症[Diphteria, Pertussis, Tetanus, Poliomyelitis, Measles, Tuberculosis]に対する予防接種をすべての子どもが受けることを目標としている。ワクチンには弱毒生ワクチン,不活化ワクチン,トキソイドの他,DNAワクチンというものが最近開発されている。
日本では予防接種法によりDPT三種混合とポリオ,麻疹,風疹,日本脳炎,インフルエンザのワクチンが定期接種[ただし強制ではなく勧奨]されている)。最近は新興感染症や再興感染症への対策が課題。
●現在の日本の予防政策
●(循環器疾患の予防)高血圧性疾患(そのうち8〜9割は別に原因疾患がない本態性高血圧症。分類はテキストp.63〜p.66を参照),脳血管疾患(虚血性の脳梗塞と出血性の脳出血やクモ膜下出血が主。いずれも動脈硬化と高血圧によりリスクが高まる),心疾患(虚血性心疾患と心不全とリウマチ性心疾患に大別される)の予防は,塩分摂取を控えるなど食生活の改善を含む,ライフスタイル全体を健康的にすることである(とされているが,難しい)。
米国で出されたガイドラインによると,115/75 mmHgより高いと,さまざまなリスクが上がるとされるのだが,薬剤を常用させてそこまでコントロールするような意味があるかどうかは微妙だと思う(cf. JAMA日本語版2003年10月号「高血圧症の予防,発見,評価,治療に関する米国合同委員会の第7次勧告」)。
●(がんの予防)がん(cancer)は悪性新生物(maliginant neoplasm)と同義である。発ガンの仕組みは2段階説(イニシエータがきっかけを作り,プロモータが増悪させる)でほぼ説明がつく。予防にはそれらを除去するのが本質的なので,食事に気をつけるとか喫煙をしないことなどで発がん物質への曝露を防げばよいのだが,完全な防御は難しい。EBウイルスやHBV,HCV,ピロリ菌などのウイルスや細菌が関係する癌もある。完全な防御が難しいことから,二次予防が重要になるが,有効性が確認されている癌についてスクリーニングを行うべきである。子宮頸がん,胃がん,乳がん,大腸がん,肺がんの検診が行われているが,このうち現在のやり方では乳がんと肺がんの検診は有効性が低い。予後が悪いがんについては,悪化防止でもリハビリでもないが,疼痛解除やホスピスも三次予防とされる。
●(糖尿病の予防)かつては病態に基づいてIDDMとNIDDMに区分されていたが,1998年以降,成因に基づく1型,2型,その他特定の型,妊娠糖尿病という区分に変わった。といっても,1型はIDDMと,2型はNIDDMとほぼ一致する。公衆衛生的には2型が問題。早期発見して食事療法と運動療法と薬物投与による血糖コントロールを適切にすればコントロールできる。
●(アレルギー疾患の予防)本質的にはアレルゲンの除去であるが,容易ではない。花粉症などはアレルゲンへの曝露を防ぐために春先にずっとマスクをしているというのもQOLを低める。
●(事故と自殺の予防)不慮の事故及び有害作用による死亡は日本では年間約4万人で,中では交通事故がトップ。とくに未成年者の死因では大きい。本人以上に,周囲の注意が必要。
損失余命
健康管理と健康増進
●日本の現在の健康管理制度は,地域,学校,職場という区分で行われている。地域と職場は厚生労働省,学校は文部科学省が所管している。それぞれ集団検診などが行われ,健康状態を集団として把握し,適切な管理がなされるよう求められている。
●健康増進(health promotion)は,非特異的予防を積極的に進めたものといえる。そのため,健康な食生活,日常の適度な運動,規則的休養や気晴らし,家族・友人・他人との友好的なつきあいや隣人愛,いつも心を明るくもつ,といったことが大切である,とされる。2002年夏に採択された健康増進法は栄養改善法の焼き直しに受動喫煙対策を追加したものに過ぎない。1986年にオタワで開かれた「第1回健康増進国際会議」で採択されたオタワ宣言や米国のHealthy People 2000を踏まえて策定された,厚生省(当時)から 厚生省発健医第115号(平成12年3月31日)で通達された健康日本21(http://www.kenkounippon21.gr.jp/)の方が包括的である。もっとも,何のために健康増進に努めるのか,というところを吐き違えると,健康という病にとりつかれるという指摘もある(上杉正幸「健康病」洋泉社,2002年参照)。医療費を安くするという視点でさえ,それはうまくない。

Correspondence to: minato@ypu.jp.

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