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公衆衛生学−14.環境管理とリスク論

参照

▼「シンプル衛生公衆衛生学」第2章,「公衆衛生学」第13章・第14章

▼森千里(2002)「胎児の環境汚染」(中公新書)はコンパクトにまとまっている。

▼リスク論については,環境研究所環境健康研究領域[http://www.nies.go.jp/health/index.html],環境リスク診断,評価及びリスク対応型の意思決定支援システム[http://risk.env.eng.osaka-u.ac.jp/risk/index.html](大阪大学で進められている文部科学省ミレニアムプロジェクト),中西準子のホームページ[http://homepage3.nifty.com/junko-nakanishi/index.html],「市民のための環境学ガイド 時事編」[http://plaza13.mbn.or.jp/‾yasui_it/]等が参考になる。

はじめに

人間にとっての環境ということを掘り下げていくと,主体としての人間に認識される環境ということを考えなくてはいけないことに気付く。人間が外界をどのように認識するのかということは認知心理学や生態学的視覚論という分野で研究されている。リスクコミュニケーションという文脈で論議されているように,認識されるかどうかという問題は重要である。

そこで,今回は,認識されるリスクを,どのように評価し,管理し,意思疎通するかということをテーマにして講義を行う。

外部環境と内部環境

テキスト「シンプル衛生公衆衛生学」p.32に書かれている通り,環境には認識しやすい環境(目に視えるもの,音,臭い,味,触われるもの,痛み,位置,運動,加速度,相対的な温度のような,対応する感覚受容器がある外部環境)と認識しにくい環境(動脈血の酸素分圧のような体内の環境や,紫外線のような感覚受容器がない外部環境)がある。認識しにくい環境でも機械を使って調べれば数値や形として認識することは可能だということに注意されたい。

外部環境が変化したとき,何もしなければ内部環境もそれに引きずられて変化するはずだが,感覚受容器が外部環境の変化を検知すると,ネガティブ・フィードバックが起こって,内部環境は元の状態に保たれる(そのとき余った物質やエネルギーは再び外部環境へ放出される)。内部環境が比較的一定の状態に保たれることを,恒常性の維持(homeostasis)という。恒常性が維持できているか,あるいは変化して別の状態としての恒常性が確立するならば,生物はその外部環境に適応できているといえる。しかし,外部環境の変化が大きすぎるか速過ぎて内部環境の恒常性が崩れると,一般に生物は深刻なダメージを受け,ひどいときには死に至る。

外部環境→内部環境→外部環境という物質の流れを分解してみると,曝露,吸収,分布,代謝(主に肝臓),排泄という過程を辿る。それぞれの移行確率は100%ではない。偶然のばらつきもあるし,物質によっても違うし,臓器によっても違うし,個人差もある。個人差は,遺伝素因もあれば,生活史上の環境要因から受けた影響の蓄積もあれば,認識される外部環境に対してとる行動の違いもある。

量-影響関係(dose-effect relationship)
●外部環境からの曝露刺激の量をdoseと呼び,それを生体が吸収した後,分布によって運ばれる臓器はさまざまで,曝露刺激の性質によって異なっている。ある曝露刺激物質が主として作用する臓器を,その物質の標的臓器とか決定臓器と呼び(例えばカドミウムなら腎臓とか),doseに対して(または血中レベルに対して)標的臓器がどのような影響を受けるかという関係を量-影響関係と呼ぶ。影響には,回復不可能な影響と,一時的機能障害を起こすが回復可能な影響と,機能障害を起こすほどでもなく代謝によって調節可能な影響の3段階がある。代謝的調節が可能であれ,生体への影響が検知される最も小さいdoseを最小影響量と呼び,生体へのいかなる影響も検知されない最も大きいdoseを最大無影響量と呼ぶ。
●テキスト「シンプル衛生公衆衛生学」はNOAELをno-observed adverse effect levelとして無毒性量と説明しているが,森千里「胎児の複合汚染」(中公新書)では,NOAELはno adverse effect levelで無毒性量とし,生体に如何なる影響も起こさないレベルはNOEL (no effect level)で無反応量であると説明されている。森の説明によれば,NOAELは不可逆的な障害を起こさないレベルということなのでかなり高いレベルになってしまい,NOELが最大無影響量と一致することになる。もっとも,通常,NOAELとNOELは作用の有害性に力点をおいた区分であり,不可逆的かどうかは問題にしていないが,「いかなる影響も検知されない」と定義される最大無影響量と一致するのは,NOAELではなくてNOELであろう。なお,毒性のある最小の影響量は通常,最低毒性量(LOAEL)と呼ばれる。なお,これらの略語では,OはObservedの略であるとするのが普通のようである。
量-反応関係(dose-response relationship)
●一般に,有害物の負荷量としてのdoseに対する反応(response)を集団レベルでみたときに,負荷量と反応割合との関係は,テキスト「シンプル衛生公衆衛生学2002」p.35のようなS字状カーブになることが多い。先にも述べたように,反応には個体差があることがS字状になる原因である。この場合,負荷量と反応の間にS字状の量-反応関係が見られる,ということになる。S字曲線の立ち上がり開始の量を閾値といい,半数の個体が反応を示す負荷量を半数影響量ED50と呼び,半数の個体が死亡する負荷量を半数致死量LD50と呼ぶ。急性毒性試験ではLD50が良く使われ,その推定にはプロビット分析やロジット分析が使われる場合が多い(生存時間解析のソフトでできる)。

