昨日は子どもの保育園の「うんどうあそびの日」であった。「運動会」というと競争的なイメージが強いので,身体を動かして楽しむことが主眼という実態にあわせて,今年からそう呼ぶことにしたそうな。来賓の文京区の教育課長さん(もしかすると係長だったかも? 間違っていたら済みません)が,「少子化時代の現在,子どもは宝です」なんてことを熱く語っていらしたが,別に子どもは国のために存在するのではなくて,生物としてのヒトの自然な営みから生まれるものであるから,そういう語られ方をすると何となくズレを感じてしまう。
しかし,そのいわゆる「少子化時代」がなぜ訪れたか? どうやったら問題を解決できるのか? ということは行政にとって,大きな関心の的である。晩婚化が大きな要因であることはほぼ間違いないが,なぜ晩婚化が起こってきたかというと,既婚者ばかりでなく独身者も対象に含んだ大規模な調査をしないとわからない。国立社会保障・人口問題研究所が人口問題研究所だったころからやっている「出生動向基本調査」というのがあって,昨年第11回が行われたわけであるが,その調査結果はそれを探る一助になるものである。
6月に発表された夫婦調査の結果についてはこの「枕草子」でも触れたし,新聞にも取り上げられたのでご存じの方も多いと思うが,昨日,待望の独身者調査結果も公開されたので読んでみた。PDFファイルで全文読めるので,詳しくはリンク先を参照することをお薦めするが,ぼくが面白いと思ったのは,晩婚化志向があるという実態が明らかになったのもさることながら,女性で専業主婦志向(「理想のライフコース」として専業主婦コースを選んだ割合)が5年前に比べて32.5%から20.6%と激減し,それに呼応するかのように男性での「女性に期待するライフコース」としての専業主婦も30.4%から20.7%へと減ったことである。減った分はどこへ行ったかというと,男女とも「仕事も育児も」という両立コースが激増しているが,「実際にそうなるだろうと感じているライフコース」で両立コースと答える未婚女性は増えていないのが実状を反映している。つまり,規範意識としては女性が家事と育児と家庭経営だけを担当する状況は理想ではないと思う人が増えているが,実際問題としてそれらを女性だけが担当しながらソトでの仕事も追加することは不可能に近く,だからといって家事や育児を平等に分担しようとまで思う男性は少数であり,またそういう分担形態に寛容な会社や祖父母世代がまだ少数だということである。はっきりしているのは,実際に既婚女性で「両立コース」をとる人がなかなか増えないのは,かなりの程度そうした社会の構造的問題に起因するのであって,資質のせいではないということだ。とすれば,人生を賭けるに足る仕事をもつ女性が,結婚せずに仕事を続けたり,結婚年齢が遅くなったりするのは当然の帰結である。「非婚就業コース」のみ,理想とする未婚女性は4.4%しかいないにもかかわらず予定としている未婚女性は9.3%もいたという事実から考えても,そういう結論に至るのである。
厚生省は,もし本気で少子化問題を何とかしたいなら,「両立コース」の実現が容易になるような社会構造と意識の変革を行わなければならない(10月10日,ある知人からの指摘により気づいたが,これはもちろん書きすぎである。「両立コース」の実現が容易な社会になったとしても,結婚が増えるとか結婚年齢の低下が起こるとは限らない。晩婚化にはもっと他のいろいろな要因が絡んでいるのは当然である。ここで言いたいことは,必要条件[と言い切るのも言い過ぎかもしれない]であって十分条件ではないのだが,誤解を生みやすい表現だったので補足しておく)。ま,無理だろうし,ぼくは少子化が起こってもちっとも問題だと思っていないのだが,社会構造の変革はあった方が望ましい。夫婦の間柄って平等な方が居心地いいし,育児のような面白いことを妻を専業主婦にして任せきってしまうなんて,人生の半分を捨てるに等しいと思うからである。……とはいえ,ぼくが平等にしてるかというとそこまではいえない(かなり妻におぶさっている部分が大きい)ので,あんまり偉そうなことを書くのは気が引けるのだが。今日はこの辺にしておくが,また論じたいので,是非こちらから反論あるいは補足をお願いしたい。よろしくお願いします。
違う話題。昨夜,旧友の川端氏から新刊「夏のロケット」を貰ったので一気読みしてしまった。年齢からいえば青春なんていうにはトウがたっているけれど,その感じがとても気持ちのいい小説だ。詳しい感想は書評掲示板に書いたので,よかったら読んでみてください。