例によって最終のあさま537号にてタイプしているが,今日の混雑は凄い。今あったアナウンスによれば,爆破事件の影響で首都圏全域のコインロッカーが使用停止になっているそうだが,この混雑はその影響ではなくて,たぶん,もう冬休みに入った人たちがスキーにでも行くのだろう。そういう格好の人が多い。運良く大宮で座れたのは奇跡的であるが,おかげで気力が残っているので宿題を片づけようと思う。
まずは件の研究を,もう少し詳しく紹介しよう。Scott, Michael R., Robert Will, James Ironside, Hoang-Oanh B. Nguyen, Patrick Tremblay, Stephen J. DeArmond and Stanley B. Prusiner (1999) Compelling transgenic evidence for transmission of bovine spongiform encephalopathy prions to humans. Proceedings of National Academy of Sciences, USA, 96(26): 15137-15142.のabstractには,次のように書かれている(私訳)。
牛海綿状脳症(BSE)が牛からヒトに受け渡されたかもしれないという懸念は増大しつつある。我々は,牛の(Bo)プリオンタンパク(PrP)を発現している遺伝子組換え(Tg)マウスが継続的にBSEプリオンを増殖させることと,牛からTg(BoPrP)マウスへの伝播には種間障壁(species barrier)が存在しないことを報告する。この同じ遺伝子組換えマウスは,「新異型」クロイツフェルト=ヤコブ病(nvCJD)と,自然に存在する羊のスクラピーにもきわめて感染しやすかった。nvCJDとBSE牛の脳からの抽出物に感作されたTg(BoPrP)Prnp0/0マウスにおける,潜伏期間(約250日),神経病理,病原性のプリオンタンパク異性体は互いに区別できず,これらのマウスにおいて自然に存在する羊のスクラピープリオンに感作させた場合のそれとははっきりと異なっていた。我々の発見は,BSEの牛からのプリオンがヒトに感染して致死的な神経の変性疾患を引き起こしたことを示す,もっとも魅力的で強い証拠を提供するものである。
ある病気の病原体が確かにそれであると証明するには,有名なコッホの三原則というものがある。これは,(1)ある病気のすべての症例で病理部の同じ部位にその病原体が見いだされる,(2)その病原体は純粋に培養系で育てられる,(3)その病原体を別の,感受性をもつ宿主に導入すれば,同じ病気を起こす,というものである(出典:Playfair, J. (1997)「感染と免疫」東京化学同人)。第3項については,ヒトでしか発症しない疾患ならば,ヒトに感染させなければその病原性は確認できないことになるが,最近は遺伝子組換えによってモデル動物を作ることが可能になったので,動物実験も可能になっている。ただし,この三原則は1891年に細菌感染症について立てられたものであり,ウイルス,原虫,リケッチア,そしてプリオンのようなものについては厳密には適用しにくいし,免疫など宿主側の要因を考えていなかったという欠点があるので,ある病原体が確かにその病気を起こす本体であっても三原則が満たされない場合もあることが,今日ではわかっている。
少々話は脱線するが,松枯れに関してこの三原則を満たす唯一のエージェント(病因となるもの)は,マツノザイセンチュウだそうで,だからこそ殺虫剤の空撒などが行われているわけだ。それに対して酸性雨や大気汚染もマツを弱らせ易感染性宿主(compromised host)にしているのにそれを無視して効果の少ない空撒をやっているのは怪しからんという批判が起こったりするのだが,三原則を満たすかどうかは病気の本体であるかどうかの証明だけであって,コントロールに有効かどうかという議論とは別なのだから,論点がすれ違うのは当然である。マラリアの場合で考えると,マラリア原虫が三原則を満たすエージェントなのだが(サー・パトリック・マンソンは患者から吸血して感染している筈の蚊に,自分の息子を含む2人のボランティアから吸血させることで,ボランティアがマラリアを発症することを確認している),マラリア原虫に対してオールマイティな薬剤が存在せず,すぐに薬剤耐性が獲得されるために,直接原虫をターゲットとした大量薬剤投与(MDA)というコントロール手段がとられることはいまや希である。三原則を満たすエージェントを直接ターゲットにしなくても,感染環をどこかで断ち切れば病原体は流行らないことに着目すべきである。閑話休題。
今回のPNASの成果は,脳の同じ部位にプリオンが認められ,「感作した遺伝子組換えマウスの脳から抽出したプリオン」を注射した遺伝子組換えマウスの脳に,ほぼ変わらない形で発現したので,コッホの三原則をほぼ満たしている。問題は,感染経路である。今回の実験では右頭頂葉に注射しているのだが,BSEがヒトのnvCJDを起こしたと疑われているのは食肉によってであるから,経口で感染が起こるかどうかを確認しなくては,BSEのプリオンがヒトのnvCJDを起こすという病因論が証明されたことにはならないだろう。脳内への注射によって分子が保存されたからといって,腸管や血液や脳血液関門を通るときに保存されるとは限らない。それも,ヒトの腸管や血液中の免疫系や脳血液関門と同等の機能をもたなくてはならないから,余程うまく遺伝子組換えをするか,人体実験しない限り,「証明」はできないことになる。もっとも,食肉が安全と信じる人の論拠の一つであった「種間障壁」は否定されてしまったし(注:ただし,この遺伝子組換えマウスが易感染性動物という可能性もなくはない),BSEとnvCJDがほぼ同じものとする,もっとも強い根拠が与えられたには違いない。著者たちはこの問題には決着が付いたという勢いで,「次はBSEの起源が何かということだ!」とDiscussionで気勢を上げているが,結論の書き方はきちんとしていて流石である。
青木さんが引用されている記事だと,共同通信の方は嘘がないが,朝日の方は言い過ぎであることが明らかだ。信濃毎日新聞もちょっと言い過ぎだったけれど,新聞という媒体が正確さよりも生活感覚でのわかりやすさを重視していることがわかる事例といえよう。参考までに書いておくと,CJDについては以前にも紹介したBioNewsの記事も面白いし,基礎知識としても役に立つので,是非併読されたい。
というわけで宿題完了しました。遅くなってごめんなさい>関係各位。Playfairの本がなかなか見つからなくて,確認に手間取ったのです。