枕草子 (My Favorite Things)

【第133回】 体細胞クローンのテロメア(1999年4月30日)

日曜日に喫茶MLのオフラインミーティングに初めて行き,喫茶の奥深さの片鱗に触れたような気がした。その後,かつてナツメネットというパソコン通信でアクティブメンバーだった知人の結婚式の二次会に行ったが,出席者の多くがパソコン通信あるいはインターネット関係の知り合いだった。いうなれば,オフラインミーティングのハシゴ,といった態。

月曜,火曜は可もなく不可もなく過ぎた。

水曜日に嬉しいことが2つあった。今年も科研費奨励(A)が内定したのが1つ。早速MS-Wordのテンプレートを更新し,交付申請書を作成した。テンプレートはここからダウンロードできる筈であるが,例によって書式が去年と変わっており,上綴じだったのが横綴じになり,横幅が狭くなった代わりに長さが長くなった。うっかりすると見過ごしそうな違いもあって,「主要な設備備品の明細」が「主要な設備備品の内訳」に変わっていた。TeXの科研費マクロの人たちは直しているのだろうか。何が目的で毎年微妙に変えるのか知らないが,いい加減に固定して欲しいものである……って,去年も書いたような気がするな。(うむ,やはり。)もう1つは,投稿していた論文に対して,「直せばOK」という主旨のEditorからの返事がきたこと。論文を書いて研究結果を公にすることは,やはり研究者の本分の1つであるから,嬉しいものである。

木曜日は「みどりの日」らしく,妻子とともに近所の川まで散歩に行った。雪解け水で冷たいのが気持ちよく,川縁に広がる林檎の木々は白い花で煙るような。遠くに見える北アルプスの山々はまだ雪で真っ白である。青空の下で囓ったパン切れのうまさは,ちょっと言葉では書けないくらいであった。こういうことが近所の川でできるというのが,長野の偉いところである。不忍池だってそれなりに木や花はきれいなんだけど,目を上げると広告で彩られたビルだらけだし,なにより空気がまずいのが致命的だ。近所の小川ではJazzのライブはないから一長一短ではあるが,子どものためには長野の方に軍配があがりそうである。


☆ ☆ ☆


さて,今日の本題は「体細胞クローン個体のテロメアはどうなっているのか?」ということである。疑問の発端は,駒場での同級生である川端裕人氏の最新作である「動物園にできること」にあった。これによると,動物園の基本機能の一つとして「種の方舟」を考える人たちの中には,遺伝子情報を100%保存できる技術として体細胞クローンを評価する人が何人もいるらしい。たしかに,1組のペアがn回の有性生殖をするとして,1/2のn乗の割合で伝わらない遺伝子が存在することになるから,体細胞クローンを作ればそれを避けることができるというのは道理である。

しかし,よく考えてみると,この考え方には2つの点で疑問がある。その1つが,テロメアはどうなっているのかということである。「老化と遺伝子」に解説されているように,体細胞の核DNAの一方の末端にはテロメアという領域があって,細胞分裂のたびにちょっとずつ短くなってゆき,ここがある程度以上短くなると細胞はそれ以上分裂できなくなるらしいことが知られている。ガン細胞や生殖細胞(精子や卵子)にはテロメラーゼという酵素があって,テロメアの短縮を防ぐことができるが,いったん短くなってしまったテロメアを伸ばすことはできない筈である。体細胞クローンの発生においては,卵から核を抜いて,別に培養した体細胞と融合させて発生させる,いわゆる核移植という技術が用いられるから,卵の細胞質基質にあったテロメラーゼが残っているとしても,体細胞からもってきたDNAのテロメアの長さは,たかだか元の個体と同じ長さの筈である。つまり,在胎期間を経て生まれてくるクローン個体の年齢は0歳ではなく,DNA供給時の元個体と同じと考えるべきではなかろうか。WEBで調べた限りでは,まだ体細胞クローン個体の寿命は不明とのことであるが,ドリーやポリーの誕生時に,誰もテロメアの長さって調べなかったのだろうか? 質の良い肉牛を大量生産するためだけなら肉がとれるくらいに成長できればよいので,体細胞クローンの主たる研究主体である畜産関係の人にとっては気にならないのかもしれないが,もしクローン個体を作っても皆早逝してしまうなら「種の方舟」目的には向かないと思うので,少なくとも動物園関係者はその辺に注意しないとおかしいのではないか。減数分裂以前の生殖細胞を元にすればテロメアの長さについては問題ないかもしれないが,少なくともメスの場合は,それでは数が少なくなってまずかろう。

第2の疑問は,ミトコンドリアDNAのような母性遺伝する形質は体細胞クローンで100%伝わるのか? ということである。核移植では培養した体細胞と除核卵を細胞融合させるのが普通らしいから,培養体細胞にあったミトコンドリアも移ってくるだろうが,さてどういう構成になるのかは不明である。その場合,親個体の遺伝子構成を100%保存したといえるのだろうか? ぼくはいえないと思う。以上の2点から,体細胞クローンで種の保存をしようという発想には疑念を禁じ得ない。体細胞クローン技術がまだ使えない現在,動物園の飼育動物で種の保存をしようとする人たちは,集団遺伝学の理論に基づいて慎重に掛け合わせる個体を選ぶとのことであるが,動物の立場に立ってみると,それはとても妙なことではあるまいか。進化学の世界では種なんて人為的な区分に過ぎないという見方もあるし(生物学的種概念というのが異時的異所的には破綻している概念なので,異所的な集団のメタ集団である動物園飼育個体群において種を云々するのがナンセンスかもしれない),ダーウィンフィンチは今でも適応進化を続けているということ(論文が最新のProNASに出ていた)等々を考えると,現時点でヒトが種とみなすクレードを維持するような人為淘汰をかけることに何の意味があるのかと思ってしまう。まあ,多様性の減少をくい止めたいという衝動は理解できるのだけれど,それ以上でもそれ以下でもないように思う。今日の話,あまり自信はないので,直接メールでご意見いただければ幸いである。


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