リスクアセスメント

「リスク」については,扱われる分野によって概念が違うことに注意。単に事象が起こる瞬間の確率を意味することもある。が,リスク論では,テキスト「シンプル衛生公衆衛生学2002」p.36にあるように,「リスクとは望ましくない事象とその生起確率を示す概念」という把握で大方問題ないと思われる。

外部環境のそれぞれの因子について,量-影響関係や量-反応関係に関する知見をまとめて整理したものを,環境の質の判定条件と呼ぶ。この条件と曝露量のアセスメントを元にして,各因子のリスクを判定する(ここまでがリスクアセスメントで,ここからがリスクマネージメント)。判定されたリスクと,環境リスク以外の要因の分析結果(社会,経済,技術などの制約条件。ここにLCAやCVMも含まれる)を統合して行政判断が行われ,ガイドラインや勧告が出され,その中で基準値が決められる。

リスクマネージメント

3つの水準の原則
●ゼロリスクの原則:環境リスクをゼロにすることを目標とする,とテキストに書かれているが,原理的に達成できない場合も多い。
●リスク一定の原則:すべてのリスクを社会的に受容できる一定レベル以下に抑えること。10万人に1人以下とか,100万人に1人以下とか。狂牛病対策の場合を考えればわかるように,世論や社会情勢によってどのくらいなら「社会的に受容できる」かは変化する。
●リスクベネフィットの原則:リスクを上回る便益性があるようにすること。便益性とリスクの評価軸が同じなら簡単だが,違うことが多いので問題が起こる場合がある。
予防原則
●毒性があることが証明されていなくても危険がありそうな十分な根拠があれば対策する必要はあるとする考え方。
●2000年2月にEU委員会から報告された文書によれば,疑わしきは何でも禁止ということではなく(ゼロリスク論だとそういうことになるが,そんなことをしたら現代社会は存続できない),予防原則を適用するためには,均衡性,非差別性,整合性,費用便益分析,再検討,挙証責任が満足されねばならないとされる。大雑把にいえば,科学的に正当に評価して,対策することによって期待される便益が対策にかかる費用に見合うような場合に,差別なく適用されるべきだということ。グリーンピースなどからは批判されているが,リスク研究者は概ねEU委員会の方針を妥当としている。

リスクコミュニケーション

ミレニアムプロジェクト環境リスク診断,評価及びリスク対応型の意思決定支援システムによると,「あるリスクについて直接間接に関係する人々が意見を交換すること」とある。要点は上意下達でなく議論を通して相互理解を図る点である。

もう少し環境リスクにひきつけて言い換えると,「環境リスクに関する正確な情報を,行政・事業者・国民・NGO・専門家などすべての者が共有しつつ,相互に意思疎通を図ること」(森千里「胎児の複合汚染」中公新書pp.177にちょっとだけ追加)といえる。森が主張するように,微量化学物質の環境リスクを考える上では,ヒトにおける健康影響を削減する包括的な方法としての意味が大きい。リスクマネージメントにおいて環境リスク以外の要因の分析結果を取り込む際に,Public Involvementは当然行われるわけだが,その際,リスクコミュニケーションがうまく取れるかということが非常に重要である。

環境認識を意識すると意思疎通という話に戻ってこざるを得ない。環境倫理学でいうところのenvironmental justiceとも絡むだろう。人間の価値観の多様性が根底にあるので,互いに異なる価値観の存在を認め合わないとコミュニケーションは成立しない。その上で利害の調整や合意形成がなされる。ゼロリスク論はコミュニケーションの余地が無いし,微視的に見れば不可能である場合が多い。

意思疎通の方法として,いろいろなガイドラインが提案されている。例えば,環境省が公開している「自治体のための化学物質に関するリスクコミュニケーションマニュアル」から抜粋された「リスクコミュニケーションチェックシート集」[http://www.env.go.jp/chemi/communication/manual/checksheet.html]という文書には,主催者,司会者,参加者それぞれに対して,説明会や勉強会が十分に有効に機能したかどうかを会議の前後にチェックするための要点が示されている。


Correspondence to: minato@ypu.jp.

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